【週刊現代】黒田博樹・新井貴浩が広島カープに存在する理由と、2016年優勝の裏側に迫る

黒田博樹新井貴浩広島カープ復帰秘話を含め、それぞれのヒストリーをまじえて取りあげた記事をご紹介します。

掲載された時期は、彼らが広島カープに復帰した2015年の翌年、2016年シーズン開幕から首位争いを続けていたころ。彼らを中心に赤ヘル軍団の裏側に迫る内容です。

「売れることが正義。そのためなら面白おかしい嘘もすべて許される」「プライバシー侵害はデフォルト」が常套手段の週刊誌系は徹底して敬遠しているものの、スポーツに関しては時々優れた記事を掲載してくれます。

このスタンスをいっさいぶらさずに、すべて統一してやってくれたほうが圧倒的に支持され、もっと売れるんだから、クリーンな仕事をしてくれたらいいのになあ(笑)。

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【週刊現代】【感動秘話】広島カープ、悲願の優勝へ〜知られざる黒田博樹と新井貴浩の「約束」

誰がこの展開を予想しただろうか。エースが抜け、台頭を期待された若手投手も軒並み、二軍で調整中。それでもカープは首位争いを続ける。結束する赤ヘル軍団の中心には二人の男の絆があった。

引用:週刊現代

生え抜きの雑草戦士

コイのぼりの季節が終わっても、カープの好調は止まらない。昨季、広島は1勝に泣いてクライマックスシリーズ出場を逃し、オフにはエース・前田健太がドジャースに移籍した。穴を埋める大きな補強はなくても、首位争いを続ける秘訣を、広島の元監督の達川光男氏が明かす。

「マエケン(前田)が抜け、ほとんどの評論家が広島を下位予想にする中、私は優勝にしました。2月の沖縄キャンプ打ち上げの光景を見て、雰囲気のよさを感じたからです。

キャンプの最後は参加者全員で円陣を作り、一本締めで終わるのですが、普段はあまり喜怒哀楽を出さない緒方(孝市)監督が柔和な表情を浮かべ、その両隣にベテランの黒田と新井が立っていました。

監督の隣には主力選手はいきたがらないもので、あの場所には若手選手が立つものです。そこに二人がすっと寄っていった。大相撲の横綱の土俵入りで、横綱の両脇を固める太刀持ちと露払いに見えましたよ。

二人とも昨年、久々にカープに戻り、でも結果的にチームは4位に終わった。『緒方監督に恥をかかせてしまった。今年は何とか男にしよう』という思いを感じます」

1996年にドラフト2位で入団したエース黒田博樹(41歳)と2年後にドラフト6位で入団した新井貴浩(39歳)。’91年以来、セ・リーグ最長の四半世紀もの間、優勝から遠ざかる広島の低迷期を、それでもエースと主砲として牽引してきた。

引用:週刊現代

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黒田は大阪・上宮高では2番手投手で、進学した専修大は東都大学リーグ・2部に在籍。1部にあがったのは4年生の春からだった。速球は150kmを計測したが、配球が単調で、痛打された。プロ1年目の二軍戦では1イニングで10失点したことも。入団3年目までは勝ち数より負け数の方が多く、初の2ケタ勝利まで5年も費やした。

新井も駒大時代、スカウトの目には留まらなかった。大学の先輩、野村謙二郎氏(前広島監督)の自宅を自ら訪れ、スイングを見てもらって入団の推薦を得た「コネ入団」だった。

二人とも入団当時は、何年間プロでやれるかわからない雑草戦士だったが、広島伝統の厳しい「愛のムチ」でしごかれても食らいつき、一流選手にはいあがった。ともに「カープに育ててもらった」という恩義は深い。

広島は1975年の初優勝以来、’80年代にかけて黄金時代を作ったが、’90年代後半からは万年Bクラス。苦しい時代を支えた投打の柱は、’07年オフに新井が阪神へ、翌’08年に黒田がメジャーに挑戦。主砲とエースがFA権を行使して退団したことで、カープは大幅な戦力ダウンを余儀なくされた。

引用:週刊現代

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カープ復帰に導いた電話

しかし、その二人がまるで運命に導かれるように昨年、二人同時に復帰した。全国紙の広島担当記者が明かす。

「新井が広島に戻るとき、相当悩んだようです。阪神の金本(知憲)監督をはじめ、巨人に移籍した川口和久や江藤智もそうですが、広島からFA権を行使して国内の他球団に移籍した選手で、古巣に復帰した例はない。

新井は広島への愛着は十分残っていたけど、阪神と並ぶ熱狂さで知られるファンから裏切り者呼ばわりされ、『どの面さげて戻ってくるんだ』とキツいブーイングを浴びることを想定し、復帰を躊躇していた。

そこで当時、アメリカにいた黒田に相談したそうです。すると、『お前なら大丈夫』と言われ、背中を押された。苦しみながら決断した新井はその後、黒田にこう言ったんです。

『今度は、黒田さんの番ですよ』

その話を黒田に質問すると、こう明かしました。

『(新井が)戻るって聞いて、多少なりとも(広島復帰を決断する)影響は受けた』と。二人は、そんな熱い友情で結ばれているんです」

実績のありすぎるベテランの加入によって、若手選手が必要以上に緊張し、自分の力を発揮できない場合があるが、今の広島はむしろその逆だ。

「イジられキャラの新井は阪神移籍後、広島時代から慕う先輩・金本にイジってもらうことで自分の居場所を確保し、チームの雰囲気作りに一役買った。でも、金本の引退後は、新井は孤立してしまったんです。

黒田も新井をイジり、新井はかえって居心地のよさを覚える。そのことが、チームの空気を和ませているんです」(民放局スポーツディレクター)

引用:週刊現代

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その象徴が、新井が通算2000本安打の記録が迫った4月下旬に生まれた「新井応援Tシャツ」の裏話だ。スポーツ紙の広島担当記者が明かす。

「選手会長の小窪(哲也)が球団幹部に、『チームの雰囲気を盛り上げるためにも、新井さんを応援するオリジナルTシャツを作りたい』と申し出て、快諾されました。あと3本に迫った4月23日、黒田が登板した日のことです。

マツダスタジアムの試合前練習で、新井以外のすべての選手、球団関係者、球場関係者までが、新井の顔がプリントされた赤いオリジナルTシャツを着ました。背中には、新井が一塁手としてエラーしている絵が描かれ、『まさかあのアライさんが…。』と文字が入っていました。

何も知らされていない新井が、全員そのTシャツを着ていたことに気付くと、新井は目を丸くし、全員爆笑でした。

ちなみに、気の利いた文言を考えたのは黒田です。一見からかっているようですが、不器用な新井が愚直に練習を続け、偉業を達成したことに対する、黒田の愛情と敬意がにじんでいます」

赤いTシャツ練習から3日後の4月26日、新井はヤクルト戦(神宮)で2000本安打を達成。日本プロ野球史上、47人目の偉業だった。

引用:週刊現代

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「つなぎ」に徹する新井

ただ、投打のベテラン選手による雰囲気づくりだけで勝てるほど、プロは甘くない。広島が昨季積み重ねた69勝のうち、15勝を稼いだ前田の穴はやはり大きいはずだ。このピンチをどう埋めているのか。広島OBの北別府学氏が解説する。

「マエケンの穴を埋めることが期待された大瀬良(大地)がひじ痛で出遅れ、6年目の福井(優也)も不調で現在は二軍にいる。投手力は去年よりも苦しいながらも打ち勝っています。去年まではチャンスはたくさん作っても走者を還すところまでヒットが続かなかった。みんなが『俺が何とかしなきゃ』という気負いにつながっていた。

でも今年は打線がつながってタイムリーも出るので、各打者が精神的に追い込まれることも少ない。結果が出ていると、打順も固定でき、各自、自分の役割を認識できる。開幕時に4番に座ったルナは今、けがで二軍ですが、代わりに入った新井でさえ、5番のエルドレッドにいい状態で打順を回す『つなぎ』に徹している。

その姿勢が他の打者にもいい影響を与えています。新井が休養目的で欠場しても、9年目の松山(竜平)、安倍(友裕)などが活躍している。日替わりヒーローが出て、優勝する雰囲気が出てきています」

26日現在、265得点、打率・276、53本塁打はすべてリーグトップ。今季から就任した石井琢朗打撃コーチは、こう明かしている。

「広島の選手はいつも練習から本当によくバットを振る。でも、それが『振り回す』ことになってはいけない。状況に応じた打撃ができるよう、選手の打球方向を広げたいんです」

引用:週刊現代

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昨秋の宮崎・日南キャンプからテーマに掲げたのは「ノーアウト二塁から、ノーヒットで1点をとる打撃と走塁」だった。とくに走者をすすめるために必要な、逆方向への打撃を徹底。たとえば、右打者が右へ打球を飛ばすにはボールを長く見ることが不可欠。石井コーチは、数字や文字が書かれたボールをトスし、読み取るユニークな訓練も選手にやらせた。

打撃の質に加え、走塁の姿勢にもこだわりを見せる。現役時代、盗塁王に輝いた緒方監督のポリシーだ。スポーツ紙デスクが明かす。

「ある主力選手が三塁走者になり、犠飛として還ってこられる外野フライがあがった。三塁コーチャーは『ゴー』の指令を出したのに、その選手は、『アウトになるかもしれない』と判断して走らなかった。その選手は消極的な走塁を理由に、すぐに二軍に落ちました。緒方さんにはそういう厳しさがある。26日時点でリーグトップの盗塁数40も、投手陣を助ける攻撃力につながっています」

攻撃陣に助けられている投手陣の大黒柱・黒田は2月16日、自主トレ先のアメリカから日南キャンプに合流したとき、円陣の中でこう言った。

「チームに貢献し、優勝できるようにしましょう」

その模様を現場で見た広島OBの大野豊氏は、黒田の覚悟を感じ取った。

「昨年は新井が戻り、メジャーからも必要とされていた黒田も戻り、周囲は『優勝』と期待した。でも優勝どころか結局、4位に終わった。優勝はスンナリできるものではない。だから、黒田は『優勝』とは簡単には口にしたくないはずなのに、あえて言葉に出したんです。彼はこう言いました。

『今年はマエケンがいなくなった。それでも優勝できる、という強い気持ちを、若い選手にも持ってもらいたい』

自分も、そして仲間たちも鼓舞するためだったんです」

復帰2年目の黒田は若手選手との距離も縮まり、慕ってくる選手も増えてきた。5年目の右腕・野村祐輔は黒田のアドバイスによって、マウンド上のプレートに立つ位置を、今までの三塁側に近いほうから、一塁側に近いほうに変えた。

右打者の内角をえぐるシュートボールにより角度をつけるためだった。昨季5勝に終わった右腕は25日の巨人戦で5勝目をあげた。「黒田効果」はこんな形でも出ている。

引用:週刊現代

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育ての「親」に恩返しを

半世紀近く広島の取材を続けるスポーツライターの駒沢悟氏が明かす。

「バットを決して振り回さず、機動力を生かすところは、昔の赤ヘル軍団を思い出させますね。

黒田も新井も、自分の成績より、チームの成績がよければそれでいい、という男たちです。プロの中に高校野球の選手が混じっている感じ。ただ、二人とも満身創痍で、ある意味失うものはない。今季やれるだけやって、ダメなら潔くユニフォームを脱ぐぐらいの覚悟はできていると思います」

日米通算200勝までカウントダウンに入った黒田はメジャー時代の’09年、右側頭部に打球を受けた後遺症による首痛、それに伴う右肩痛を何とか和らげながら投げている。親しい関係者には「球は140km以上出ても、疲れが取れにくくなった」ともらし、年齢による衰えと戦っている。

新井も慢性的な腰痛に加え、昨年5月に脱臼した左手中指も手術をせずに今季にのぞんだ。指を手術するとしばらくバーベルを握れなくなり、新シーズンにむけ、ウェートトレーニングによる体作りができないからだ。この1年に懸ける思いは、強い。大野氏が二人の影響力をこう明かす。

「黒田は『この1試合で壊れてもいい』と思って全身全霊を尽くす。だから、打球が自分の体を強襲しても、本能的に右手を出す。新井も今年のバッティングは必要に応じて、センターから右方向に打ち返している。二人に共通しているのは、『25年間、優勝から遠ざかるチームで勝ちたい』というフォア・ザ・チームの思いです。彼らの姿勢は、若い選手のいい教材になっています」

二人の悲願は、育ててもらった赤ヘル軍団への恩返しになる、有終V。それが二人が交わした無言の「約束」である。

引用:週刊現代

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