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元日に発生しました能登半島地震により犠牲となられた方々に心よりお悔やみ申し上げるとともに、被災された皆様とご家族・ご親族の方々に心よりお見舞い申し上げます。
4日現在も予断を許さない状況が続いていますが、皆様のご無事を心よりお祈りしております。そして、被災された皆様が1日も早く穏やかな日々を取り戻されるよう、復旧・復興を祈念しております。
また、2日に羽田空港で発生しました日本航空機と海上保安庁航空機の衝突事故により犠牲となられた方々に心よりお悔やみ申し上げるとともに、乗客・乗員や関係者の皆様とご家族・ご親族の方々に心よりお見舞い申し上げます。
ご遺族や関係者の方々はもちろんですが、お怪我無くご無事だった皆様も精神的な不安や心痛、極度の疲労を抱えていらっしゃるかと存じます。すべての皆様が1日も早く落ち着いた日々を過ごすことができますよう、心よりお祈りしております。
散々公開を迷った海岸沿いの写真を最終的に選んだ理由は「希望の1枚」
本日の写真は元日に撮影した地元の運河、昭和島の避難橋です。
当初は1日の夜、投稿する予定でしたが、ブログもSNSも開く気持ちになれなかったことや、地震発生と同時に情報収集や諸々の対応に入ったため時間をおくことにしました。
この海岸沿いの写真を投稿するにあたり、実は散々悩みました。
津波による甚大な被害が発生した地域の皆様やご家族・ご親族の方々の目に触れたとき、心痛につながることだけは絶対にしたくなかったからです。
その後、翌日の日航機・海保機事故の発生により、そうなると空の写真も事故を思い出させてしまう?いやいや、それだとどんな写真も駄目だし……と。対応に追われるなかで、ひたすらぐるぐる考え続けました。
はたから見たらあほかと思われるかもしれませんが、「まずは一旦考える」の放棄はわたしの信念に反します。個人のささやかなアカウントではありますが、発信に対する責任をきちんと負うことを是とし、仕事や日常生活と同じようにブログ・SNSも続けてきたからです。
このスタンスはこれまでと同様、これからも一切変わることはありません。
そしてそうした逡巡の結果として、やっぱりこの写真を選びました。「これがいい」と最終的に判断したからです。
元日の朝は初詣とお墓参りとともにフォト散歩が恒例行事となっていて、今年もカメラ片手に新年初の散策にいそしんでいました。
シャッターを切った瞬間、偶然の産物として生まれたこの写真は、帰宅しパソコン上で確認したときに「希望の1枚だ」と。
力強い日の光と、どっしりと構えた橋に支えられながら進む人影が、これから始まる新たな日々に歩み出す姿のようで。
どんな困難でも乗り越える魂が宿り、あたたかく見守ってくれているかの1枚だと、撮影者が言うのはおこがましいのですが嘘偽りなくそう感じました。
心の負担にならない範囲で思ってもらえたらうれしい「自分はひとりじゃない」
誤解なきよう補足しますが、決して被災地の皆さんに「だから負けないでがんばって」「希望をもって」などとお伝えしたいわけではありません。
いま現在、大きな不安のなかにいる方々に対して、負担にしかならない自己満足な言葉をかけたくないし、そんな想いをもつことすら絶対に嫌です。
突然の災害により被害に見舞われたとき、場合によっては息ができなくなるほどの精神状態に陥ることを、わたしは経験上知っています。そういうとき、たとえ家族や友人と一緒でも、不安で不安で、逃げることもできず孤独に押し潰されそうになることもありますよね。
それはなにひとつおかしなことではありません。
いくらでも不安だと吐き出していいし、孤独だと叫んでくださっていいんです。
そしてどうか無理のない範囲で、「自分はひとりじゃない」とわずかにでも思ってもらえたら。
「負けないで」「希望をもって」ではなく、間違いなく言えることは、いま、皆さんのことを我が事のように心配し、心を寄せながら祈っている人たちがたくさんいます。
あなたの力になりたい、自分にできることで支えたいと願っている人たちがたくさんいます。
ひとりひとりの力は小さくても、自然と結集することで、力強い日の光や、どっしりと構えた橋になれることも、わたしは経験上知っています。
どうか心の負担にならない範囲で、「自分はひとりじゃない」と思っていただけたら幸いです。
わたしも皆さんに心を寄せると同時に、自分の出番が来たときはこれまでの被災地支援と同様に、わたしのもつ力のすべてをかけることをお約束します。どんなときでも必ずバックアップし、時間がかかる問題があっても必ず立て直します。
時と場合により無自覚や悪意ある煽動者と同様の凶器になる「無知な善意」
それから、僭越ながら被災地以外の方々にもお伝えしたいことがあります。
現在は人命救助を目的に、政府をはじめ自治体や自衛隊などの専門機関が救助活動にあたっています。だからこそ、現場を混乱させる発信や行動はどうかお控えください。
いま必要とされている人間や組織以外が無闇に発信したり動くことがご法度中のご法度なのは、迅速な救助活動の妨げにしかならず、救える命が救えなくなるからです。
有事や混乱時にまで自己利益や自己顕示欲に走ったり、くだらないゴッコ遊びを繰り返したり、悪意で被災者や関係者を斬りつける煽動者は論外ですが、無知な善意も凶器になります。
助けたいという気持ちは理解できますが、悲しい現実として自己満足でしかない足手まといはすべてを不幸にするだけです。
わたしを含め、いま出番ではない人間たちが被災地のためにできることは、想いを寄せながら情報収集する、自治体などの物資募集への協力や募金をする、そして最も重要なのは日常生活をおくることです。
どうか「不必要な自粛は無知な善意のひとつである」と知ってください。
被災地支援のためにも知ってほしい「不必要な自粛は無知な善意のひとつ」
現在ネット上には、日常生活のつぶやきや写真投稿に対し、自粛警察と呼ばれる層によるバッシング活動が横行しています。目を覆いたくなる罵詈雑言だらけに、こちらの精神まで参ってしまいそうになるほどです。
善意がこんがらがった結果だとは思いますが、その攻撃は被災地の誰のためにもならないと、どうか気づいて立ち止まってください。
もしその批判対象の投稿が、直接的、あるいは隠喩などの卑怯な手段を用いた被災地に対する愚弄だとしたら、たとえ著名人だろうがこの世の最底辺の哀れで愚鈍な輩なのでフルシカトで大丈夫です。自分で自分を落とし続けているだけの可哀想な出来損ないを視界に入れてやる必要は一切ありません。
不必要な自粛はイコール、経済活動の大きな停滞を引き起こします。それはつまり、日本経済の死を意味し、結果としてわたしたちの国は終わるということをどうか理解してください。
「強い人ほど優しい。優しい人ほど強い」と本質はまったく同じです。いま弱っている人を支えるためには強くなければ不可能であり、有事の「強い」のひとつは経済力をフル活用すること。
変わらず日常生活をおくり、自分のいつものペースできちんとお金を使う。そのなかで、いつも通りではなくできる限り意識して被災地の特産物や製品などを選び、売上で還元する。
これだけでも被災地支援になります。もちろん、本当に無理のない範囲で大丈夫です。わたしたちひとりひとりは小さな存在ですが、それぞれが少しずつ協力しあうだけで必ず大きな力になります。
それなのに、不必要な自粛により経済の停滞が長引けば長引くほど、本当に取り返しのつかないことになる。「あなたのためを思って」というその無知な善意は、回り回って当事者である被災地の方々を助けることができなくなる自殺行為です。
どうかその恐ろしさを知ってください。その現実から目をそらさないでください。無知な善意が、あなたを含めた多くの人を路頭に迷わせ、この国を終わらせるという残酷な結末をまねく前に気づいてください。
結果として被災地支援につながる「いつも通りの生活を通した経済活動」
次回投稿より、年末から続けていた東京イルミネーション特集をはじめとする“いつも通り”に戻します。東京都内や近郊にお住まいの方はもちろん、東京観光に訪れた方々の参考になったらうれしいです。
東京のスポットをまわったり、美味しいごはんを食べる。それらは巡り巡って、経済活動という形で被災地支援にもつながります。
復興支援は、その都度襲ってくる挫折に打ち勝ちながら進める、想像以上の長期戦です。だからこそ、それぞれが自然とできる範囲で。
無理のないゆるやかなスタンスで「いつのまにか続いていた」といった感じで、「誰もがお互い様の助け合い」の毎日を過ごせるよう祈っています。
今年もどうぞよろしくお願いします。