今年も誕生日を迎え、年を重ねることを幸せに感じる日本人でありたいと願う

今年も再びこの日がやってきた。

などと、モノローグのような書き出しながら、あいもかわらず元気いっぱいに駆け回っていた2月16日。これこそアレですよ、ギャップ萌えってやつですよ(確実に違います)。

誕生日。ああ、誕生日。特に女性は「40歳を超えるとまったくうれしくない」どころか「30歳を超えたら死にたい」などと黄昏れる人も少なくない日本事情。

その常識をなんとかしたい。村社会ロリコン社会封建社会ジャパン。なんとかならなくてもわたしはその流れには一生乗らない。わが道を行くのだ!力強く永遠に!(キリッ←せんでええ)

年を重ねることを恐れず、気にせず、熟成させながら生きる人生の楽しさ

昔から、年を重ねることを恐れないというより、良い意味でいっさい気にせず、「人間も人生も熟成するほどに味が出る」などと、なんとなくうまくまとめちゃった文言でやけに楽しく生きています。

オマエはワインか!」とツッコまれようが、ゴールキーパー神セーブからのカウンターのごとく「その通り!」。二の句を継がせない速攻返しが得意技。

もしかして、これって「デキる人間」ってやつじゃないんですかね?(だから確実に違います)



グローバル化や世界展開ビジネスを語る前に、年齢差別の幼い価値観を修正すべき

冗談さておき。幼いころから人生を謳歌している大人に囲まれ、時として悩みもがきながら、それすらもすべて内包し、充実した表情で自分の道を歩く。

そんな尊敬する多くの存在のおかげもあって、自立しながら年を重ねることで、さらに豊かになる幸せな生き方を味わってきました。

なぜ日本は年を重ねることをダメだと決めつけるの?見せかけの“若さのみの美しさ”にすがりつかないと息をしちゃいけないだなんておかしい」と。

グローバル化だの、世界で通用するビジネスだの豪語する以前に、人間としての在り方から意識改革が必要じゃないのかな。とりわけ、世界で笑われている、特に日本男性のロリコンメンタル。

自分だって年を重ねて老いるくせに、なぜ女性が年を重ね、老いることを揶揄るだろう?「劣化」など下品な表現まで用い、容姿の変化や年齢で格付けする。幼稚園児にも劣るその考えなしの言動よ。

だからいつまで経っても、頭も心も中身空っぽなくせに、無駄なプライドばかり高くした馬鹿女どもが、社会的に生きることをせず、成長せずに寄生虫そのものとしてのさばり、日本経済ごと悪化させているのに。

バッカじゃなかろかルンバ!(オマエはノムさんか)



幼稚園児のほうが賢くやさしい、容姿を馬鹿にする日本の腐った大人の悪癖

大前提として、「自分がやられて嫌なことを人にやらかす人間が大嫌い」なわたしは、男性が女性の、女性が男性の、加齢を主な原因とする容姿の変化を馬鹿にすることを侮蔑しています。

もちろん、男性が男性の、女性が女性の、も言わずもがな。

そういう人間に出くわしたときのわたしの内心をその相手が一から十まですべて知ったら、二度と舐めた口が聞けなくなるほどに(そんな分野で本領発揮するのはやめてください)。

やらかし度が増すほど、「先のないつまんねえ人生しか送れない、精神的田舎者のチンケな井の中の蛙。大海知らない蛙はどけ、邪魔、役立たず」くらいは最初の一歩です(だからそんな分野で以下同文)。

ブスだのハゲだのデブだのジジイだのババアだの。イマドキの幼稚園児ですらもつかわない、幼稚園児のほうがよっぽど聡明。

あげく最底辺レベルのくせに、妄想やSNSマウンティングで自分を高みに置き、一生敵わない人間たちを子ども扱いして焦燥感を必死でごまかす。

めんどくさいからまとめて殺虫剤で始末してやろうかな(やめてください)。



人に対して身勝手で一方的な要求をしたがる日本人は、世界で取り残される

日本人は、自分はやりもしない、あるいは自分がやっているからといって、人に対して身勝手で一方的な要求をしたがる人種だな、と。ここ最近あらためて実感しています。

あなたがやってから偉そうなことを口にしては?」。あるいは「あなたのやり方が正義でも正しいわけでもないのでは?」。

でも、悲しいかな、永遠に学習できない落ちこぼれさんは落ちこぼれさんのまま。つまらない価値観にとらわれ、人の目を無駄に意識し、くだらない攻撃をつづけ、焦燥感をますます倍増させる。

日本人は勘違いをしています。世界中どこにいっても、年齢による格差なんてありません。その代わり、落ちこぼれさんが逃げだしたくなるほど存在するのは、人間性による格差です。残酷なほどに。



“逃げ恥”こと「逃げるは恥だが役に立つ」で百合ちゃんが広く世間に知らせたこと

逃げ恥今夜最終回!『逃げるは恥だが役に立つ』で久々に連続ドラマにハマった理由

多様性を軸に『逃げるは恥だが役に立つ』が描いたコンプレックスからの解放

昨年末、多くの視聴者を楽しませた“逃げ恥”こと「逃げるは恥だが役に立つ」。その中で、石田ゆり子さんが演じた百合ちゃんの名台詞が「その通り!」と超共感するものでした。

百合ちゃんを愛したことで、恋する学生のような純粋さをもつ誠実な男性に変わった風見さんにアプローチする、内田理央さん演じる20代中頃の「若さにだけとらわれ、老いを馬鹿にする女子」に対し、口にした想い。

「わたしが虚しさを感じることがあるとすれば、あなたと同じように感じている女性がこの国にはたくさんいるということ。今、あなたが価値がないと切り捨てたものは、この先あなたが向かっていく未来でもあるのよ。自分が馬鹿にしていたものに自分がなる。それって辛いんじゃないかな。

わたしたちのまわりにはね、たくさんの呪いがあるの。あなたが感じているのもそのひとつ。自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい。」

日本はもっと、「男性は女性にやさしく。女性は男性にやさしく」なっていい

日本はもっと、「男性は女性にやさしく。女性は男性にやさしく」なっていいんじゃないかな。

奥さんをまともに褒めることもせず、「うちのはそんなに綺麗じゃないしババアだから」だの「愚妻」だの平気で人前でけなす男性も間違っている。

旦那さんにお金を稼いでもらっているのに、自由に使えるATM扱いし、「亭主元気で留守がいい」だの「存在が薄いハゲ」だの見下す女性も間違っている。

自分だって完璧じゃないのに、人には完璧を求めたがり、自分はまともに努力もしないくせに、人のあら探しに躍起になり、必死にダメ出しを繰り返して自分が偉くなった勘違いばかり繰り返す。

自分だって年を重ねるのに、人が年を重ねることを中傷し、自分だってアンドロイドみたいな作り物の完璧な容姿じゃないくせに、人の容姿を醜い己の狭い視野でとらえて罵倒する。

こんな人間たちがいつまでも我が物顔でのさばっている限り、この国の経済成長も、国民性の成熟もありえない。いつまで経っても、欧米諸国どころか全世界から置いてきぼり。

めんどくさいから、いつまでも足を引っ張るしか能がない馬鹿連中は、まとめて沈めてやろうかな。必殺仕事人結成して(オマエはそこまでいくと徹底的に容赦しないからやめなさい)。

幼いころに思い描いた未来よりずっと、幸せな人生をおくる自分を愛する

そうは言いながらも、少なくともたったひとつ、「人間は間違いなく平等だ」という法則がこの世に存在します。確実に淘汰する、ある意味、残酷なまでのはっきりとした法則が。

自分も人も尊重したやさしい生き方をつづける人間は、容姿や貧富、年齢などの低すぎるレベルでは決してはかることができない、やさしく幸せな人生を歩む。

反対に、自分も人も騙し、裏切りつづける、つまらない生き方がやめられない人間は、結果的に自分にも人にも騙され、裏切られる、つまらない人生にしかならない。

そしてわたしは、年齢や容姿、収入や社会的ステイタスにとらわれない、ひけらかさない、ひとりの人間としてみずみずしく生き、誠実に人に対する男性女性にしか出会わないし、そうじゃなければ出会ってもつづかない。

そんな人生観価値観人間性をつちかってきた、自分自身の生き方が大好きです。誕生日だからこそ、たまには素直にそうつづりたい。

45歳。昔、幼いころに思い描いた未来よりずっと、自分なりに自分と人をたいせつにし、素直に幸せに笑いながら生きているわたしを、誰よりも誇りに思っています。

素直に誇れる自分を愛してくれるすべての人に、感謝と愛情をそそぎつづける次の一年をまたはじめることを、あらためて誓いつつ。