2021年3月11日|「名もなき一般人は国の尊い財産」東日本大震災から11年目に想う

2021年3月11日午後3時16分。東日本大震災の犠牲者を追悼するため、震災遺構となった宮城県仙台市若林区の荒浜小学校の校庭から空に放たれた風船

2021年3月11日。

抜けるような青空が広がった東京では、今日もマスク姿の人々が行き交っていた。昨年以降、それが通常の冬場から春先の様相とは異なることは、誰もが苦渋を抱えながら認識している。

午後2時46分。10年前の今日を思い出す。

ふと、誰からともなく自然と祈りを捧げ始め、その輪が静かに広がっていく光景が印象的だった。

帰宅後、ウェブニュースに目を通すわたしの意識に引っかかったのは、現在でも全国で4万人以上が避難生活をおくっている現実。

なお4万1000人避難 人口流出、伝承に課題―東日本大震災、11日で10年|時事ドットコム

否応なしに突きつけられる。“もう”10年ではない、“まだ”10年なのだ。10年経ってなおこの状況に、こらえきれない涙があふれてくる。

なにげなくつぶやく、「今日の東北の様子はどうだろう?」。

あれから幾度となく繰り返してきたが、きっと日本中の多くが、同じ想いを巡らせている。

再び、あれから1年。そして、発生から10年。

2015年3月11日|「“まだ4年”の意識が大事」東日本大震災から5年目に想う

2016年3月11日|「東北は絶対に負けない」東日本大震災から6年目に想う

2017年3月11日|「心に寄り添うために」東日本大震災から7年目に想う

2018年3月11日|「マウント病は国の欠陥」東日本大震災から8年目に想う

2019年3月11日東日本大震災発生から8年が経った現地の様子 2019年3月11日|「国の迷走を横目に誓う」東日本大震災から9年目に想う

東日本大震災発生から9年経過した2020年3月11日、宮城県名取市の震災メモリアル公園上空にかかった虹 2020年3月11日|「日本人が試されている」東日本大震災から10年目に想う

1年前と同じように実感する、「まだ10年」。

変わりゆく景色と、変わらないこころを持つ人々の幸せを願いながら、今年も首都・東京で産声をあげた東京人として、強く誓う。

東北地方を中心に日本を襲った東日本大震災発生から10年が経った今日、想いを寄せながら感じること。

被災者ひとりひとりの本音が正解でそれ以外必要なし

2021年3月11日午後3時16分。東日本大震災の犠牲者を追悼するため、震災遺構となった宮城県仙台市若林区の荒浜小学校の校庭から空に放たれた風船

画像出典:朝日新聞デジタル

日本国内の観測史上最大となるマグニチュード9.0、最大震度7を記録した東日本大震災が発生したのは、ちょうど10年前の今日のこと。

この地震の影響により、建物などの倒壊が相次いだだけでなく、東北地方沿岸部を中心に巨大津波が甚大な被害をもたらしたことは、いまもなお記憶に新しい。

現地の想いはさまざまだ。

「人は辛い記憶を抱え続けたら壊れてしまう」とのやりきれなさから「忘れたほうがいい」という声が聞こえてくる一方、行方不明の家族や恋人、友人を待つ人々や、風化を恐れ、忘れてほしくないとの願いから「決して忘れたくない」と繰り返す人も多い。

それはどちらも……いや、違う。さらにひとりひとりの気持ちに寄り添い、じっくりと耳を傾ければ、二択どころでない千差万別の答えが返ってくる。

だからこそ、そのすべてが正しい。ひとりひとりにとって、その正直な本音こそ正解ではないだろうか。

なぜなら、その経験を負ってもいない人間が「こうしましょう」などと“上から目線”で語り、さも「自分は導く存在だ」と勘違い甚だしい特権階級意識で物言いする愚鈍さ自体、このうえもなく見苦しく、ピントがずれているどころか邪魔でしかないからだ。

要は、「なにからなにまで浅はかすぎるし、土足で踏みにじっているに過ぎない己の愚かな行為をいつまで経っても認識できず、己の醜さと向き合えないその出来の悪さでは、なにひとつ語る資格すらない」のである。

悪気がないから許してくれだの問題ないだののお話ではない。いつまで経っても同じことを繰り返すどころか、改めることすら放棄している出来の悪い連中が、無駄な影響力で悪影響を及ぼす妄言を垂れ流すその浅ましさは、すでに大罪だ。



命より己の自己顕示欲を優先させる連中が滑稽な現状

2021年3月11日午前10時4分。参院予算委の冒頭、東日本大震災の犠牲者に祈りをささげた議員ら

画像出典:朝日新聞デジタル

東日本大震災の発生後、このブログをローンチしてからというものの、毎年必ず3月11日に筆をとってきた。

2011年のあの日以来、続けているのは、ささやかながらではあるが自分なりにできる寄付の継続と、復興協力活動、そして記事化だ。「風化させない一助に」、それから「来年のこの日までの自分の想いを再認識する」ためである。

今日、これから1年間の決意も新たに記事を書くにあたって、ちょうど1年前のそれを再読してみた。そこにはこんな見出しが並んでいた。

  • 東日本大震災追悼式を中止にさせた新型コロナウイルス
  • 人の命と健康を優先させれば最悪の事態は防げる
  • 防げた人災を防がない欺瞞ほど愚かなものはない

毎年3月11日の想いを吐露するのは、文字通り“吐き出す”行為に近い。「なぜ人間として重要で、なにより基本的なことができないのだろう?どこまで愚かなのだろう?」と、苛立ちや憤りを覚える現実が広がっているからである。

命より尊いものなどないはずなのに、その多くの命を軽んじながら金儲けに走り、自己顕示欲を満たす画策を繰り返す。たかだかしょーもない己ごときの欲得に突っ走る惨めな本性を露わにしながら。

自己顕示欲とは、承認欲求が強く、自分のことを認めてもらいたいあまりに主張したくなる欲求のことである。では承認欲求は?というと、「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」欲求のことだ。

あえて辛辣な表現を選ぶが、他者軸でしか生きられない哀れな生き物と言い換えてもいい。なぜ辛辣になるかは、昨今、自己顕示欲に狂った連中は、SNSなどを駆使し、他者に被害を被らせるところまで常套手段だからである。

つまり、もはや存在が害悪なのだ。これほど社会で使えないどころか邪魔な連中はいない。「他者から認められたい」と焦燥感で暴走を繰り返した結果、もっとも無価値な存在に成り下がったのは滑稽ともいえる。



期待が無意味な政治“屋”に等しい芸能人・スポーツ選手

2021年3月11日午前9時39分。東日本大震災発生から10年が経過し、半旗が掲げられた国会議事堂

画像出典:朝日新聞デジタル

国の政を取り仕切る政治“屋”さん方には、もはや「期待しても意味がない」と諦めたほど、能力不足極まりない体たらくぶりを見せられてきた。

と同時に、芸能人やスポーツ選手といった準公人に向ける冷めた目がそれに近い。というより、対象によっては「もはや完全に同質」といっても過言ではない。

たかだか準公人というだけで、社会で役に立つ能力や資質、真摯な姿勢がなにひとつないにもかかわらず、「一般人は普通」と蔑み、見下し、「一般人に比べて自分は優秀」と己の自慢に明け暮れ、マウントを繰り返す。

災害すらも己を格上げする(正確には“格上げしたと思い込んでいるに過ぎない”)材料に利用し、悲しげな顔をつくっては「皆さんのことを想っています」と嘘を書き散らかし、その実、心のなかで舌を出す河原乞食である。

今日も「この日を忘れません」「お互い助け合って生きましょう」などと、思ってもいない殊勝な言葉を並べ、デキる人優しい人アピールに余念がない投稿が散見されるはずだ。当然だろう、彼らの打算的な人生に3月11日を利用しない手などない。

その単純極まりないバレバレの浅ましさと愚かさが笑わせてくれる。どこまでも河原乞食だ。

社会で使えない連中の狂乱ぶりほど愉快なものはない。存在自体がブラックジョークである。

英国王室から離脱し、加害者の分際で被害者ヅラで金儲け目的の大騒ぎに興じる元妃の滑稽さにもよく似ている。知性も教養もなく、人間性も優しさも乏しく、社会性がない生き物ほど狂乱し暴走するのは万国共通かもしれない。



“普通の名もなき一般人”が伸びやかに生きる国の健全性

2021年3月11日午前11時44分。宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園にて、命を落とした市民ら3695人の名前を刻んだ慰霊碑の除幕式で、参列した多くの人が刻銘された名前を眺める様子

画像出典:朝日新聞デジタル

1年前の記事の見出しには、こう続けられていた。

  • 権力者ではなく日本人ひとりひとりが育んだ国民性

そう、わたしたちは一部の愚鈍で杜撰な連中のために生きているわけではない。そしてこの国を構成しているのは、彼らが上から見下しながら蔑んで称する“普通の名もなき一般人”である。

傷ついた人を癒せるのは、そう、人だけ。誰もがみんなお互いさま。我が我が、ではなく、少しずつ支え合い助け合う。

いま再び、日本人ひとりひとりの人間性が試されているような気がしています。

1年前のわたしも、そう記していた。すでにコロナ禍にあった1年前の3月11日、その後に続けたのはこうだ。

わたしたちは世界中のどこの国にも負けることがない、胸を張って世界一を名乗れる国民性の持ち主のはずです。東日本大震災発生時、あらためて世界から驚きとともに称賛されたその実績を色褪せさせてしまうのは、日本人としてあまりにも愚かではないでしょうか。

幼いころからこれまで、いまだに慟哭が耳から離れないほど、もがき悔やみながらこの世を去った多くの生死に携わってきたわたしだからこそ、断言できることがあります。

亡くなった人は帰ってはきません。でも、その生きた証として彼らの想いを片時も忘れず、残された人間たちが助け合いながら勇敢に歩むことで、彼らはともに生き続ける、と。

わたしは誰よりも人間の可能性を信じています。世界中が混迷しているいまだからこそ、「忘れない」「支え合い」を日本人が率先して行うべきです。

本来、世界一を誇る国民性を宿したわたしたちだからこそ、実はきっと、むずかしいことではなく、容易いはず。

わたしたちの人間としての尊厳や信念を軽んじる一部の愚鈍な連中など、もはやどうでもいいのだ。

彼らは不治の病ゆえに、これからも同じ過ちを繰り返す。その間違った姿勢や在り方を正せる優秀な人間たちを周りに置かないどころか、切り捨てていく裸の王様の群れなど、鼻で笑ってこちらから捨て置けばいいだけのこと。

わたしたちの真っ当な世界には、ルイ16世やマリー・アントワネットを褒め称え、常に優先させる無意味な忖度など存在しない。ましてやバカボンどもにプライドを折られ、自信をなくし、己を卑下する必要などどこにもない。

その現実を今こそ多くが認識し、社会の役立たずがくだらない自己顕示欲を満たすためだけに折った、真っ当な持つべきプライドを取り戻し、伸びやかに健やかに、堂々と生きていくべきなのだ。



準公人として体現するオリンピアン・羽生結弦の想い

2019年12月、GPファイナルのエキシビションで「ノッテ・ステラータ(星降る夜)」を演じる男子フィギュアスケートオリンピック金メダリストの羽生結弦

画像出典:スポーツ報知

「どいつもこいつも……」と多くに嘆かれる準公人のくだらなさが増えたなか、「準公人と呼ぶにふさわしい人はやっぱり救いかもしれない」としみじみ感じ入るのは、その経験を常に己の“我が事”として生きる人間の本心だ。

間違いなくそのひとりである彼、羽生結弦は、日本人として前人未到のオリンピック二連覇を果たしたフィギュアスケーターである。東日本大震災発生当時、宮城県仙台市内のリンクで被災し、家族とともに避難所生活も経験している。

「自身も被災したから」ではない残酷なまでの違いが、きっと手に取るようにわかるはずだ。「たとえ彼と同じ言葉を一言一句そのまま真似て発信したとしても、浅はかで愚鈍な人間からはなにひとつ伝わってくるものがない」と。

ここにその羽生選手の、東日本大震災発生から10年を迎えた想いを引用する形で紹介したい。

羽生結弦「頑張れ」に救われた 東日本大震災10年 1193文字に込めた思い

何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。

あの日のことはすぐに思い出せます。

この前の地震でも、思い出しました。

10年も経ってしまったのかという思いと、確かに経ったなという実感があります。

オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、被災地の皆さんとの交流を持てたことも、繋がりが持てたことも、笑顔や、葛藤や、苦しみを感じられたことも、心の中の宝物です。

何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、何が自分の役割なんだろう

そんなことを考えると胸が痛くなります。

皆さんの力にもなりたいですけれど、あの日から始まった悲しみの日々は、一生消えることはなく、どんな言葉を出していいのかわからなくなります。

でも、たくさん考えて気がついたことがあります。

この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも…

それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。

痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。

あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。

忘れないでほしいという声も、忘れたいと思う人も、いろんな人がいると思います。

僕は、忘れたくないですけれど、前を向いて歩いて、走ってきたと思っています。

それと同時に、僕にはなくなったものはないですが、後ろをたくさん振り返って、立ち止まってきたなとも思います。

立ち止まって、また痛みを感じて、苦しくなって、それでも日々を過ごしてきました。

最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。

こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。

数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。

幼稚な言葉でしか表現できないので、恥ずかしいのですが、本当にすごいなと思います。

本当に、10年間、お疲れ様でした。

10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。

まだ、癒えない傷があると思います。

街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。

まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。

簡単には言えない言葉だとわかっています。

言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。

でも、やっぱり言わせてください。

僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、

その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。

頑張ってください

あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。

本当に、ありがとうございます。

僕も、頑張ります

2021年3月

羽生結弦

(原文まま)

◆羽生結弦の2011年からの10年

▼11年3月11日 アイスリンク仙台で練習中に被災し、スケート靴のまま外に逃げた。自宅は全壊判定、家族で避難所暮らしも経験。
▼同4月 神戸でのチャリティー演技会で「白鳥の湖」を舞う。募金活動も。
▼同11月 ロシア杯でGPシリーズ初優勝。
▼12年3月 震災発生から1年の11日に「アイスリンク仙台復興演技会」に出演。17歳で初出場した世界選手権で銅メダル。
▼同11月 宮城で行われたGPシリーズNHK杯で優勝。
▼同12月 全日本選手権初優勝。
▼13年12月 GPファイナル初制覇。
▼14年2月 ソチ五輪で19歳で金メダリストに。
▼同3月 世界選手権初優勝。
▼同4月 仙台で凱旋パレード。9万2000人集まる。
▼16年1月 復興支援を目的とした「NHK杯スペシャルエキシビション」が盛岡で開催。「天と地のレクイエム」を演じる。
▼同12月 GPファイナルで男女通じて史上初の4連覇。
▼17年4月 世界選手権はフリーで10・66点差を逆転し、3年ぶり2度目の優勝。
▼18年2月 平昌五輪で男子66年ぶりの連覇。
▼同4月 仙台で凱旋パレード。沿道に10万8000人。
▼同7月 個人最年少23歳で受賞した国民栄誉賞の表彰式に地元の伝統織物「仙台平(せんだいひら)」のはかま姿で出席。
▼20年2月 四大陸選手権を制し、男子初の「スーパースラム」を達成。

■宮城リンクへ寄付

〇…宮城県のアイスリンク仙台が10日、羽生から211万6270円の寄付があったことをホームページで発表した。継続的に行われてきた自叙伝の印税の寄付の総額は、3144万2143円になった。同施設は「羽生結弦選手より今年もまた多額のご寄付をいただきました」と報告。「いつも地元仙台を深く愛され、また、『アイスリンク仙台』のことも、とても大切に思ってくださっています」と感謝の言葉を並べた。

引用:スポーツ報知

結局、人間にとってもっとも大事なのは、なにかあったときではなく、日頃の生き方や振る舞い。

遠い昔から伝えられてきたことわざのような教えを、羽生結弦という人は体現している。ただ競技の結果が秀でていればいいのではなく、ただ自身と身内が裕福にぬくぬくと生きられればいいのではなく、己を律しながら、どんな人とでも目線を同じくして社会的に生きる聡明さを忘れず尽力しているのだ。

その洗練された生き方の根底に存在するのは、準公人が社会の一員として、社会人の仲間として認められ、ひとりの人間として生きるために、なによりなくしてはならない資質である。

昨今の準公人煽動のマウント合戦は論ずるに値しないとまで断言し冷酷に切り捨てるわたしに言わせれば、これほど簡単なことはない。ただし、歪んだ自尊心の持ち主にはなにより難しく、一生持ち合わせることができない人物も少なくないが。

今年も変わらず、なにより真っ当な精神で生きる

2021年3月11日午後6時18分。岩手県大槌町にて、夜空に約700発の「鎮魂と希望の花火」が打ち上がり、高台にのぼった住民らから歓声があがった光景。眼下には整備の続く町並みが広がる

画像出典:朝日新聞デジタル

さて、1年前の記事の結びはこうだった。

  • 今年も変わらず、真っ当な精神を失わず生きる

そう、違いない。そして、それは今年もやっぱりそうだ。

今年も変わらぬ想いを抱きつつ。

わたしは、愚鈍な罪深き者とは、一生決別する。穢れなき魂を持ち、たとえば被災地にもきちんと寄り添える本物のこころある人間さえいれば、もうそれでかまわないから。

「自分だけではなく、人のためにも感じながら論じ、力強く動くことができる姿勢」を、これからも決してなくさない。

歪んだ愚かさとは相容れないと言い切れるわたしだからこそ、一年前と変わらず、そしてこれからの一年後も変わらず、現地に寄り添うことを忘れないよう、強く強く、願っている。

現地のみなさんにとって、過去や未来ではなく、毎日の「今日」という日が、どうか最良の日でありますように。