2024年3月11日|「愚か者は社会の邪魔だけはするな」東日本大震災から14年目に想う

東日本大震災発生から13年が経過した2024年3月11日の東日本大震災津波伝承館

2024年3月11日。

1年前と同じように穏やかな晴天に恵まれ、心地よい1日となった東京。思えばここ数年、3月11日は天候の良い日が続いている。

1年を経た変化といえば、素顔で歩く人が増えたことだろう。昨年3月13日から日本でもマスク着用が個人の判断に委ねられたが、コロナ後に自由を取り戻しているのは喜ばしいことだ。

午後2時46分。13年前の今日に想いを巡らす。

「また1年、経ったんだな」と、この1年間の歩みを振り返るたいせつな時間でもある。

1年前と同じように、ふとつぶやく、「今日の東北の様子はどうだろう?」。

あれから幾度となく繰り返してきたが、きっと日本中の多くが、同じ想いで現地の人々の健やかな毎日を願っている。

再び、あれから1年。そして、発生から13年。

1年前と同じように実感する、「まだ13年」。

変わりゆく景色と、変わらないこころを持つ人々の幸せを願いながら、今年も首都・東京で産声をあげた東京人として、強く誓う。

今年は3月11日から日を置いてつづるが、もちろん気持ちは変わらない。東北地方を中心に日本を襲った東日本大震災発生から13年が経った今年、想いを寄せながら感じること。

最大震度7を記録した戦後最悪の自然災害から13年

東日本大震災発生から13年が経過した2024年3月11日の早朝、福島県いわき市の海岸にて手をあわせる男性

画像出典:毎日新聞

日本国内の観測史上最大となるマグニチュード9.0、最大震度7を記録した東日本大震災が発生したのは、13年前の2011年3月11日のこと。

この地震の影響により、建物の倒壊が相次いだだけでなく、東北地方沿岸部を中心に巨大津波が甚大な被害をもたらした。

死者・行方不明者は1万8420人(2024年3月9日現在)。戦後最悪の自然災害だ。

たいせつな存在を失った多くの人々は、いまもなお、在りし日の記憶とともに毎日暮らしている。

1年前と変わらない「政治家と芸能人は似ている」に失笑

2024年3月11日、福島県主催の東日本大震災追悼式典後に取材に応じる岸田文雄首相

画像出典:毎日新聞

さて、ここからは毎年決まって東日本大震災にまつわる問題についてつづってきたが、残念なことに昨年と変わらない現実に直面した。

正確に言うと、ここ数年なにひとつ変化も進歩もない。むしろ悪化の一途をたどっている。昨年の記事をそのまま引用しよう。

あの日以来、当時内閣総理大臣を務めていた菅直人氏を筆頭に、歴代首相がお決まりのように口にするセリフがある。

「復興・再生に全力を尽くす」

さて、果たしてこれは真実だろうか。

どこまでも白々しく、いつまで経っても芝居が上達しない三文役者のようにしか見えない。そう思わせてしまった時点で失格ではないだろうか。

民衆の力には限界がある。なぜなら災害対策を含めた国家運営を行うことは不可能だからだ。

そこでわたしたちの代わりに、国の政を取り仕切る代表者として政治家に託す。つまり彼らはわたしたちの意思を汲んで選ばれた精鋭でなければならない。当然のことながら、高い倫理観や健全性・公平性は必須だ。

ところが、現実はどうだろう。あいも変わらず復興は滞り、あろうことかあらゆる手を駆使しながら己の懐に血税を溜め、使い込むといった暴挙が後を絶たない。

要は“我田引水”だ。透明性が高い現代社会において、最も醜く、侮蔑される生き方である。

「復興・再生に全力を尽くす」

古い表現だが、出来の悪い壊れたテープレコーダーのようだ。

2023年3月11日|「国を変えるのは国民の想い」東日本大震災から13年目に想う

こうした政治家……というより“政治屋”の姿を通し、すべてではないという前提で「日本の政治家と芸能人はよく似ている」と指摘する識者も少なくないと聞く。

言われてみるとそうかもしれない。

どちらも社会貢献や社会還元の意識が欠如し、特権階級であることをことさら喧伝する癖が酷似している。己の欲得に忠実で、災害すらもファッションアイテムや好感度上げのツールとしか捉えていない醜悪さが透けているのもそっくりだ。

「強さと美しさを兼ね備えている。よって普通の人間ではない」とうそぶくが、それは間違っても強さでも美しさでもない。「羞恥心の無さ」であり「社会人として大切なものが欠落した愚かさ」である。心理学でいう「共感性欠如」と断言してもよい。

特殊な世界でしか通用しない常識にとらわれた人間は、業界を問わず同じ道を辿るのかもしれない。社会を荒らすどころか、無駄な諍いばかり起こし、他者を踏みつけながら攻撃を繰り返す生産性のない人種は、実によく似ている。

そういえば政治家が乱痴気騒ぎを起こすパーティーとやらには、必ずといっていいほどお飾りとして芸能人が招かれている。思えば桜を見る会もそうだった。あらためて「なるほど」と納得した次第である。

そんな程度の低い悪質で愚鈍な生き物に成り下がるくらいなら、わたしは一生普通で結構だ。普通のなにが悪い。

2023年3月11日|「国を変えるのは国民の想い」東日本大震災から13年目に想う

明確なSOSを発する全国の被災エリアを救えない愚かな歪み

2024年1月1日に発生した能登半島地震で、倒れた電柱やがれきが積み重なる輪島市中心部

画像出典:東京新聞

今年2024年は、元日に能登半島地震が発生した。

【東日本大震災13年】「これは、2011年ではなく、2024年の日本」岩手日報のメッセージがグッとくる。能登半島地震と絡め伝える|ハフポスト

災害発生時に最も重要なのは、迅速な救助活動とともに被災された方々のバックアップだということは、業界や立場を問わず真っ当な社会人として日本社会に帰属し、まともな思考を有していれば想像は容易い。加えて、地震大国である我が国の歴史と経験からも嫌というほど学んできている。

にもかかわらず、必要とされる仮設住宅のうち1割強が未着工。さらに石川県内の断水は、いまだ3780戸にのぼる(2024年5月1日現在)。

よく考えてみてほしい。はたして税金とは、誰の、なんのためのものだろうか?「困ったときはお互いさま」の“相互扶助”の精神をもとに、多くの国民が日本社会の一員として納めている貴重な財源ではなかったのか?

現実はどうだろう。なぜ困っているところに使われないのか?東北やこれまでの被災地のみならず、これだけ明確なSOSを発している地域を救わずして国が良くなるとでもいうのか?

もちろん、物事には限界があることは重々承知している。まして我が国は、嘆かわしいことに世界トップクラスの借金大国だ。

そして、その背景にからみあう問題も把握している。そのうえで、政治家や、彼らに酷似した芸能人に対して嫌悪感を超越した悪感情を抱くようになった。

なぜなら、諸悪の根源だからだ。もっと言えば「こんな状況になるまでやりたい放題やらかしてきたお前らにすべての責任がある」。

芸能人への同情心がなくなった当事者たちの変わらぬ悪質性

東日本大震災から13年を迎えた2024年3月11日、犠牲者や被災者へのメッセージを映す新宿アルタ前の大型ビジョン

画像出典:ロケットニュース

SNSが浸透した昨今、以前に比べて著名人が直接声をあげる機会が増えている。

人間心理としてマイナスの話題になればなるほど関心を呼ぶせいか、古くはゴシップ誌、最近では暴露系インフルエンサーが暗躍。「人の幸福は毒の味、人の不幸は蜜の味」の層を煽動しながら、「さあ叩け」と言わんばかりに、事実を捻じ曲げ面白おかしく報じる。

その裏側に透けて見えるのは、いつだって醜悪でいびつな高笑いだ。

著名人のSNS活用でプラスに働くのは、こうした悪意や軽はずみさで特定の人物に不利益を被らせ、己の利益や注目を集める悪質手法への対抗手段としてのケースが目立つ。

この活用法については著名人側に落ち度など一切ないどころか、むしろ積極的に動いたほうがいいと個人的に全面バックアップしたいほどだ。なにしろ昔から生産性が皆無、かつ嫉妬をはじめとする醜い感情による悪質行為を即切り捨てるくらい、断固として認めない性分ゆえに。

ただし残念なことだが、著名人、とりわけ芸能人の頭を悩ませるこの手の問題について、被害者である芸能人への同情的な視点を失いつつある。

その理由は、自分たちも悪意や軽はずみさで特定の人物に不利益を被らせ、己の利益や注目を集める悪質手法としてSNSの乱用を続けているためだ。

勘違い甚だしい愚鈍な有り様のひとつとして、「一般人は芸能人の引き立て役」「都合よく利用しながら蹂躙し笑いものにしてなんぼ」との内心が透けて見える。いつだって醜悪でいびつな高笑いとともに。

もちろんすべてとは言わないし、立場や知名度を活かして社会貢献・福祉活動にもいそしむ真っ当な芸能人には「十把一絡げに見られて気の毒だな」と慮る気持ちしかないが、「自業自得」と遠巻きに冷めた目で軽蔑する芸能人が少なくなくなってしまった。

間違いだらけのくせに批評できる立場だと思い込める滑稽さ

2024年3月11日、東日本大震災の犠牲者らを悼み、輪島市役所の屋上に掲げられた半旗

画像出典:朝日新聞デジタル

あるときは己の子どもとして、あるときは己のペットとして、あるときは己の道具として、あるときは己の養分として、あるときは己の奴隷として。

間違いだらけのくせに、育成・指導・改善と称し、ただの揚げ足取りでマイナス評価を連発。我が国の経済や学力を長期停滞させている悪しき要因でもある、誰の役にも立たない減点方式でご満悦の繰り返し。

あげく「良い行いをした」「良い方向へ導いた」と歪んだ思考で思い込み。反論されて都合が悪くなると「ただの釣り行為に引っかかった馬鹿ども」「悪いのはすべて相手(あなた)」などと嘲笑も。

マネジメントのマの字も身につけていないどころか知らない・理解できない分際で、とんだ勘違いである。

もっとも彼らはアドルフ・ヒトラーやマリー・アントワネットと酷似しているので、相手の人権毀損や社会的殺戮は常識なのだろうが。

そして彼らによく似た信者たちは、彼らに媚びを売り、模倣することで、彼らから評価されSNSで取り上げてもらえるので、イコール社会的地位が向上し優秀な人材になったと無様な思い違いでふんぞり返る「虎の威を借る狐」だ。

教祖も信者もそろって、いけしゃあしゃあと調子をこく癌細胞でしかない。

その被害者のひとりがわたしである。

なんの関係性もないどころか、長年世界市場で確固たる実績を積んでいることも影響し、芸能人に特別な思い入れをもたず「人は誰もが対等」を貫く人間に対して、いつまでもしつこくネチネチとうっとうしく。

仕事柄、真っ当かつ超優秀なクライアントに囲まれ、気持ち良いメンバーで社会貢献を当然として日々業務にあたっているが、ごくまれに彼らの影響をもろに受けた人間、いわゆる信者にかかわると圧倒的なレベル差に愕然とする。「仕事の能力以前に、人間としてここまで違うのか」と。

悪意や軽はずみさを指摘されるたびに、「そんなに怒らないで」「悪いのはすべて相手(あなた)」ですべて許され逃れられると勘違いできる、愚鈍で劣悪な未熟極まりない生き物たち。同じ過ちを繰り返せば繰り返すほど、多方面から恨みを買い続けている取り返しのつかない現実と向き合うまともさもなく。

「ひとり残らず滅亡すればいい。役に立たないお荷物だし害悪だから」と失笑が増えたのは、人間として当然だと思ってほしい。もし自分がやられたらどう感じるか?を想像できなければ、特に役者や音楽家なら失格どころではないはずだ。

そんな程度が低く陳腐な想像力や共感力で、一体どんな人物を演じることができようか?誰のこころに響く歌を歌うことができる?

社会に是正を求める前に繰り返すだけの自分たちの悪事を改めよ

2024年3月11日、東日本大震災の犠牲者を悼み、茨城県北茨城市大津町五浦の五浦岬公園にある展望慰霊塔前で手をあわせる市民たち

画像出典:毎日新聞

つい最近も「誰しもが被害者であり加害者になりうる時代。自分の発する言葉と書き込む言葉の鋭さの違いを考えてほしい。芸能人は殴りやすいが、人間であることに変わりはない」といった内容の発信をした若手役者が話題になっていた。

ゴシップ誌や暴露系インフルエンサー、それらに伴い捻じ曲げられた情報を鵜呑みにして誹謗中傷に明け暮れる層に対する注意喚起と多くに捉えられていたが、確かに悪質極まりない人間たちの横暴に傷つけられる姿をこれ以上見たくないし、早急に対策すべき問題だと実感している。

ただ、もうひとつわたしに言わせれば「自分たちはどうなのか?と襟を正す。こちらはいつになったら実行するのか?」とも思えてならない。すでに極めて冷めた感情で。

繰り返すが、明らかに日本の芸能人に対して同情心はなくなってしまった。ここまで醜悪な行為を繰り返されると、どれだけ自分たちが一般社会人に危害を加えているのかいつまで経っても理解しないのは、確信犯だと判断せざるを得ない。

ずいぶん自分たちを高尚な存在だと信じてやまないようだが、特異なビジネス界で生きるわたしからすると「娯楽産業に属する人間たちの、救いようのない勘違いであり思い上がり」としか言えない。

そしてこの「救いようのない勘違いであり思い上がり」こそが、芸能人が一般社会人を見下す悪癖をやめられない根本原因だ。その醜く下劣な姿は、政治家と実によく似ている。

そろそろ芸能人へのバッシングが起こりやすいもうひとつの原因にも、目を向けたほうがいいのではないだろうか?なによりも、自分たちのために。

さらなる物価高にあえぎ、治安も悪化し、困窮や恐怖に怯えるなか、あらゆる問題への具体的対策も乏しく己の欲得のみで突っ走り続ける政治家への憎悪に等しいと、なぜいまだに気づけない?

自分たちを見下し嘲笑し続ける層を、誰が同情的に救おうと本気で思う?

悪いが社会はそれほど暇でもお人好しでもない。他者を踏みにじりながらその人生を自分に都合よくコントロールや利用できるなどと、身の程知らずの滑稽な勘違いはいい加減もうやめていただきたい。

迷惑どころではない。邪魔であり、害悪である。さしずめスズメバチだ。

「自分たちには影響力があるんだ!すごいんだ!」と訂正したいのであれば、スズメバチではなく核兵器と言い換えてもいいだろう。

この例えなら、影響力という点であなた方もご満足では?もちろん、これは大いなる皮肉であることを重々ご理解いただきたい。

「作品で元気にしたい」「プレーで夢を与えたい」は極めて傲慢

2024年3月7日、東日本大震災発生から13年となる日を前に、風化防止を目的に東京汐留のプラザ汐留シオサイト店前通路広場で行われたイベント

画像出典:毎日新聞

さらに具体的に、わかりやすく説明しよう。

能登半島地震の発生直後、よりにもよって発生から間もないタイミングで、別の若手役者のマネージャーによる「不安な毎日だが、彼女の笑顔で幸せな気持ちになってほしい」などととことんズレた発信があり、多方面から批判の対象となっていた。

もうこの際、ストレートに現実を見せたいのであえて言葉を選ばずに申し上げるが、それが誰の、なんの役に立つとでも?

また、別の若手役者は事あるごとに「世界を変えたい」と口にしていると聞く。当然のことながら、それに対する反応も「良い人」という類いの一方で、「考えが浅いし足りなすぎる」「いつも口ばかり」が圧倒的多数を占める。

どちらにも共通するのが、まともに社会貢献・福祉活動をしたことがないという事実だ。一度や二度はあるだろうが、継続して名前があがることはない。

だからこそ「まったく寄り添えていないから本質が見えていない」「本当に苦しんでいる人たちの気持ちをなにひとつ理解していない」と徹底して酷評される。要は「説得力が皆無」なのだ。

長年、経済活動と並行しながら支援活動に尽力してきた立場ゆえに、熱心な芸能人とそうではない芸能人は情報の入り方が大きく異なる。

残酷なようだが、彼ら、そして多くの役者も等しく「上から見下している」と捉えられても文句は言えない。具体的な活動もせず、「お上からのありがたいお言葉」を投げつけている構図では、「震災や事件・事故を自分の好感度上げや利益に利用している」とみなされるのは当然だ。

スポーツ選手も含めて、著名人が分不相応な高額報酬を得ている本当の理由は、能力に対してではない。得た大金から惜しみなく社会に還元し、その立場や知名度を活かしながら社会貢献・福祉活動を行い、より良い影響を及ぼすためである。

「出演した作品で元気にしたい」「自分のプレーで夢を与えたい」なども、正直なところ、とんでもなく傲慢でしかない。

これ以上、綺麗事でだらだらとごまかさないでいただきたい。分不相応な高額報酬を得ながら社会還元ができない、つまり身銭を切れないのは、単刀直入に言えば与えられた役目を果たせない失格者だ。

それどころか、これ以上変わらず一般社会を都合よく利用しようと続けるなら、もはやあなた方に生きる資格は一切ない。

「原作レイプ」なる表現で、他人様が心血注いで生み出した小説や漫画などの作品を映画・ドラマ化するにあたって、推したい役者や事務所の力関係、あるいは自己欺瞞や顕示欲、欲得により壊滅させ、駄作を連発する暴挙がまかり通っているのも、この業界にとって当たり前なのだろうと失望するようになった。

自分の利益や自己顕示欲、承認欲求を目的に、都合よく他人を利用する悪癖が常識であり日常茶飯事だからこそ、あらゆる場面で「人を馬鹿にするのもたいがいにしろ」との罵声が飛び交うやらかしが途切れないのかもしれない。

社会貢献・福祉活動をしなくてもいいから邪魔だけはするな

2024年3月11日、東日本大震災の行方不明者の手がかりを求めて南三陸町歌津にある泊漁港近くの海岸を捜索する宮城県警

画像出典:毎日新聞

我が国は地震大国のため、被害に見舞われ苦しむ人が後を絶たない。

にもかかわらず、我が国で影響力をもつ層ほど身勝手で足手まといでは済まず、社会貢献・福祉活動にいそしむ人間たちの足を引っ張り邪魔までするのはもはや不治の病だろうか。

冗談抜きで真面目なお願いなのだが、そろそろあなた方の身勝手極まりない横暴により、わたしを含めて多くの人生や活動を邪魔するのはやめていただきたい。

政治家や芸能人が一生知ることはないが、世界にはたったひとりで1000万人分以上の働きを担う超優秀な人間たちが存在する。彼らは自らの才覚や能力を社会や福祉に活かし、困難な状況にある人たちを救うためにも熱心に尽力している。

そして間違っても勘違いしてほしくないのは、あなた方は一生、ひとりの側ではないということだ。1000万人のなかでも最下層である。

政治家や芸能人が簡単に欲得に溺れ、流される場面でも、彼らは一瞬たりともなびかない。あなた方とは生きる目標や目的が大きく異なるためだ。

あなた方にできることは、たったひとつ。邪魔をしないことだけ。

極論を言うならば、寄付をはじめとする社会貢献・福祉活動なども一切しなくていい。最低限のそのレベルにすら達することができない人間にいくら求めても無駄だろうから。

その代わり、もうこれ以上、特異な能力を有する人間たちの邪魔だけはしないでいただきたい。

世界中で一刻を争う事態が続いているのに、いつまでも自分たちのことしか考えられない愚劣なあなた方に一生期待はしないから、せめて自己都合で能力者たちの人生や活動を妨げることはもうやめてほしい。その行為は人類の大いなる損失であり、同時に大罪である。

世界をより良く改革し、世界中の人々の人生を豊かにするイノベーションを起こすのは、いつだって能力者たちだ。これ以上その邪魔になることは、悪質な逆賊であり、世界の反逆者だという冷ややかな現実と向き合い、肝に銘じていただきたい。

世界を牽引し人々を幸せにしているのは、かつて迫害された側

ギリシア系ユダヤ人でホロコーストの生存者である両親をもち、2021年1月の国際ホロコースト記念日で両親のホロコースト時代の経験を初めて語った、新型コロナウィルスのワクチンで脚光を浴びているファイザーのCEOアルバート・ブーラ氏

画像出典:Yahoo! JAPAN

先ほどアドルフ・ヒトラーの名をあげたが、最後にヒトラー率いる当時のナチスドイツ軍が迫害という一言では表現できない、むごたらしい残虐非道の限りをつくしたユダヤについて触れておきたい。

なぜ、ホロコーストは起きたのか|ホロコースト教育資料センター

現在、世界を牽引するIT業界の雄、GAFAM(Google・Amazon・Facebook・Apple・Microsoft)をはじめ、マクドナルドやゴールドマン・サックスなど、世界の名だたるトップ企業を代表する創業者や中心人物には、ある共通項が存在する。

すべてユダヤ系なのだ。

世界を動かす“ユダヤ人”創業企業–次なるGAFAMを生み出すヒントは「イスラエル」に|CNET Japan

さらにコロナ禍の救世主となったファイザーのCEOアルバート・ブーラ氏や、映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏などもよく知られている。

ファイザーCEOアルバート・ブーラ氏、ホロコーストを生き延びた両親の経験を初めて語る|Yahoo!JAPAN

経済史に詳しくない人でもその背景をひもとけば、「世界をリードしているのはユダヤ」だという確固たる真実を理解できることだろう。

革新的なイノベーションは、常に彼らによってもたらされてきた。そして、それは今後もきっと変わらない。

もちろんイスラエルのパレスチナ問題など、ユダヤ人全員を称賛できるわけではない。ただ、前述のとおり、真っ当かつ優れた感性と能力をもって世界をプラスに導く活躍を続ける中心にユダヤが存在することは間違いないといえる。

当時、ヒトラーがユダヤを攻撃対象にしたのは宗教的な理由もあるが、その一方で明確なひとつが「ユダヤ人が極めて優秀だったから」と伝えられている。

この時期にはびこっていた、ユダヤ人を「劣った人種」とみなし、ヨーロッパ社会に同化すれば「優れた人種」であるアーリア人の血が汚されるという極めて歪んだ思想の反ユダヤ主義を利用したヒトラー。その結果、大罪として人類史に刻まれる忌まわしいホロコーストが起こった。

さて、現代社会ではどうか?この思想を「れっきとした間違いである」と高らかに証明したのが、当のユダヤたちだ。

世界をリードしながら、世界中の生活や文化、産業をより向上させ、人々の健康までサポートする。いずれも地球規模で展開が進む獅子奮迅の活躍である。

一方、かつて散々迫害した相手にドイツはなにひとつ勝ち目がない。そうそうたる企業や団体、人材がユダヤにより生み出され、そこに付け入る隙は一切ないのが現実だ。

結果的に、これ以上もなく建設的で合法的、かつ健全で痛烈な報復である。見事なしっぺ返しと言い換えてもいい。

長い時間をかけ、ドイツ側の子孫が続く限り延々と。どれだけ悔しく、惨めだろうが、この現実から逃れることは一生許されない。

イノベーションを起こし続け世界を牽引しているのは迫害を受けていた側という痛快な逆転劇は、あらゆる領域に存在する。視点を変えれば、迫害した側にとっては「一生知りたくもない都合の悪い残酷な現実」ともいえるだろう。

さあ、この現実に向き合えるのはいつのことだろうか?あなた方の大いなる過ちと残虐非道な行いの数々を、いつになったら改め、真人間として再出発できるだろうね?

正直に言うと、まったく興味などないが。あなた方がどうなろうが、もはやこれっぽっちも。

あなた方などすべてにおいてどうでもよくて、真っ当な多くの人たちがきちんと救われ、より良い人生を送れる世の中にするために能力を行使し、尽力する。これまで長年にわたって続けてきたように、さらに進化しながらこれからもずっと。

だからこそ「これ以上、邪魔はするな」って何度も繰り返し言ってんだよ。勝手に人の人生を荒らしてくだらないハンデ負わせてんじゃねえわ、出来損ないの愚か者ども。

人の存在を亡き者にしながら、いつまでもまとわりつくのが矛盾してんだよ。あなた方にとって無い存在で結構だから、一瞬たりとも関わらず話題にも出さないでいただきたい、うっとうしい。

今年も変わらず、気高く聡明に生きる決意とともに

東日本大震災発生から13年が経過した2024年3月11日の東日本大震災津波伝承館

画像出典:いわてTSUNAMIメモリアル

さて、今年も1年前の記事の結びを振り返っておこう。

「今年も変わらず、気高く聡明に生きる」

そう、違いない。そして、それは今年もやっぱりそうだ。

わたしは、愚鈍な罪深き者とは、一生決別する。穢れなき魂を持ち、たとえば被災地にもきちんと寄り添える本物のこころある人間さえいれば、もうそれでかまわないから。

「自分だけではなく、人のためにも動き、かつ気高く強く優しくあるための聡明な精神」を、これからも決してなくさない。

歪んだ愚かさとは相容れないと言い切れるわたしだからこそ、一年前と変わらず、そしてこれからの一年後も変わらず、現地に寄り添うことを忘れないよう、強く強く、願っている。

現地のみなさんにとって、過去や未来ではなく、毎日の「今日」という日が、どうか最良の日でありますように。