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ウッチー&健ファンはもとより、ウッチー&健ファン以外にまで妙なテンションで盛り上がられ、書いている本人が若干引くほど(うっかり本音)、ありがたいことにやけに好評な連載「内田篤人と佐藤健」。
これまで第1回、第2回と重ね、本日は第3回です。今回のテーマは「見た目は華やかだが中身は違う?!男は仕事に生き様が滲み出る」。
第2回で触れた外見と内面のギャップをさらに紐解くべく、イケメンだのスターだの称されるウッチーこと内田篤人&健くんこと佐藤健、両者の内面を色濃くうつす仕事ぶりに迫ります。
この連載の企画趣旨はこちら!
ウッチー&健ファンにおくる、冷やし中華ノリで連載「内田篤人と佐藤健」はじめます
イケメンの定義に回りくどい自薦など存在しない
前回つづった、間違いなく己のルックスのよさをわかっていないウッチーの生態が大きな反響を呼んでいますが、生息形態や傾向が異なるだけでタケルサトウも基本的に似たような要素を持っていると感じています。
もはや「後世のために手厚い保護を目的とした生息データを保存しておかねばならぬ」と覚悟を決めたいほど(オマエはトキ保護センターの担当役員か)。
ここで彼らのお姉さま・お嬢さまファンを中心に、広く女性のみなさんに問題です。
「この人、イケメンだわ〜♡」と実感して見惚れるレベルの男前は、わざわざ自分からルックス高得点をアピールしたり、自意識過剰で派手な性格や振る舞い、行動をしていますか?
どうですか?では、例をあげてみましょう。
- 街中で鏡を見つけるたびに、最速で駆け寄り、数分にわたって鏡前を占拠し、身だしなみのチェックどころか、やたらと表情とポーズを決めつつ、「オレって今日もバッチリイケてる!」のこころの声ダダ漏れ。
- 飲みの席やSNSで、「オレって周りから頼られまくってて〜」だの「オレがいないと会社がまわらないから参っちゃうな〜」だの「世界を変えていくには○○が大事なんだよね〜」だの、有能な人気者を演じるマウントトーク。
- 「やっぱ女の子は内面美人であることがたいせつだよね〜」と声高に喧伝しながら、仲間内で女性の顔と体型を片っ端から点数化し、「オレレベルにふさわしいのは彼女かな〜」などとエベレストより高い位置から品定め。
いやいやいやいやいや、どう考えたってこんなのお世辞にもイケメンとはいえないでしょ?
内心「オマエの存在ギャグかよプゲラwwww」でしょ?
「地球の空気吸わせてやるのがもったいないからとっとと逝け」でしょ?(本日も容赦なく畳みかける伝統の必殺技炸裂)
そもそも「オレってイケメン」などと、さりげなくだろうが回りくどくだろうが自薦したその時点で、すでにイケメンではないのですよ(断言)。
己のルックスに自信アリだけで済んでいるのなら、まだ周囲が鼻白むくらいでなんとかおさまるものの、この手のイケメンもどきが厄介なのは、クソ面白くもない有能&人気アピールのために周囲に貴重な時間の無駄遣いをさせることや、女性の点数化を含めた男尊女卑思考です。
例にあげたような残念な生物を発見したら、やんわりと「もどき」扱いし、無駄に高すぎる鼻をガッツリ折ってあげてください。もう二度とこの世で息ができないくらいやっちまってもOKです。
大丈夫、わたしが後押しします。いいぞもっとやれ(積極的に焚きつけるのはやめなさい)。
佐藤健と内田篤人をイコールで結ぶ仕事の実直さ
こうした「イケメンもどき」と対比した瞬間の清々しさといったら、ウッチーも健くんもまるで一服の清涼剤です。
そのうえであらためて振り返っておきたいのが、第1回から一貫して語ってきた「タケルサトウは世間の誤ったイメージを徹底的に変えるべし」。
どうにも「派手な性格と交友関係で、遊び方も激しい」と誤解されがちなタケルサトウさん。
確かに派手に女遊びを繰り広げ、それらを週刊誌にことごとくすっぱ抜かれてきた事実が影響しているという落ち度は否定できません。
でもね、いいじゃないですか。
チャラチャラ調子こいて女性を傷つけたなら問答無用でぶっ飛ばしますが、ほら、「据え膳食わぬは男の恥」って言うし、佐藤健から女遊びを除いたら佐藤健じゃなくなっちゃいますよ(まったくフォローになっていないことにいい加減気づけ)。
余談ながら、「佐藤健から女遊びを除いたら佐藤健じゃなくなっちゃう」の持論をポロリしたところ、多方面の大爆笑を生んだ投稿はこちら。
では、なぜわたしが「佐藤健は内田篤人と基本的に似たような要素を持っている」と感じているかというと、仕事における実直さです。
これ、間違いなくビジネスパーソンは共感する、もしくは佐藤健への印象が変わるキーポイントですぜ。
キャリアに目を向けると明確な実像が浮かび上がる
健くんは芸能人のため、交友関係も華やかに捉えられがちで、実際に交流している友人知人も、いわゆる“派手な世界の人間”が少なくありません。
加えて、前述の女性関係が逐一ゴシップ誌の餌食になり続けてきたこともあり、“タケルサトウ=女遊びが激しい”との方程式が成立。
こうした影響から、「なにからなにまで派手でいけ好かない」「世の中舐めて生きているイージーモードに違いない」と誤解される向きも。
ところが彼の場合、これまでのキャリアに目を向けてみると、世間のイメージとは大きく異なる実像が浮かび上がってきます。
現在では主演を張ることが多く、そのポジションの印象が先行する人にとって、常に華やかな道を歩いてきた“イケメン俳優”に感じるかもしれませんが、作品選びの手堅さは同世代の役者のなかでも群を抜くのが彼の大きな特徴です。
参考
佐藤健 (俳優) – WikipediaWikipedia
意外に思われる人も多いでしょうが……このルックスの持ち主で、主演級で育成されてきたにもかかわらず、あらゆる媒体を使ってプロモーションを展開する月9や、若い世代が注目かつ毎回高視聴率が期待できる枠の連続ドラマ主演はゼロ。
つまり、高下駄を履かせて売り込みをはかる、通称“ゴリ押し”と称される売り出し手法や、そう誤解されるキャリアの積み方を徹底的に避け、一般的な世間の目につきやすい派手なドラマ街道を意識的に控えてきている。
これが佐藤健の実像です。
事務所にとっては、連続ドラマや、お手軽内容の映画で消費されるキャリアを歩んでもらったほうが、目先の利益だけを考えたら儲かるし、確実に安牌です。でも、決してそうしなかった。
ひとえに佐藤健本人、マネジメント担当者、双方が冷静で賢かったからこそ構築できたキャリアといっていいでしょう。
ビジネスパーソンのキャリア構築に相当する基準
これまで健くん本人が多くのインタビューで語ってきましたが、彼の作品の選び方は「主演であることを優先しているわけではない」ということ。
ではなにを優先してきたかというと、「自分の格を上げられる作品」であること。
第1回・第2回で記してきた健くんに対する世間的なイメージや、取り巻く現在の環境を考えると、彼の言葉からも誤解が生じているとも感じるので補足しますが、健くんのスタンスがもっともしっくり来るのはビジネスパーソンのキャリア構築です。
それではここで、再度問題です。みなさんは転職やジョブチェンジにあたって、どんな要素を優先させますか?
- 新たなスキルを磨く。
- キャリアをブラッシュアップする。
- 就業環境のよい企業を選ぶ。
- 興味深い業界や職種に挑戦する。
- 市場における自身の価値を高める。
- 幼いころからの夢・目標を叶える。
人それぞれで答えはさまざまでしょうが、きっと、こういったところが中心ではないでしょうか。
そしてそれらはすべて、「自分が生き生きとしながら働く」に直結した、ごくごくシンプルな喜びであり希望のはず。
なんのことはない、彼がこれまで「自分の格を上げられる作品」を選んできたことは、ビジネスパーソンが仕事人生の節目節目において、今後のキャリアを熟考するなかで取捨選択する判断基準となんら変わらないのです。
賢さを裏付ける、己の意思できちんと決める潔さ
- どちらかといえば地味で玄人向けの、中身がしっかりとした作品であること。
- 主演にこだわらず、今後の可能性やキャリアを大きく広げる役柄であること。
出演作品からうかがえる傾向がこちら。脇役でも意に介さず、実直に“次につながる”キャリアを積み重ねてきていることは、実に“健くんらしい”要素です。
駆け出し時代を中心に若い女性向けのライトな作品にも出演しているものの、「いま、この役を演じることが大事」との視点を失わず、己の意思できちんと決める潔さは、健くんの賢さを裏付ける証でもあります。
こうした才覚や判断基準、視点、意思の強さはすべて、以前も指摘した「優秀なビジネスマンに匹敵するキャリア構築」を実現している素養です。
佐藤健がもっとも讃えられるべきは上質な本物志向
作品や役柄を料理にたとえるなら、ダイナミックな肉料理やイタリアン、手軽に食べられるファーストフードではなく、素材のよさを活かし、出汁や調理法、繊細な盛り付けにまでこだわる和食を選ぶ渋みが感じられるのが、彼の生き方です。
年を重ねるごとに、肉やイタリアン、ファーストフードは胃にもたれることから、口にするのを避け、食傷気味になるのに対し、特に日本人にとって和食は一生涯ともに生きる料理。
そしてそれは、決して内向きの文化ではありません。むしろ世界中で日本の食として高く評価されているのは、紛れもなく和食だからです。
世界的なムーブメントを起こした和食の文化は、そのブームに乗じた模倣品が各国で出回り、とてもじゃないけれど和食とはいえない劣悪な代物まで登場しています。
だからこそ、本物の和食がより一層、強く求められる時代に突入したのです。
模倣は所詮、模倣でしかありません。高下駄を履かされたゴリ押しや、イメージで売るプライベート切り売り商法が、圧倒的な才能や実力、人間性を前にした瞬間、もろくも崩れさる砂上の楼閣であるのと等しく。
佐藤健が役者の道を歩みだして以降、ブレずに培ってきたのは、役者としての才覚や技術はもちろんのこと、もっとも讃えられるべきは上質な本物志向です。
まず彼を判断する際、決して派手さや見た目の華やかさで仕事をしているわけではないということを、その作品選びから感じ取ってもらえたら、と願ってやみません。
内田篤人の口癖であり挟持「FWは花、DFは土」
さて、一方のウッチーこと内田篤人さん。
行動様式や生活スタイルから、派手さを嫌うことは前回示した通りです。これまで散々つづってきたことも重なり、「もうこれ以上、書くことないんじゃね?」というくらいに。
加えてその仕事ぶりは、見た目からは想像もつかないほど骨太な男前。
ここで、すでにこのブログでも何度かつづってきた内田篤人を象徴するある言葉を、あらためてご紹介します。
彼の口癖は、「FWは花、DFは土」。
そのこころは、「一瞬の好機を逃さず得点するのがFW。90分間、ひたすら地道に守るのがDF」。
才覚と力量を証明すべく、新たに身に着けた技術
サッカー選手としてプロデビューを果たした鹿島アントラーズからドイツに渡った際、彼がもっとも力を注ぎ、スキルを磨いたのが1対1の守備です。
相手のあらゆる特徴やクセを見極め、頭脳戦・肉弾戦の両輪から成る駆け引きで先手を取る働きに神経を研ぎ澄ませ、ゲームをも巧みに操りながら縦横無尽に駆け回る。
ともすれば弱点になりがちな小柄な体躯を活かし、的確な動きで相手の攻撃陣を封じ込め、前線にボールを供給する。
渡独前、サッカー強豪国のなかでもとりわけ大柄な選手が揃う守備大国への挑戦ということもあり、疑問視する声もあがるなか、彼は己の才覚と力量を証明すべく、こうした技術を新たに身に着けました。
結果、7年半にもわたり、ドイツで活躍することに。
彼は繰り返し、こう語ります。
「たとえ自分が得点しても、よいプレイをしても、試合に負けたら喜べない。チームが勝ってこそ評価されるのがDFだから」と。
確固たる信念で、常に前を見据え、そう言い切る。それが、美しく咲く花を支える、自らを土にたとえる内田篤人の挟持です。
そのひとの名は、内田篤人。彼の名は、希望。
どんな劣勢にも屈せず、愚直に勝利のためだけに走り続けた彼は、いまもその信念を携えながら、変わらず走っています。
その姿は、チームを勝利へと導く羅針盤。
荒れ狂う大海原を渡りきるために欠かすことができないそれは、決して目立つ存在ではないものの、むしろ目立つことを嫌うように、来る日も来る日も役目を果たします。
無事の航海を祈りながら、確かにそこに存在している。その密やかでありながらも圧倒的で、稀有な存在感が、内田篤人に重なるのです。
彼はいついかなるときでも、羅針盤のように生きてきました。選手生命を脅かす大怪我を負い、もがき苦しみながら這い上がる過程においても。
いまでも変わらず闘う彼の姿を目にし、この先、幾年月を経ても、間違いなく変わらない光景が蘇るでしょう。我が事のように誇らしげな想いで。
そのひとの名は、内田篤人。
彼の名は、希望。