記事内に商品プロモーションを含む場合があります
ウッチー&健ファンのみなさん、連続更新のはずが日にちが空いてしまいごめんなさいー!
その理由は、この時期、毎年ありえないほど仕事が詰まるのもそうですが、今回なにより大きかったのはブログデータがすべて飛んだこと(白目)。
一瞬、頭が真っ白になったと同時に、速攻で対処法をググりだす。この間、わずか数秒もかからず。トラブルに直面した際の動きはさらにギアが切り替わりスピードアップする仕事人間あるある。
で、せっかくなので以前から気がかりだった問題の解決を含め、調整や総合的な刷新もしました。これぞ転んでもただでは起きぬ!(笑)激務中に加え、なにしろ記事数が多いので手つかずも多々ありますが、取り急ぎの突貫工事は完了です。
毎日のように見てくださっている方々は、ここしばらくのあらゆる変化に驚いたはず……(笑)。そこらへんのよもやま話は後日語るとして、まずは連載「内田篤人と佐藤健」の続きを!
第6回の本日は、「モテたい男性もイケメン好き女性も必見!意識と立ち居振る舞いにあらわれる賢さでハートをつかむ」をテーマにお届けします。
両者の共通点・相違点を大枠でご紹介し、ビジュアル編・仕事編・対人編・恋愛編とたどってきたところで、それらすべての要素に関わってくる、業界におけるそれぞれの立場と資質を読み解いていきましょう。
スポーツ界・芸能界で抱える失笑レベルの惨状を軽やかに飛び越え、クレバーで聡明ゆえに徹底してわが道をゆくウッチーと健くん。さて、わたしがそこまで言い切る真意とは?
この連載の企画趣旨はこちら!
ウッチー&健ファンにおくる、冷やし中華ノリで連載「内田篤人と佐藤健」はじめます
あなたはどっち?人目を意識する派ORしない派
これまで仕事編・対人編を中心に、ウッチーこと内田篤人さんはサッカー選手、健くんこと佐藤健さんは役者という、業界と立場の違いが影響する資質や人との接し方に関しても記してきました。
どちらも、大胆な面も慎重な面も持ち合わせているとはいえ、どちらかといえばわかりやすく違いが見てとれるのが彼らの特徴のひとつです。
今回深掘りするにあたってキーワードとなるのが、「人からどう見られるかをどれだけ意識しているか?」。
これまで語ってきた流れからもうおわかりでしょうが、極論ではあるものの、ウッチーは意識しない派、健くんは意識する派。
といっても、あくまでも“どちらかといえば”。
ウッチーは意識しない派とはいえ、「相手やその場に不快感を与えず、誰もがホッとできるおどけ方が上手な潤滑油にもなることができて、誠実で真摯な対応は基本」のしっかりした好青年。
健くんは意識する派ながらも、「人目を意識して縮こまることはいっさいなく、相手と意見の相違があったとしても、自分の意思を伝え、ディスカッションする」高い能力を有する切れ者。
その前提をふまえ、さらに紐解いていきましょう。
ウッチーの対極はマウントと幸せアピール病の選手
あえて言い切ってしまいますが、ウッチーはまったくと言っていいくらいに人目を意識しないタイプです。
そもそも“見た目も商品”かつ人気稼業で、なにかと意識せざるを得ない芸能人ではないわけですよ。そう考えると当然といえば当然で、意識過剰なほうが「あなたの職業なんなの?」ってなもんです。
にもかかわらず、最近では男女問わず、アスリートや元アスリートがこぞって、やれ好感度だの、やれ人気を得る振る舞いだの、あげく幸せアピールやら、斜め上から目線マウントやら……。
こんな誰の役にも立たないことばかり意識し、突っ走る選手ほど、喉から手が出るほどほしい好感度が手に入るわけもなく、「ダサい」と烙印を押され嫌われまくるのは当然です。はたから見ていると滑稽極まりない。
簡潔に一言で言ってしまうと……ウッザ!!!!(簡潔に一言で言いすぎです)
で、大抵その手の選手は、「素敵すぎる!」「羨ましすぎて死にそう!」などとあほヅラ晒しドン引きステマ並みに讃える太鼓持ちと飼い犬の遠吠えに酔っぱらい、新興宗教教祖と化した迷走がお約束です。
その結果、「自分はすべて許される選ばれし者」との恥ずかしすぎる大勘違いの領域に突入します。
なにこの笑いを禁じ得ない既定路線は。
何度も同じ過ちばかり繰り返し、羞恥心と学習能力がゼロ。「社会性の欠片すらない生物だなあ」と多くが呆れ返る理由がここにあり。自分と家族の自慢だらけの人間なんて誰も好きになるわけないじゃないですかw
生態観察記を付けるほど暇ではありませんが、世の中がいっさい必要としないネットニュースとして流れてきたのがゴリ押しよろしくうっかり目に入っちゃうと、揃ってこの落ちぶれ方ですわー。
あげくカルト宗教よろしく、宗教団体のノリや人間にまったく興味がない(というより嫌悪感を持つ)真っ当な人間たちを自分の思い通りにいかせようと、とんでもない大迷惑をかけはじめるときた。
よって、ウザいし気持ち悪いことこのうえないどころか、存在が核兵器レベルの害悪に成り下がるんですよ。
ご愁傷さまですよねえ……(本日も痛烈な皮肉を交えて真実をお届けしています)。
尊敬心と親近感を同時に抱かせる稀有な人間
そんな業界に属するウッチーに対し、昔から変わらず感じているのは、性格的にもこうした選手たちの対極で生きているということ。
「どんな振る舞いをしたらどう思われるかを常に計算している姑息なキャラ」と笑いを交えて自身を茶化すわりに、“めんどくさいからいっさい人目を気にせずわが道をゆく”自然児として生きているウッチー。
第4回の対人編のセンテンスを再掲しますが、まさにこれです。
代表クラスの選手が束になっても敵わない男前ぶりに加え、日本人好みの顔立ち。日本にとどまらず海外でもルックスを含めて愛され、甲高い黄色い悲鳴を浴びてきたモテ男人生。
それなのに、周囲の喧騒は「自分とは関係ない別世界のこと」と言わんばかりに、“勘違いしたモテ男イケメンもどき”なところがいっさいありません。不思議なくらいに。
男性なら誰もがほしがるルックスポテンシャルを完全無効化する無頓着ぶり。お酒が飲めず、独身時代から派手に遊ぶことにも興味がないため、夜に出歩くのも嫌い、誘われても早々に帰宅。
口を開けばシニカルで愉快な毒舌もお手の物で、独特のウッチーワールドを展開する“天性の人たらし”。
その一方で、ファンや関係者問わず、応援や支えへの感謝と想いを随所であらわし、ピッチでは“内田篤人ここにあり”のプレイでしびれさせ、ピッチを離れれば親切で丁寧なファンサービスや関係者への対応に定評あり。
掴みどころがないようで、いつもちゃんと相手の隣りにいる。強烈な尊敬心とほっこりする親近感を同時に抱かせる稀有な人間です。
内田篤人を賢く聡明な人物だと判断できる理由
ここで重要なのが、ウッチーの資質は「必要以上に人目や人気を意識しないで大丈夫なサッカー選手だから」では片付けられないということ。
繰り返しますが、SNSで発信がしやすくなったことから、スポーツ選手と元選手の勘違いぶりが激しく、目も当てられない惨状が広がっています。「サッカー選手だから」が理由であれば、この堕ち方は矛盾するわけです。
「本業で勝負しない(できない)人間ほど口ばかり達者」とは昔の人はよく言ったもので、やれSNSだの、やれブログだので発信しないと息ができないマウント病が蔓延。
加えて、サイドビジネスや、その業界や職種の才能皆無などころかよくわかってもいないくせに、準公人様()としてのくだらない影響力を行使し、異分野へ持つべき敬意すら持てない分際で斜め上からの口出しに精を出す。
結果、運気にまで見放され、手がつけられない悪循環をたどっていきます。
いくらスポーツ選手のセカンドキャリアは厳しいから早めに準備と言ったって、「あいつは厄介だしうさん臭い」との評価を下され、回り回ってセカンドキャリアの道が絶たれることをなぜ考えないのだろう。
で、実はこの答えもわかりやすいんですよ。
ビジネスの観点で捉えたら、一瞬で見抜かれる甘ちゃん揃いだからです。
競技で勝つための人間心理に長けているだけなので、昔の人はよく言ったもんだ系の立ち居振る舞いや在り方がどんな目で見られているかなにひとつも理解できていない。
つまり、あまりにも世間知らずで幼稚なアスリートと元アスリートが多すぎるということ。
そしてそのファンや、話題乗っかり目的で参戦するお馬鹿さんもまったく同じ道をたどります。見事なまでに、類は友を呼ぶ、同レベルの法則ですね。
その泥沼に咲く蓮の花のように、アスリートの本分を忘れず、「人がどうあろうが知ったこっちゃない」「周囲がどれだけ落ちぶれる騒ぎ方ではしゃごうが自分は惑わされない」を貫く。
「ウッチーはこのご時世にめずらしいサッカー選手だな」とあらためて感心することが増えました。だからこそ、頭がよくて賢く、聡明な人物だと多くに好まれモテるのですよー。
欲目丸出し三流芸能人に見向きもせず貫いた結婚
その流れで恋愛面にも触れておくと、独身時代、彼は「芸能人との結婚は考えられない」と言い切っていました。
とはいえ、男同士特有の遠慮を知らない男性ファンを中心に囁かれていたのが、「そうは言っても、内田もサッカー選手お決まりコースの三流のタレントORモデルを嫁にするんじゃないか?」。
結果は、恋愛編でご紹介した通りです。
男子のみなさん、嫁ちゃん予想大外れ!初志貫徹かよーやるなあウッチー(笑)。
内田篤人のルックスとステイタス目当てで、結婚後は“ウッチー嫁”としてプライベート切り売りが目に見えていた三流芸能人に見向きもしなかったのはお見事!欲目丸出し女どもにロックオンされていたにもかかわらず、ですよ。
結婚発表時、内心「この人、思った以上に流されないんだなあ、すべての面で」と大笑いしてしまったほどです(笑)。
考えてみると、三流芸能人の嫁さんと一緒になってプライベートを切り売りするウッチーの姿は……「どうやっても想像できない!気持ち悪い!」と口を揃えるサッカーファンばかりw
そういう意味では、ウッチーは表と裏が一致しやすい人物なのでしょうね。
そんなわけで、内田篤人の根強い人気は、無駄なことをやらない以前に、意識すらしないことにこそあります。
「決して人気に溺れず、胡座をかかない」は簡単にできることではありません。大いなる魅力という意味で頑固、そして流されない強い意志の持ち主だけが叶えられるのです。
芸能界に染まりきっていない聡明な感性の持ち主
続いて、健くんに話をうつしましょう!
ウッチーに比べると、健くんのほうが人目を意識するタイプです。とはいえ、最初に述べましたが、あくまでも“どちらかといえば”。
その意識の仕方は、「いやらしくずる賢い算段ではなく、しっかりとした立ち居振る舞いが伴っていなければ通用しない厳しいビジネスシーンに生きる社会人と等しい」といえば伝わるでしょうか。
人気稼業の芸能人は、スポーツ選手と比較して、一般のビジネスパーソンに近い存在です。
客商売の極意を知り尽くし、そのうえで“策士策に溺れる”をやらかさない、鋭敏な感性と真摯な姿勢の持ち主こそ、頭いくつか抜けて数字をあげます。つまり、もっとも成功するといえる。
まず前提条件として、健くんが生業とする役者業(もちろん“本格派”レベルという意)は、そもそも確固たる自信がなければ続けることは不可能です。
その自信とは、自意識過剰や傍若無人という意味ではありません。
- 自分が担う役のために、本気で没頭する時間を生きる。
- 役をすべて内包し、観客に優れた物語として届けることに真剣になる。
- 演じることで、たとえいっときでも見る者に喜びを与える。
これは客商売の基本のひとつでもあり、有能なビジネスパーソンが持ち合わせるスタンスでもあります。
そして優れた役者のなかでも健くんは芸能界に染まりきっていない聡明な感性の持ち主ゆえに、ビジネス界でも通用する才覚と視点、メンタルを有するからこそ、ほかの役者よりこのレベルが高いのです。
健くんの抜きん出た感性と生き方については、あわせてこちらの投稿をご参考にどうぞ!
健くんへの評価不足の背景にある業界の価値暴落
これだけの才能と技術であれば、もっと高く評価されてほしいところ。ところがスポーツ界と同様、ここ数年、ますますプライベート切り売り&炎上商法タレントが蔓延し、芸能界全体の価値を暴落させています。
言葉がアレですが、「芸能人って“芸NO人”で大したことないやつばっかり」との皮肉が世間の認識として広まっているのが現実……。
真っ当に本業で才覚と技術を磨いて稼ぐことではなく、SNSやブログの投稿に精を出す。一体なんの芸事で売っているのか、ひいき目に見てもまったく理解できず、なにひとつも伝わってこない。
それどころか、以前の投稿で触れた通り、人様のふんどしで相撲を取る卑怯者さんが明らかに増えています。他者を利用しながら、その利用した相手を下げるなど常套手段というね。
芸能界もスポーツ界も、どうしようもないクソレベルばかりがデカイ面する世界に成り下がっちゃったのかなあ……(うっかり本音)。
そういう卑怯者さんが、現実的な才能と人間性の乏しさとの乖離から無意識下に抱える焦燥感と向き合わず、立場ばかり上流階級を演じ、さらに斜め上からのマウント投稿がやめられなくなる。
その結果、真っ当かつ仕事ができる人間たちにほど、ますます顰蹙を買い、侮蔑され、見限られる。
こうした基本中の基本である人間心理を理解する頭脳は当然ないわけです。なぜなら、頭脳がある人間であれば、こんなみっともない落ちぶれ方は絶対にしないから。
なんともまずい落ちぶれ方の末に、「芸能界にいるのはビジネス界で通用しない連中ばかりで、芸能人だからといっていっさい尊敬はできない」との声が以前にも増して盛んにあがるようになったのは自然なことかと……。
同じく先ほどの記事内でチラリと触れていますが、わたしの場合、そもそも実力主義とは程遠い日本の芸能界に思い入れがないことに加え、芸能人に限らず、社会的立場があるからといって無条件に尊敬することは皆無です。
才覚と実力、人間性が伴わない人間に限って、上から目線で「尊敬しろ!」と遠まわしに振る舞いますが、「尊敬されたいのであれば尊敬されるだけの人間になってから言え!」で強制終了させるくらいはっきりしています(笑)。
え?身もふたもない?!なあに言っちゃってんですか!こんな傲慢不遜でピントがズレまくったお馬鹿さんに身もふたも必要ないっすよ!(なぜ的確な本質を明るくえぐるのだわたしよ)
プライベート切り売りさんによる世論の解釈違い
さておき、プライベート切り売りや炎上商法にいそしむ(というよりそれしか能がない)タレントのせいで、芸能人に対する冷ややかな視線と、揶揄する声が大きくなったのは無理もないといえます。
大晦日にも記したことですが、カバン持ちやお茶くみ、コピー取りしか能がないのに、嘘くさい有能ヅラでプロジェクトリーダーを任されることなど、一般のビジネス社会ではありえないからです。
「大金を稼ぐ価値がない」と判断された人間が大金を手にすることへの批判は、嫉妬でもなんでもありませんよ。
これ、プライベート切り売りさん、炎上商法さんたちほど世間の声の解釈違いを起こしていますが、笑っちゃうほど勘違い甚だしい。
その批判は、失笑と侮蔑という意味での呆れた感情として沸き上がったものです。
お馬鹿さんによく似た存在は、国民の税金で成り立っているにもかかわらず、まともな仕事すらせずに己のポケットへの着服ばかり繰り返す愚鈍で無能な政治家。これが現在の芸能界に対する世の中の本音です。
そうしたある種、異様な業界に身を置いているからこそ、健くんのキャリア構築とブレない強さはさらに価値を増しています。
プライベートの食いしん坊ぶりから誤解され批判を受けることも少なくなく、一見すると派手に感じられますが、彼の仕事人生は誰よりも地道で泥臭い。いわゆるチャラさがまったくなく、非常に堅いのです。
いくらでも安直なスター街道に走れるだけのルックスを持ち、事務所の力があるにもかかわらず、良い意味での頑固さと、クールに業界と世界を見渡すことができる叡智のたまものといっても過言ではありません。
それゆえに、相応の能力と人間性、覚悟を持ち、人生をサヴァイブしながら謳歌している人間でなければ、彼とこころから仲良くなることは不可能でしょう。
「好きな人=尊敬できる人」。
誰彼問わず人付き合いを広げない健くんのようなタイプは、なにかしら尊敬する部分がなければ濃く長い付き合いはできません。そうでない人間にかける時間がもったいないし、決してお互いにプラスにならないからです。
「冷たい」と誤解されるかもしれませんが、なにもかも資質が違う人間と無理やり仲良くなれないのは誰だって自然なこと。きっと自分に置き換えて考えてみれば、すぐにわかるはずですぞー。
圧倒され感銘を受ける人物との出会いと交流が鍵
各回を通してお伝えしてきた、「佐藤健は“ツッコミどころ満載で面白可愛い本性”が隠れすぎてしまい、無用な誤解まで生んでいる」懸念点は、“人見知り+理数系”ともつながっています。
どういうことかというと、“人見知り+理数系”に加え、第1回で記した、事務所のイメージ付けが成功しているとは言い難い反省・修正点が、「スカしている」だの「神経質で冷たい」だの誤った印象を生んでいるからです。
さて、ここで第4回のセンテンスの再掲。各回通じて打開策を含め訴え続けてきた健くんに関する懸念です。
こうした背景をふまえ、わたしのなかでは「腫れ物に触るようにせず、笑いに転換するくらいじゃないとタケルサトウへの批判は止まない」との考えが一貫しており、前回の恋愛編ではさらに直球を投げ込んだところ、爆笑と反響をいただきました(笑)。
で、健くんがこれまでの恋愛で本気になれなかったのも、恋愛自体に冷めていた(というより全般的にあらゆることに冷めていた)のも、感じ取っていたのですね。
その理由は、どんな女性と付き合ってきたかは知らなかったものの、インタビューなどでその本音がよくあらわれていたからです。
早い段階からタケルサトウをあらわすキーワードだと実感していた性質ですが、「ああ、やっぱり!」と答え合わせができたのは、昨年10月に映画「億男」公開にあわせて展開したプロモーション活動でのこと。
高橋一生さん、原作者の川村元気さんとともに出演したフジテレビ系「ボクらの時代」で語った考え方や想いが、もう紛れもない「ああ、やっぱり!」そのものだったんですよw
川村さんから「恋愛でもなんでも何事にも冷めている男」と茶化すようにツッコまれていましたが、「だと思ってたー」の一言……きっと同じことを思った健くんファンも多いのでは?(笑)
と同時に、健くんより年上、つまり人生の先輩で、しかもかなりヘビーな人生経験の持ち主の一生さんらに好影響を受ければいいな、との想いが芽生えたりも。
彼の今後の新たな可能性は、間違いなく「自分がこれまで接してこなかった、ある意味で圧倒されて感銘を受ける人物」との出会いと交流が鍵を握ると直感的に見抜いているからこそ。
恋愛にしても、もし本気になるのであれば、これだけクレバーな男が真剣になれるだけの女性でなければ無理でしょう。
昨年、健くんファンに歴代彼女、別名「タケルサトウの食べログリスト」(再び登場)を教えてもらった際、「言葉がアレだけれど、そこまで本気じゃない女性としか付き合ってこなかったことがよくわかった」と即答したのはそれ。
その即答内容にも我ながら「やっぱりなー」と納得したのが、「ボクらの時代」でした。
頭脳明晰の理数系男子、繊細で慎重な側面を持つクレバーな健くんのこころを大きく揺さぶるのは、自分中心で賢くない女性ではどうやっても無理。下手したらとんでもない形で足を引っ張るだけですからね。
なにはともあれ、いよいよ男性として、ひと皮もふた皮も剥ける30代に突入。これからの健くんが楽しみです。よい女性とも出会えるといいなあ……と見守りつつ。
彼らに対するには相応の才能と実力、人間性が必要
ということで、業界や職業、立場の違いから成る在り方に個性が感じられるウッチーと健くんですが、最後に今回のテーマでのもっとも大きな共通点をご紹介しておきます。
その共通点とは、クールなようでいて仲間想い、ファン想いで、内に秘めた青い炎が燃え盛っていること。
第1回でも少し触れていますが、双方ともに持ち合わせている大きな魅力です。モテる要素満載ってやつですねー(笑)。
両者に共通する「頭の回転が滅法早く、人や物事を常に俯瞰で見渡せる能力に長けており、どこか一歩引いた冷静で理知的なクールガイであり、静かに穏やかに自分が気に入った人間との友情を育む」。
一見すると冷たく響くかもしれませんが、実は誰よりも優しいのがこのタイプです。
いい人ぶったところがいっさいないため、表向きの嘘くさい顔や対応でしか判断ができない人ほど批判しがちですが、いかにその批判が的外れかを完璧に言い聞かせる自信があるほど(笑)。
実は誰よりも優しい。ただし、本当の意味で対等に渡り合い、仲間として意識を共にして生きる、つまり奥底の優しさに触れたり理解するに至るには、それ相応の才能と実力、人間性が必要になります。
広義として真っ当で賢い人間の共通項ですが、頭や性格が悪い人間とは基本的に話すら合わないからです。なにからなにまでというより、根本的な部分でまったく違う生物であると断言してもいいでしょう。
もちろん悪質な無能さんとも通じるところはありません。彼らの話題を調子よく利用し、結果として落としている方々はよく思い知ったほうがいいですよ。圧倒的なレベルの違いがあるがゆえに滑稽だということを。
「冷たい!」とひねくれようが、冷たくもなんともないですよー。社会を知らないガキが思春期特有の痛さで大人を見下し、恥ずかしすぎる勘違いを晒しながら歯向かっているのと似た反論でしかないなーと。
年中暴れるクソガキかつ幼稚園児レベルに話を合わせてあげることが、どれほど面倒かを重々わきまえたほうがいい。その存在自体が多方面に迷惑をかけまくる事態に陥っていることを自覚しましょう。
なぜなら、己の醜悪さを反省、修正し、改めようという意識がないため、いつまでもしつこく同じ過ちを繰り返すから。
なんでも自分に合わせてくれるのが「いい人」「優しい人」という視野が狭すぎる価値観と判断基準は、勘違い甚だしいし大間違いです。
実年齢をいっさい問わず、総じてメンタルクソガキ幼稚園児レベルに対し、真っ当な人間は「まともな躾もできない親の顔が見てみたい。所詮、この親にしてこの子あり」と陰で揶揄り、避けているのが真実だったりします。
そうなりたくないのであれば、聡明な人間のせいにして逃げるのはもうやめるべきです。かろうじてこの世で生きていきたいなら。
あ、もうとっくに手遅れかもしれませんがねー(最後に直球ど真ん中をぶちこむこの性分をいい加減どうにかしたい)。