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“ウッチー&健ファンにおくる”としてはじめた連載「内田篤人と佐藤健」。早いものでもう第7回です。
おかげさまで回を追うごとに異様すぎる熱気に包まれ、若干どころか完全にドン引きする書いた本人が通りますよっと。
いやいや冗談さておき(笑)。ファンもファン以外の方々も、前のめりになって楽しんでくださるその想いに後押しされ、こちらもいいテンションで続けてくることができました。
今回の連載は、次回、第8回が最終回です。
と言っても、リクエストをたくさんいただいているし、わたし自身が定期的に書いていきたいので、あくまでも一旦終了という形で。
なにしろ各回すべて大作ばかりで、7000文字超えデフォルトの長編揃いなんですよ!お願い、もっと短文やウッチー&健以外も書かせてw
ということで本日、第7回のテーマは「最大の弱点を克服?!佐藤健の飛躍の鍵は内田篤人の人生経験にあり」。
最大の弱点……この連載を第1回から読んでくださっている良い子のみなさん、覚えていますか?なにはともあれ続きをどうぞ!
この連載の企画趣旨はこちら!
ウッチー&健ファンにおくる、冷やし中華ノリで連載「内田篤人と佐藤健」はじめます
INDEX
- 佐藤健に現状の延長線上レベルで終わってほしくない
- 今後の大いなる野望を抱くためのひとつの提案
- 限界が見えていることに佐藤健自身も気づいている
- 「器用すぎるのも困ったもの」は健くんのための言葉
- いまのままでは小さくまとまってしまい飛躍には遠い
- 松坂桃李・柳楽優弥・竹内涼真に共通する復活劇
- 竹内涼真の印象と同じ綾瀬はるかのデビュー当時
- 佐藤健とは似ても似つかない真逆の歩みの内田篤人
- 自分自身の経験にも照らし合わせ涙する強い共感性
- 自分だけで完結させて済ませるクセからの卒業
- 憂いや深みを持てた先に待っている役所広司の領域
- 現状と先行きが違った視点ではっきりと見える理由
- 本来のマネジメントの在り方を横に置いて書くこと
- 健くんはウッチー以上に可愛いところがある人
佐藤健に現状の延長線上レベルで終わってほしくない
ひとつ補足ですが……今回の答えとは別に、「なぜ内田篤人は共感を得やすく、佐藤健は批判されてしまうのか?」のもっとも大きな原因として、かねてより“佐藤健最大の弱点”を危惧していました。
この弱点を克服、あるいは真剣に向き合うだけでも、彼は以降、さらに大化けし、役者として以前にひとりの男性として大きく成長して飛躍する、と断言してもいいです。本日のテーマ「大枠でのカテゴリー分け」とは別に、後日あらためてテーマを立てて記します。
本日はまず最初に、第1回で「ウッチーには発生せず、健くんにだけ批判が発生する謎」を紐解いた際、予告としてアテンションした再掲から。
ありがたいことにこの連載を楽しみにしてくださっている健くんファンがこぞって、「どんな弱点?!」と答えを待つ例のアレです、ほらソレですよ(アレだのソレだのざっくりすぎるだろうわたしよ)。
第7回のテーマ……というより、“この連載でもっとも伝えたかった=気づいてほしかった”ことと断言しても差し支えないかもしれません。これを書くために今回の連載を決めたのだ、と。
健くんがこれまで歩んできた人生における最大の弱点の存在。そして、この先さらに大きく飛躍するために、弱点との向き合い方と持つべき信念。
もちろんあくまで個人的意見ではありますが、長いこと厳しい現場でマネジメントにも携わっている人間として、「これだけは」と、どうしてもスルーできなかったお話です。
なぜそこまでして?
決まってるじゃないですか。これだけの役者にこのレベルで終わってほしくないからですよ。
今後の大いなる野望を抱くためのひとつの提案
もちろん健くんは素晴らしい役者であり、現状でも評価を得ていることは重々承知だし、この連載でもたびたび記してきました(評価されている大前提で、過小評価されている、とも)。
そのうえで、あえて。このままでは彼の人生そのものが現状維持でもったいないことになってしまうから。
あらかじめ断っておきますが、なにも「死ぬまで役者にこだわれ!」との想いでつづるのではありません。誤解を恐れずに言うならば、むしろその逆で、「柔軟性を持って幸せな人生を生きてほしい」。
この先どの職に就こうが、どんな道を選ぼうが、ここで超えておいたらひとりの男性として大きく飛躍し、間違いなくもっと人生が豊かになるからです。
超えるべき山はでかいほうがいい。「これまで冷めてたオレってなんだったんだろう」「あのころの自分もよかったけど、いまの自分のほうがもっといいな」と、ふと振り返ったとき、深い喜びを味わう瞬間に出会うために。
そして健くんがその弱点を克服するためのトリガーは、なにを隠そうウッチーの人生経験にあります。今後の佐藤健に必要なものを内田篤人がすべて持っているのです。
ウッチーの生き様をあらためて讃えるとともに、健くんの未来を願い、現状に本人や関係者、ファンがどう向き合うべきか、今後の大いなる野望を抱くためのひとつの提案として記しておきます。
って、最終回間際に最大の山場を持ってくるあたり、わたしの性格的にあるあるだったりして(笑)。
所属事務所に問いたいのは、「まさか佐藤健を現状の延長線上レベルで満足させ、終わらせるつもりですか?」ということ。
健くんにはまだ、本人も気づいていない才覚と可能性が眠っています。それを引き出すのはもちろん、彼の強い意志と覚悟。ただし、最高のサポーターとして導くのが、マネジメントの使命でありプライドです。
であるならば、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とぶっ飛ばしてでもその才覚と可能性を起こすべきでしょう。仕事人として最高に腕が鳴るし、ワクワクして笑いが止まらなくなるはずですよー(笑)。
限界が見えていることに佐藤健自身も気づいている
では本題にうつりましょう!
単刀直入に、佐藤健の最大の弱点とはなにか?
順風満帆すぎること。
「……………はあ?それ、すごいことじゃん!」って思いました?
そう、すごいですよね。でも、彼にとっては最大の弱点です。
では、なぜそれが最大の弱点なのか?
健くんは頭脳明晰で非常に器用なため、学生時代から現在まで大きな挫折や狂おしい葛藤を知らずに順調に歩んできました。
これがどういう弊害を生むかというと、いつしか頭で考え、自分を優位に完結できる領域にとどまってしまうこと。「なんでも通用する自分」が当たり前になり、その結果、人生経験や人としての憂いや深みが欠けてしまうのです。
第5回の恋愛編で、「手の届く範囲で済ます恋愛」と語りましたが、このままだと次第に仕事も手の届く範囲になる悪循環に陥りかねません。「これまで失敗してこなかった」と無意識下で刷り込まれ、挫折やつまずきを恐れるようになるからです。
たとえると、東大や早稲田出身で官公庁や大手企業入りした超エリートほど、失敗を恐れるあまり徐々に迷走をはじめたり、ちょっとした挫折でとんでもない落ち方をするのと似た要素というか。
対人編で記しましたが、健くんのパーソナリティの特徴は、繊細で慎重かつ臆病な側面を持ち合わせ、学業優秀な理数系男子の要素が色濃いこと。
そのせいか、なんでも予測して先回りし、傷つかないようについつい優位に話を進めようとしたり、頭で考えすぎて失敗してしまう傾向があり。
ここで言う“失敗”は、実際に大きな成功OR失敗になる前に傷つくのを恐れて止まってしまう、冷めている自分を保つことで突っ走らないようにセーブしている、という意味。“理数系男子あるある”ですね(笑)。
ここで第5回のセンテンス再掲。この懸念点も含め、これまで各回通して訴えてきた彼のパーソナリティや行動様式におけるあらゆる引っかかりや不安が、ようやくすべて答えとしてつながるはずです。
そしてきっと彼自身も気づいています。現時点ですでに限界が見えていることを。「ボクらの時代」で自ら触れていたことからもうかがえるように。
参考
佐藤健、俳優人生の危機感を告白「限界を感じてきているかもしれない」マイナビニュース
参考
佐藤健「限界を感じてきた」自身の俳優人生を懸念 “先に進む”ための今後も語るモデルプレス
ただし、限界を感じている原因が、「挫折知らずの順風満帆さ」「頭で考え、答えを出せる範囲で終始するクセ」であることと、その原因がどれだけ根深いかをきちんと把握しているかは定かではありません。
「器用すぎるのも困ったもの」は健くんのための言葉
「じゃあ、挫折や葛藤をしたらいいんじゃない?」と思うかもしれませんが、いやいや、本人や周囲が考えている以上に、そうした現実に向き合い、乗り越えていくことは容易ではないんですよ……。
なぜなら、30歳を目前にしたこの年齢まで主役級でキャリアを歩んできたため、プライドや“こうあるべき論”が捨てられないのと、己の弱さと向き合うのは想像以上に過酷だから。
表向きは捨てたと宣言したとしても、なかなか乗り越えられない自分を認めたくないがゆえに、傷つかないように捨てたフリを演じ、結局のところなにも前進していないケースが多いのが現実です。
特に男性は多かれ少なかれ理論で物事を捉える傾向が強く、プライドの生き物なので、このパターンに陥りがち。もちろんそこがチャーミングな男性らしさでもあるのですが!
つまり、周囲が思う以上に、現在の立場でもがき苦しむ自分を受け入れられる人間はそう多くはないということ。まして論理的な男性のなかでも頭脳明晰の理数系男子要素がことさら強い健くんはなおさら。
「器用すぎるのも困ったものである……」は健くんのための言葉かもしれません(苦笑)。
いまのままでは小さくまとまってしまい飛躍には遠い
先ほどご紹介した「ボクらの時代」で「プロデュース業やまったく違うことと並行して俳優を続ける」などのプランについても語っていましたが、いいアイデアだなーと。
ただし、いまの状態でプロデュースや違うことをはじめても、だんだん人はついてこなくなるし、言葉にも姿勢にもイマイチ説得力がないという結果に終わってしまいかねません。
現在の彼には、挫折や葛藤を超えた先にある、あらゆる立場の人に対しての理解度や共感能力がやや乏しいからです。
そしてこうした資質は男性ほど鋭く見抜くので、別の仕事や趣味を並行させたとしても成功や現状の打開にはつながらず。
たとえ仕事仲間が芸能関係者だろうが、最終的なサービス提供先は一般人です。その一般層、とりわけ同性に支持が得られないとなると、どんな仕事でもむずかしいと言わざるを得ません。
厳しい表現になってしまいますが、今後役者を続けるにしても、別の道に進むにしても、いまのままでは小さくまとまってしまい飛躍には遠い。特に役者なら、年を重ねるにつれて上辺で演じるだけになり、真実味までは身にまとえなくなります。
健くんが本気の恋愛がなかなかできないのも、役者として軽いとの評価を受けることがいまだに少なくないのも、残念ながら人生経験に深みが足りないからです。
仕事も友人も女性も、なんでも自分の思った通りに手に入れてきたとの印象がぬぐえない人が多いのは無理もないよなあ、と。
もちろん役者業を続けてきた過程で試行錯誤を繰り返し、優れた芝居を披露してきたことはよく理解しています。
ただ、もっとも重要な要素が決定的に欠けている以上、本人も感じている限界がもうそこまで来ている。
現在、いよいよ30代に突入する分岐点にいますが、このまま30代以降を過ごすのであれば、苦労して這い上がってきた役者にどんどん追い抜かされてしまうことを以前から個人的に危惧しています。
松坂桃李・柳楽優弥・竹内涼真に共通する復活劇
先行きが楽しみな役者さんとして具体的な名前をあげると、ほぼ同世代なら松坂桃李さんと柳楽優弥さん。今後さらに伸びゆく俳優として大いに期待しています。
両者に共通するのは、成功を掴んだ後にうまくいかない時期や、悶々とする日々を過ごし、ひたすらトライ・アンド・エラーを繰り返しつつ、もう二度と光が見えないかもしれないという飢餓状態から復活していること。
大きな葛藤を乗り越えてきており、それが年を重ねるごとに誰にも負けない持ち味としてさらに輝くようになってきました。このブログでスポットとして書くなら、間違いなく彼らです。
良い意味で、どちらもクソ真面目かつユニーク。特に桃李くんの真摯な素朴さがうかがえる真面目な性格は、「役者は不真面目でちょうどいい」などという戯言をすべてくつがえしています。
もうひとり、健くんらの下の世代ですが、竹内涼真さんは今後の事務所の方針と、本人が上を目指す強い覚悟を持てるかによって化けるはずです。
彼が「陸王」で演じた茂木裕人は素晴らしかった。茂木裕人は彼でなければ成り立ちませんでした。スポット的に「陸王で茂木裕人を演じた竹内涼真」限定で一本書きたいくらい(笑)。
竹内くんが茂木役を演じきれた背景にあるのは、将来を嘱望され、プロ入りを目指すなかで負った怪我によりサッカー人生を断念し、そこから俳優として成功した経験。その嘘偽りない憤りや憂いが真実味を帯びて訴えかけてきました。
大怪我をきっかけに挫折し、這い上がろうと苦闘し、こはぜ屋との出会いと支えを通じて見事な復活をとげた茂木の姿に多くが涙したのは、彼自身が同じように死の淵から生還を果たした人生を歩んでいるからです。
彼が化けるには、安直な“若い女子向けにゴリ押しする売り方”を正さない限りかなりむずかしいですが……本人とよく話し合い、事務所も方向転換して役者として地道に歩ませる道を選ぶなら、群雄割拠の20代前半から中盤の俳優では抜けてくるはず。
実は竹内くんの場合、まったくドラマを見ていなかった時期にデビューしていたので、これまで見たことがなく、やれ大根役者だのやれ台詞が棒読みだの悪評を先行して聞かされていたんですね。
ところが実際に「陸王」で目にしてみると、よくない評判よりも「クセがなくシンプルなお芝居をする役者で、うまくいけば化ける」との印象が強く根付いたほどでした。
竹内涼真の印象と同じ綾瀬はるかのデビュー当時
竹内くんに感じたその印象とまったく同じ類いを抱いたのが、健くんとほぼ同世代の女優、綾瀬はるかさんのデビュー当時。奇しくも竹内くんと同じホリプロ所属です。
彼女も、本格デビュー前にダイエットを厳命、痩せなければ契約打ち切りとまで酷評され、なんとか痩せていざデビューも、今度は演技がおぼつかないと批判されたところから地道に努力し、悪評をくつがえして大きく成長した人生の勝者。
屈託のない笑顔と、とぼけたオフの行動や言動からは想像もつかない骨太な男前で、「どれだけ美しかろうが優れた女優ほど中身はおっさん」と囁かれる、思わず笑ってしまう微笑ましい定説の体現者でもあります。
ホリプロは綾瀬ちゃんで成功しているのだから、竹内くんも同じ路線でじっくりと育成し、サポートすれば必ず大きく羽ばたくと気づいてくれればいいんですがねえ……。
さておき、今回具体例としてあげた4人は、誰もがみんな貪欲で、人生を必死に生きてきました。
若いころは憂いや深みをダサいと捉える人間も少なくありませんが、単純に人生経験が浅く、イージーモードで生きても通用してしまう年代で、そのノリで大きな顔をする若者が割合的に半数はしめるから。
ところが30代以降は確実に馬鹿者=若者が淘汰され、これまで通用したイージーモードで語った瞬間、全方位から「ダサい」「浅い」「話にならない」と切り捨てられ終了です。成長できず生きることはピーターパン症候群にも等しいといえます。
参考
無責任、不安、孤独感… 「ピーターパン症候群」なオトコの特徴は?まぐまぐニュース!
佐藤健とは似ても似つかない真逆の歩みの内田篤人
そして健くんがその弱点を克服するためのトリガーは、なにを隠そうウッチーの人生経験にあります。今後の佐藤健に必要なものを内田篤人がすべて持っているのです。
これまでの流れできっとおわかりでしょうが……ここで最初にご紹介したこの答えを紐解いていきましょう!
健くんと似たタイプともいえるウッチーは、その人生に目を向けてみると、似ても似つかない真逆の歩み方をしてきました。
彼の人生は、挫折と葛藤の繰り返しで、思うようにいかないことがザラ。そんななかで、自分と周りと向き合い、試行錯誤しながらその都度、選択を繰り返してきた人間です。
そしてその姿が、同性を中心に多くの強い共感と熱い支持を得たことは言うまでもありません。
社会人や家庭人として生きていれば、男女問わず誰もがうまくいかない日々に悩む現実に直面します。スポーツ選手や芸能人以上と言っても過言ではないくらい、苦渋する確率は高いです。
真っ当に生きている大多数の一般人ほど、世間の荒波に揉まれながら大きく成長します。その過程で、傷つき、葛藤した分だけ、強く優しくなっていく。
その結果、世間知らずの甘い準公人を見限るのも自然で、好意を持てなくなる、共感できなくなるどころか、いつまで経っても甘ったれたガキに見えて冷ややかな感情しか沸かなくなるのですよ。
第3回の仕事編を公開するにあたり、あわせて参考に読んでもらえたらと、以前の記事をリンクしていました。そのなかの1本が上記の投稿です。
その際、久しぶりに読み返し、「そうそう、ウッチーはそうだった」とあらためて感銘を受け、お恥ずかしながら自分のブログで泣けたほど(笑)。
それだけ想いを込めて執筆した証でもあり、これを書けたのは内田篤人だからです。
自分自身の経験にも照らし合わせ涙する強い共感性
よく知らない方には「チヤホヤされてきた才能豊かなモテ男」のように勘違いされがちですが、ウッチーは決してエリートコースを歩んできたわけではありません。
そしてそんな彼に誰もが我が事のように想いを寄せています。
膝の大怪我はサッカーファンにはよく知られていますが、復活のために選んだ手術とはいえ、予想以上に回復が遠い毎日を過ごしながら、気づけば食事中に涙を流していることもあったそうです。
泣こうと思って泣いていたわけではありません。いつまで経っても出口が見えない暗闇でもがき苦しみ、絶望と焦りからやりきれずに意識とは異なる本能で泣けていた、と。
復帰後のインタビューで、彼らしいいつもの淡々とした語り口で打ち明けられたそのエピソードに、多くの人がこらえきれず涙しました。「どれだけの苦しみだっただろうか」と、それぞれが自分自身の経験にも照らし合わせながら。
「自分にもこんなことがあった。あのときは辛かった」と強く共感する。
たとえ同じ経験でなくとも、真っ当に生き、それなりに年齢を重ねてくると、誰もがひとつやふたつ、苦い経験を負っています。
だからこそ、同じように挫折や葛藤から這い上がろうとしている、あるいは這い上がった人間と話が合うし、それすら考えられない暗闇であえぐ人間には、「自分もそうだ」と共鳴し、励ましあう。
最近では男女問わず、アスリートや元アスリートがこぞって、やれ好感度だの、やれ人気を得る振る舞いだの、あげく幸せアピールやら、斜め上から目線マウントやら……。
こんな誰の役にも立たないことばかり意識し、突っ走る選手ほど、喉から手が出るほどほしい好感度が手に入るわけもなく、「ダサい」と烙印を押され嫌われまくるのは当然です。はたから見ていると滑稽極まりない。
何度も同じ過ちばかり繰り返し、羞恥心と学習能力がゼロ。「社会性の欠片すらない生物だなあ」と多くが呆れ返る理由がここにあり。自分と家族の自慢だらけの人間なんて誰も好きになるわけないじゃないですかw
第6回で触れましたが、競技で挫折を経験していても全方位から侮蔑と失笑を浴びる人間もいます。人生勉強から逃げているお子さまなので、マウントや幸せアピールがどれほど愚かかいつまでも気づけないからです。
なにも「幸せになることは許されない」と言っているわけではありません。「頭が悪くて品がない」のですよ。誰が自分のことしか考えず、自分と家族の自慢しか能がない薄っぺらい人間を好きになるというのだろう。
それをファンサービスだと思い込めるその神経が、失笑では済まないほどとことんおめでたい。
だからどうしようもない頭の悪いお馬鹿さんだと言っているんです。
自分だけで完結させて済ませるクセからの卒業
さて、ウッチーの人生に触れたところで、それではいよいよそのトリガーをふまえながら、あらためて健くんの現在と今後に目をうつしていきましょう!
役者は誰かの人生を演じる仕事です。とすれば、演じる以上、人生経験が乏しいままでは次第に説得力を失っていくことは火を見るより明らか。
健くんはこれまで、持ち前の才能と、愚直に努力する姿勢と熱量でなんとかもちこたえてきました。ただし、繰り返しますがそろそろ限界が近づいています。
30代に入り、大きな挫折を負い苦悩する役も増えてくるでしょう。20代までの葛藤が子ども騙しに感じられるのが大人の人生です。
そういう役を演じるにあたり、これまでは想像や見聞でクリアできていても、今後はそうはいかなくなる。
容赦ない現実との対峙という人類最大のテーマでもある闘いは、実際に苦闘した人間でなければ画面を通じて嘘ばかり伝わるからです。
「陸王」の茂木が嘘偽りなく響いてきたのは、演じた竹内涼真がどん底でもがいた末に復活をとげた人生経験の持ち主だったから、という意の真逆に位置するように。
健くん自身は「しばらくは実年齢より若い役をやりたい」と語っていましたが、それも素晴らしいとはいえ、いつまでも若い役にこだわっていると、気づけば同世代の役者に置いてきぼりにされていたという事態に陥りかねません。
そろそろ健くんは、どれだけダサくても、情けなくても、血反吐を吐きながら苦しみ、挑戦すること、自分に向き合うことが誰よりも必要です。まだ手遅れにならないいまのうちに。
もちろん失敗や挫折をすればいいという意味ではありません。そうではなく、頭でばかり論理的に考え、先回りして自分だけで完結させて済ませるクセから卒業しようよ、ということ。
時には人とガチンコでぶつかり、泣き叫んでも譲れない想いを訴えてみたり、相手のことを全力で受けとめてみたり、なかなかうまくいかない現実にしょぼくれてみたり。
そんな一見すると、ダサくて情けない時間を過ごすことが、実は最高にかっこよくて強いのですよ。そういう時間を過ごした人間は、誰もがあらゆるものを得て、大きく成長するのだから。
憂いや深みを持てた先に待っている役所広司の領域
いまの健くんに憂いや深みが加わったら、完全に鬼に金棒、向かうところ敵なしです。
そうプラスに考えてみたら、現在の立ち位置と状況、今後の挑戦が決してネガティブではないことが理解できるはず。
トライするかどうかは、すべて自分次第。そして、事務所にも覚悟が必要です。
これまで「女性人気が高く、ソツのないイケメン俳優」で売ってきた以上、なかなか軌道修正がかけられず、共感を得られないのは事務所の責任でもあります。
マネジメントサイドがいくら言い聞かせても本人が聞く耳を持たないのであれば本人の問題ですが、小綺麗な佐藤健を保ちたいとの算段がどこかにあるのだとしたら、それこそが大間違いです。
と同時にそれは、「佐藤健のポテンシャルを大きく見誤っている」と同義語でもあり。
再び問いたいです。「まさか佐藤健を現状の延長線上レベルで満足させ、終わらせるつもりですか?」と。
このまま役者として続けていくのであれば、彼が憂いや深みを持てたとき、その先に待っているのは役所広司さんの領域です。
現在の健くんは憑依型と称される俳優ですが、それはあくまでも演じている範囲内でのこと。
役所さんはまたひと味違います。たとえ架空のキャラクターだろうが、実在する人間を映し出した現実の物語のような、ドキュメンタリーをリアルタイムで見ている錯覚を起こさせる稀有な演者です。
役所さんも苦節を乗り越えながら人生を極めてきた人物で、彼に限らず本格派の役者として多くに支持される人間ほどこの傾向が強いのは言うまでもありません。
見る側が本気で共鳴するのは、小綺麗な役者ではなく、こころを奪われる体現者だからです。
主役を張る器を持ちながら、脇役にまわったときは瞬時に立ち位置や在り方を変え、さりげない存在感を発揮し、物語に厚みをもたらすキーパーソンとして活躍できる。そんな役者は限られています。
健くん世代でその可能性があるのは、健くんをはじめ、先ほど名前をあげた桃李くんと柳楽くん。
で、現時点の健くんは一歩遅れはじめているという事実を否定することはできません。彼らに比べると人生経験が浅いからです。
きれいな水槽でしか泳いでこなかった魚は、いまのままでは大海で泳ぐことはできず、通用しないでしょう。
現状と先行きが違った視点ではっきりと見える理由
わたしがここまで具体的に言い切るのは、単に健くんの可能性を含めて応援しているからだけではありません。マネジメントを担当した人材に健くんタイプが少なくないからです。
つまり、実績として多く担ってきた経験があるからこそ、なにもできないことが歯がゆいくらいに、健くんの現状と先行きが違った視点ではっきりと見えている。
もっとも健くんに似たケース(というより出会った当時の資質やクセが一番似ていた)が仲間内にもいます。性格的にも優れていて仲間想いのナイスガイです。
健くんと同じく頭脳明晰な理数系男子で、初めて会ったのは彼がまだ20代中盤で社会経験が浅かった時期。才覚があり気遣い上手な一方で、机上の論理でうまく立ち回るクセがありました。無駄にうますぎると言ってもいいほど。
「このままでは才能もろとも終わってしまう」と、昔からマネジメントに長けていると評価を得ていたわたしが任命を受け、自分の業務のかたわら彼のマネジメント・教育係を兼任する体制に。
毎日のように繰り返し深く語りあうことが多かった彼は、まだキャリアを積む初期段階だったこともあり、軌道修正と成長促進がうまくいったことに加え、彼とわたしの信頼関係がその成功を後押ししました。
シベリアンハスキーに顔立ちや性質がよく似たその彼は、いまでもたいせつな仲間です。でっかい図体とキリッとした顔立ちのくせに、信頼した相手には腹を見せまくるタイプなので遠慮なく甘えてくるという……毎日毎日うるせえよw
本来のマネジメントの在り方を横に置いて書くこと
ということで、本来のわたしの在り方からすると、マネジメントや類似した作業には、相手と真正面から話し合い、つまりキャッチボールをしながら二人三脚で試行錯誤して正解を探していくのが鉄板です。
なぜなら、「相手あってこそ」は譲れないベースだから。
そのスタンスで考えると、いくらファンの立場でも一方通行のブログに記すことは本当はやりたくありません。
「公の場に出すからには、万が一本人の目に入ったとしても、笑いながら考えてもらえるものでなければ」との理念が強いからです。
あ。悪質なお馬鹿さんへの抗議や批判は除きますよー。「教祖も信者もとっとと改めろ!大迷惑ばかりかける核兵器の大馬鹿野郎のゴキブリが!」という意味でしかない(笑)。
さておき、「いま、あなたはどう考えている?」「これから、あなたはどうしたいと思っている?」と相手にボールを投げ、その返答を受け取り、また投げ、の繰り返しを続ける。
相手を理解し、自分の真意を理解してもらい、相手が自然と納得する形で一緒に進めていかなければ暴投やドッジボールです。
それではなにひとつ意味がない。世の中には「そのレベルでマネジメント語んな下手くそ!」と怒鳴りつけてやりたいのがウジャウジャいますよ(苦笑)。
いついかなるときでも、ともに休み、ともに歩き、ともに走る。
昔からマネジメントの基本中の基本としてブレずに携えているため、こういう形で書くことは気が引けるんだよなー、とのモヤモヤが。
それでも、これだけはどうしても記しておきたかった。性格的にどうやっても一方的かつ上から目線のブス行為は恥ずかしすぎるからできない、書けないわたしだからこそ、最大限の配慮でできることがあるだろう、と。
それだけ今後の健くんに危機感を抱いているのと同時に、ここからさらに大化けする才覚と可能性をはっきりと見出しているからです。
にもかかわらず、このままでは下手したら終わってしまいかねない。だからこそ、歯がゆいんですよー(苦笑)。
やれ「わたしならこういう方向性を持って話し合う」だの、やれ「現時点でどうしていきたいのか、どんな自覚や覚悟があるのか聞いてみたい」だの、アレコレ逡巡するなんと忙しいことか(オマエはチコちゃんの森田アナか)。
そうなのです。健くんタイプのマネジメント実績がやたらと多いからこそ、「もっとこうしたほうが健くんにとってプラスになる」など、あらゆることが明確に見えている分、なんとかしたくなるという(笑)。
そんなわけで、本来のマネジメントの在り方は横に置いて、自分の気持ちを落ち着かせるためにもブログという形でできる最大限を残しておきたかった。ただそれだけです。
健くんはウッチー以上に可愛いところがある人
ウッチーと健くんを見ていると「人間っていいな」と実感します。ふたりとも、確かにカッコいいけれど、ギャップだらけで面白い要素満載。なにより、愛らしいし人間らしいじゃないですか。
もともと人間好きなわたしですが、それは魅力ある人間と触れあう楽しさをよく知っているから。
人はひとりでは生きていけない以上、人間性が豊かな人とどれだけ喜びを分かち合えるかで、その人の幸せ度数は決まるのではないかな、との考えを持っているほど。
もちろんそれは、マウント&プライベート切り売りブスくんブスちゃんたちの「オレ・アタシが幸せになるために!」の自分優先では一生叶えることはできません。気づいたら笑い満載で幸せだった、が正解。
そんなわたしの視点で見ると、七転び八起きのウッチーに声援を送ってきた感情とはまた異なり、大枠でタイプは似ているものの、健くんはウッチー以上に可愛いところがある人だな、と。
だってこんなにツッコミどころ満載の男もそうそういないでしょうよ(そこでど真ん中の直球を投げるんじゃない)。
だからかもしれないですね。一見すると、なんでもできるソツのないイケメン男子の健くんですが、本質はまったく違うということが見えているから、ちょっかいかけたくなったり、サポートしたくなったり、成功を祈っていたり。
なんていうのこういう心情って?……………あーアレだ、アレに違いない。
年の離れた姉や叔母を通り越し、完全に兄や叔父気分ってやつだ。
「おう健!がんばってるか!」みたいな(これが今日のオチなことに我が身を呪いたい)。