2017年3月11日|「心に寄り添うために」東日本大震災から7年目に想う

2017年3月11日。

静寂をまとった東京の空は、時折曇らせた表情がまるで、あの日以降の現地を想うがゆえのようで、この空は確実につながっていることをうかがわせました。

再び、あれから1年。そして、発生から6年。

2015年3月11日|「“まだ4年”の意識が大事」東日本大震災から5年目に想う 2016年3月11日|「東北は絶対に負けない」東日本大震災から6年目に想う

あれから1年の今日も「まだ6年」だ、と。それはこの日本に生まれ、実は誰もがみんな危険と隣りあわせで、「お互いさま」として助けあい、支えあうからこそ、強く誓うことです。

東北地方を中心に日本を襲った東日本大震災発生から6年が経った今日、想いを寄せながら感じること。

大規模災害のたびに諸外国から畏敬の念を抱かれる姿勢は、日本の美徳であり魂

日本は自然災害と闘う地震大国火山列島で、実は誰もがみんな危険と隣りあわせです。だからこそ、「お互いさま」として助けあい、支えあいながら生きています。

日本人が本来宿す国民性美徳は、古くからこの国を悩ませてきた特有の環境から養われたものではないか。阪神淡路大震災を境に芽生えた気づきは、東日本大震災でより一層強まりました。

大規模災害が起こるたび、諸外国から驚きとともに畏敬の念を抱かれる日本人の凛とした姿勢は、間違いなくこの国の美徳であり魂です。

クールジャパンとは、わざわざ政府が声高に叫び、迷惑極まりないほど海外にゴリ押しを続ける歪んだ誤りとはまったく異なり、自然と根づいているわたしたち個々にこそあるのだ、と。

美徳の悪利用、己の身勝手さで欲得に走る者が繰り返すのは、決まって派手な言い訳

ところが、昨今の日本には、この美徳を悪利用することはもちろん、己の身勝手さで欲得に走る浅ましさを疑問にも感じない下賤な者が少なくありません。

当然のことながら、下品な俗物は徹底的に批判されますが、俗物は俗物なりの口達者かつ儲け上手で、「日本は村社会だから異なる自分が非難される。自分の姿勢は海外では当たり前だ」と反論します。

馬鹿か、諸外国に土下座して謝れ、詫びろ(なんという正直な)。

これほど日本の足を引っ張る存在はいないし、下賤な自身を「海外では〜」などの暴論で納得させられると思い込んでいることに驚かされます。なぜそこまで人様を馬鹿にできるのだろう。

こういう輩は、清らかなせせらぎに垂れ流されるゴミと等しい存在であることに気づきません。ゴミ処理場でも受け付けてもらえそうにないので、まとめて始末したいなー(やめてください)。

東京オリンピックで金儲けをはかる政治屋や企業はもとより、日本人アスリートの傲慢さ

東日本大震災からの復興を目指す東北に目を移しても、こうした下品な俗物は暗躍しています。いや、暗躍どころか中央を闊歩するほど羞恥心皆無。比例するように優しさや人間性も皆無です。

毎年決まって「東北の復興を疎かにするくらいなら、東京オリンピックは中止でいい」と変わらぬスタンスを繰り返してきましたが、当然今でもまったく変わっていません。

それどころか、年々この想いは強さを増しています。東京オリンピックで金儲けをはかる政治屋企業はもとより、傲慢な日本人アスリートの存在を嫌というほど目にする機会が増えたことで。

明らかに既存施設の問題が多いのであれば、より良い環境の新施設建設を訴える気持ちはわかります。世界の舞台で闘い、メダルを獲得するという強い使命感がそうさせるのは当然でしょう。

若干「自分の言い分がすべて正しいと勘違いしていない?周囲はあなたをチヤホヤする召使いじゃないのよ?じゃああなたは社会にどう還元しているの?」との本音もダダ漏れさせつつ(笑)。

日本人アスリートは諸外国のアスリートと比較すると、社会への還元姿勢が欠如していることもこの本音につながっているのかな、と。社会貢献活動が少ない日本ならではでもあり。

もちろん、アスリート側の「スポーツ選手の立場が諸外国に比べて低い」という言い分も理解した上で。

セルフブランディングに忙しいアスリートが垂れ流す「自分の活躍する姿で元気になって」

どちらの言い分も考慮した上で、どうしても疑問符ばかりが浮かぶようになりました。「既存施設でも可能なことにまで、どこの顔色を伺いながら新設や改正を訴えているのだろう」と。

そのお金、どこから出ているか理解している?そんなに既存施設に文句ばかりつけ、馬鹿高い建設費をかけて計画変更し、新設したいのであれば、あなたたちのポケットマネーでやったら?

なぜなら、あの東北の一日を、そして現状を、どうやっても忘れられないからです。

本来、政府が陣頭指揮を取らなくてはいけない復興が疎かにされている事実が散見されるからこそ。優先順位を間違えてドヤられても、なにひとつも心に響きません。

日本人スポーツ選手の「自分の活躍している姿で元気になってもらえたら」という、ある種、傲慢な言い草が笑ってしまうほどに。

あなたが活躍するのは、あなたのお金のため。あなたが活躍することより、今日のご飯や安心して住める場所、幸せな人間関係のほうが、当事者にとって比較するのもおこがましいくらい大事。

それより、あなたの豪華な生活や関係を自慢げにSNSやブログに垂れ流すのはもうやめたら?それ、誰のためになるの?あなたのクソつまらない自慢話に付きあうほど暇な人間が多いとでも?

笑・わ・せ・ん・な・い・い・加・減・に・し・ろ(この上もなく本音すぎる)。

緊急時にもっとも役に立たない娯楽産業が驕ったらオシマイという現実に気づけない

日本人アスリートには、いつしか傲慢さんが増えました。ネット評論家に成り下がってしまった選手も、残念ながら少なくありません。そして、そのことに当人と家族、関係者は気づかないという恐ろしさ。

無関係なことにまでいちいち無駄に首を突っ込み、自分がお偉い立場だと吹聴しながらあほヅラ晒して暴論を押しつけ、それを信者が、さも世界中が賞賛しているとばかりにもてはやす。

揃いも揃って、井の中の蛙大海を知らず(ボソッ)。

あなたは誰のおかげで成り立っているの?緊急時にもっとも役に立たない娯楽産業が驕ったらオシマイ。あの日の現実を忘れ、無駄なものを垂れ流しドヤるのはやめていただきたい。

これは、わたしの嘘偽らざる本音です。あの日と今の東北を忘れないひとりとして。「お互いさま」のための財源を納めるひとりとして。

福島からの避難者への集団人権侵害をやらかす、この世でもっとも忌み嫌われる愚か者

上から見下ろしながら「施してあげる」などとブサイクヅラを平気で晒す同情ほど無礼極まりないものはありません。それなら、なにもやらない、いっさい関わらないほうがマシ。存在が迷惑だから。

そうではなく、人間は誰もが「お互いさま」です。決して他人事ではない。いつ自分が同じ立場になるかわからない。「人間は対等である」の真意はここにあるのでは?と実感します。

例えば、福島原発がつくっていた電力は関東圏のものでした。つまり、関東圏に住む人間は、真っ先にサポートを名乗り出てもおかしくないほどお世話になったということ。

反対に、関東圏が東北経済をカバーしている中で、関東に災害が発生したときはサポートをお願いすることになるでしょう。もちろん、共存関係ではなくても、持ちつ持たれつは人類の自然な姿です。

ところが、あの日起こった事故により、福島から関東圏に避難してきた子どもに対し、助けるどころか、イジメという名の集団暴行や集団人権侵害という下等生物の行いが発生しています。

これは、人間が本来、当たり前に備えるべき「人間は対等である」という真意を逸脱した、もっとも愚かな行いです。そしてもとを辿れば、集団犯罪者の親がもっとも悪質で馬鹿すぎるという真実。

放射能が移る」など、指をさされ全世界から嗤われる誤りだらけの御託で人を傷つけることを繰り返すその親子は、簡単に言ってしまえば無知です。どうしようもなく頭と人間性が悪い。

無知とは愚かなだけではなく、時として害悪です。この世でもっとも忌み嫌われる下賤な者として、この世でもっとも役に立たない阿呆共として。

金儲けに走り、放射能の誤った知識をばら撒く“放射脳学者を忌み嫌う、真っ当に研究を続ける先生方は、この問題の早期改善をはかるためにも正しい教養を積極的に発信していただきたいと願います。

なんなら「放射能が移るなどとほざく阿呆共こそ、馬鹿が移る役立たず」くらいに徹底的にやってオケー(だからやめてください)。いや、ほら、毒をもって毒を制す(だからやめてくださいって)。

優しさと結果主義を履き違えた人が、この世を荒らすことでその真実を証明している

そんなの綺麗事だよ。人間なんて自分勝手で醜い生き物だから」と、斜に構え、ひねくれることで、さも人生を悟ったような派手な勘違いばかりを繰り返す甘ったれた馬鹿野郎が大嫌いです。

あっさりと吐き捨て、見限るほどに。「これだから甘ちゃんは役に立たない」と。

命は儚いからこそ、なによりも優先されるべきもの。その本物の真意は、きっと間違いなく、経験がなければ理解できない崇高なものなのかもしれない。最近あらためて実感することが増えました。

優先順位を間違えているくせに、さも有能で常識ぶった愚か者を目の当たりにするにつけ。

あまり細かく語ることではありませんが、幼いころから人の生死の闘いを支え、共に打ち勝とうとする経験を重ねてきました。勝利のみならず、悔しさで張り裂ける最期の慟哭を忘れることも一生ありません。

そんな幼少期からの自身の経験や考えを「崇高だ」などと声高に喧伝するつもりはいっさいありません。だからこそ、その上であえて言いたい。

命の危機に晒された人を助けられずに、不慮の災害や事故で忘れたくても忘れられない別れを負った人を思いやれずに、人間として胸を張って生きることができるなど勘違いも甚だしい

今の日本には、著名人を筆頭に、優しさと結果主義を完全に履き違えた人が増えています。もっともこの世を荒らすことで、その真実を証明していることにも気づかずに。

わたしはもともとスポーツが大好きですが、たとえ著名アスリートであっても、侮蔑の感情には素直です。それが勝る場面が増えれば増えるほど、相手の人間性の愚かさを憐れむほどに。

根づいた想い。過去や未来ではなく、毎日の「今日」という日が最良の日でありますように

2017年3月11日。

再び1年という時を積み重ね、振り返ったことで、ふとした瞬間に「今、どうしているかな?」と気にかける日々を過ごしたことに気づきました。

日本という大きなチームの仲間として。ごくごく当たり前に根づいたことが、実はなによりたいせつなことなのではないか。自然災害が頻発するこの国で、そう感じています。

一年前と変わらず、そしてこれからの一年後も変わらず、現地に寄り添うことを忘れないよう、強く強く、願っています。

現地のみなさんにとって、過去や未来ではなく、毎日の「今日」という日が、どうか最良の日でありますように。