親の看取り|介護を通して最愛の父と最後の時間を過ごした娘の想い

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

あれ?今年、何年かな?今日って何日だっけ?

などとすっとぼけようが、無理。ご無沙汰すぎでしょうよ……。

いやあもうひっさびさでございます。みなさん、お元気でしたか?今年、2025年ですよ。しかも2025年、あと3ヶ月ですって。

……白々しい挨拶はさておき、今回はサクッと本文にいきましょう……!

この先に進む前に、まず今回はやむを得ず長文になることをどうかご了承ください。そして、本記事の公開に際して選んだ写真の意味も、ここから読み進めていただければわかります。

お時間があるとき、ゆっくりしているときにでも、ご一読いただければうれしいです。それではどうぞ!

ブログ・インスタグラムの更新事情を本音でぶっちゃけ

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

「久しぶりどころじゃないなあ」などと苦笑しつつ、まずはこのブログの記事一覧を見返してみました。

すると、昨年2024年の11月末に1記事、同12月に複数記事を投稿。その前をさかのぼると、同5月に時間差で公開した東日本大震災特集でした。

同じくマイペースながら続けてきたインスタグラムにいたっては、同3月11日(東日本大震災)を最後に一切音沙汰なしという……。

いやもうどんだけデジタル系放置だよ……!

なぜブログ・インスタグラム更新が滞りがちになるのか?

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

定期的にこのブログを見続けてくださっているありがたすぎる奇特なみなさん(褒めてます)はご存知だと思うのですが、もともと長年超ワーカホリックかつ実生活最優先主義で、ブログ・SNS活動の優先順位が低いのが理由だったりします。

とはいえ、このブログを見続けてくださっているありがたすぎる奇特なみなさん(繰り返しますが褒めてます)は認識していただいているかと思うのですが、決してブログおよびSNSの読者さんたちはどうでもいいだとかないがしろにしているわけではありません。

仕事がかかわる事情を自ら語るのは「忙しい=有能アピールで上から目線のマウント取りが常套手段のアレ」と同類だと勘違いされそうですこぶる嫌なのと、機密情報だらけで開示できないことが多いから話しづらいのと、なにより昔から性分的にどうにも無理なので控えています。

が!話せる範囲で正直に打ち明けると……。

「直接かかわっているプロジェクト・案件・人間が桁違いに多すぎ+極めて重要度の高い役割・任務・責任を担う日常なので、必然的に超シビアかつ忙しいの一言では片付けられないほど超多忙な毎日」がわたしの現実です。もう数十年以上にわたって。

あとは、キラキラに盛った自身のプライベートをSNSで垂れ流しながら群れて薄い+悪質な交流という名の集団ヘイト活動をするのが当然みたいな一部の風潮が理解不能だし気持ち悪すぎることも一因かもしれません(このうえない正直な本音)。

もちろん、わたしのブログやSNSおよびわたしが好んで愛読してきたそれらは、当然のことながら一切その類いではありませんが。

ブログもインスタもライフワークだが手がまわらない実情

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

「これよかったよ!」「ここおすすめだよ!」といった読者の生活のプラスになる体験談ベースの情報提供や、とくに東日本大震災特集を中心に現代社会への想いや提言をつづることについて、ささやかなライフワークになっています。

ただ、本当〜〜〜〜にどうにも手がまわらない……猫の手も借りまくりたい1億匹程度。

ときどき「ど、ど、どうした!?」と驚かれるほどまとめて投稿しているのは、「やっと時間がつくれた!チャンスだ!」とばかりに怒涛のごとく一気に作成して公開するからなんですね笑。

こんな困ったペースにもかかわらず、毎回楽しんでくださっているありがたすぎる奇特なみなさん(再度繰り返しますが本当に褒めてます)いつもありがとうございます。これからも生暖かく見守っていただければ幸いです。

と、実はこれは一昨年までの事情で……(もちろん現在も上記事情は一切変わりませんが)。

昨年から今年にかけてブログ・SNSともに更新をストップしていたのは、さらに別の理由が重なっていました。正確にいうと、昨年夏頃までは上記プラスで、夏以降はこれから記す別の大きな理由を主として。

すでに記事タイトルで察していただいているかと思いますが、詳しくきちんとお伝えさせてください。

2025年3月2日、最愛の父の永眠とともに知ったこと

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

今年2025年3月2日、最愛の父が永眠しました。

息を引き取るまでの約半年間は専任で昼夜問わず、さらにその前の入退院や通院および外出の付き添い、服薬管理などを含めると約2年以上、父の介護と寄り添いに専念していました。

このセンテンスを書き出したところでどうしようもなく涙が止まらなくなってしまったくらい、まだ現実が受け入れられない自分がいます。

きっと、一生かけても無理かもしれないほどに。

「悲しみ」「喪失感」では表現しきれない感情と過ごす毎日

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

父が眠ったあの瞬間から、悲しみや喪失感などという言葉ではどうやっても表現しきれない感情が、次から次へと押し寄せてきました。

と同時に、「あのときもっとああしていれば」「このときもっとこうしていれば」の繰り返しで。

「自分のすべてをもって父とかかわり、父を愛してきた」と、誰に対しても胸を張って堂々と宣言できるほど、明けても暮れても全力でした。「これ以上はどうやってもできない」というくらい。

母はもちろんのこと、父との様子を毎日のように見守ってくれた近所の方々や、葬儀などで顔をあわせた親戚が口々にかけてくれた「本当によくがんばったね」「お父さんは幸せだったよ」との温かな労いの言葉に救われる想いでした。

「お父さんもわたしも幸せだった」と、あらためて客観的にというか、納得できて救われたというか。

だけど、いや、だからなのか、なんて言い表したらいいかわからないぐしゃぐしゃな気持ちだらけで。

悔やむことの繰り返しで涙が止まらない生まれて初めての経験

東京都大田区大森・昭和島にある「見晴らしばし公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

あれからずっと、どこにいても、なにをしていても、父のおもかげや存在を感じながら暮らす毎日です。父が建てた家で過ごしていても、父とともに毎日散歩した公園や父が大好きだった街を歩いていても。

それはとても幸せなことだと実感しています。わたしにとって、誰にも邪魔をすることなどできるわけがない、かけがえのない尊い思い出です。

それでも、もうどこにも父がいない現実の切なさと、本気の介護や付き添いという形で父と最後の親子時間を大切に過ごしたゆえに「もっとできたんじゃないか?」という止めどもない念と。

「ああでもないこうでもない」と、ひとりで泣きながら散々悔やんだのちに、最後の病状や症状を思い返しながら「お父さんは眠りたかったんだ。痛みや苦しみから解放されて、思う存分走り回りながら過ごせるようになったんだ」と、こころから納得する。

そしてまた、なんらかの拍子で、ひとり自問自答しながら延々と。父の写真に語りかけながら。

悔やんでも仕方がない。時間は戻せない。なにより自分の最上級をもって全力でやった。父は誰の目で見ても限界だった。88歳まで立派に生きた大往生だった。

なのに、どうやっても止めることができない。あるときはポロポロ涙をこぼし、またあるときは文字どおり号泣しながら。

こんな経験は生まれて初めてです。

後悔を抱え慟哭を繰り返しながらようやく迎えた初盆の法要

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

そうして月日を重ねながら、少しずつ笑う時間が増えつつも繰り返しで、それでも言い表せない後悔や切なさが薄れてきて、だけどやっぱりまだまだ無理で。

気づけば数ヶ月が経ちました。おかげさまで先々月、初盆の法要を無事に終えたところです。

当初はここから介護者や看病者の立ち位置や気持ち、家族同士の支えあいなどについても記すつもりでした。

でも、ただでさえ今回は長文なのにさらに長くなってしまう。それに、上記についてはあらためて深堀りしつつ、なるべく多くの方々に伝えたいことがあります。

なので、別記事にまとめることにしました。

「親の介護」という現実の厳しさが「大切な親子時間」へと昇華

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

そんなわけで昨年から本格的な介護生活をおくっていたなかで、支えとなってくれたのは、家族や近所の方々、それから世界中の仕事仲間と友人知人、そしてほかでもない父本人でした。

介護の経験者はもちろんのこと、介護と似た側面をもつ子育てに苦闘するママ、さらに「自分は経験がないけれど」と前置きしながら懸命に理解しようと寄り添ってくれた友だち。

全員の存在に救われる想いで1日1日必死で生きていました。

介護生活や、子育て中心の専業主婦として集中せざるを得ない毎日をおくる人間たちは、誰もが社会と分断されたかの得も言われぬ焦燥感や絶望感まで抱えています。どうしようもなく孤独です。周囲に理解者がいる状況でも一切関係なく。

とくにわたしの場合、先ほども触れた超ワーカホリックな仕事人間として長年生きてきているため、この折り合いをつけるのにもとんでもなく苦労しました。女性のキャリア形成において散々悩むひとつが「親の介護」という現実を、身をもって痛感した次第です。

それでもわたしが乗り越えられたのは、介護経験の有無を問わず良き理解者として寄り添ってくれた人たちのおかげであり、なにより父の存在が「苦労する介護」ではなく「大切な親子時間」へと昇華してくれました。

もちろん、介護は綺麗事ではありません。苦渋と葛藤の連続です。実際に経験したからこそ、なおさらそう断言できます。

だけど、「この時間は最後の親孝行なんだな」と。

幼少期から筋金入りの父親っ子として生きてきたのもあるかもしれません。「お父さんへの恩返しなんだ」と思えていられたのは、誰よりもわたしをずっと愛してくれた父だからこそです。

父の介護という尊い経験のおかげで、「人はひとりでは生きていけない」を、あらゆる意味であらためて実感しています。

父の介護前後まで通して見守ってくれた仕事仲間との絆

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

続いて、父を見送ったあとの仕事復帰について。

わたしの場合はクライアント全社(前述の「世界中の仕事仲間」の筆頭格。仕事上の関係を通り越して純粋に仲間です)がむしろ一定期間の制御をしてくれました。

なぜかというと、これまで一度も見せたことがないわたしを目の当たりにしたから。

「この状態で戻ったら壊れてしまう。生涯現役でいてほしいからこそ、ゆっくり復帰してほしい」が総意でした。

あらためて実感した「人はひとりでは生きていけない」の真意

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

ここまでで記した涙が止まらないなどの状態はひとりのとき限定ですが、葬儀のあと報告を兼ね各社とオンラインミーティングをした際、どうやら様子が違ったようです。

話しているうちに全社全員そろって、文字どおり泣き崩れていました(オマイラなんでわたしより泣くんだw)。

先ほどの「人はひとりでは生きていけない」って、ほんと真意ですよ。

こんな状態は人生初だからこそ、なんてありがたいんだ……と同時に、国や国籍、性別、年齢、立場など一切問わず、これまで以上に全員と仲が深まりました。

父の教え「誠実な人間として生きなさい」で得られた強固で温かな輪

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

復帰時期を慎重に設定してくれた理由がもうひとつあります。

ここまで読んできっとお察しでしょうが、シビアすぎる市場や仕事内容ばかりなので「もう少し元気になってから復帰したほうがいい。下手すると壊れてしまう可能性が高い」ということ。

実はわたし、「メンタルマッチョ」と世界中で称されるほど笑、仕事上においてどんなシビアで高度な市場だろうがプロジェクトだろうが案件だろうが、変わらずタフネスに結果を出し続けてきている人間です。

と同時に、そのタフさを「お前らもやれ」ではなく(絶対一生無理というのもある苦笑)、人の生き死になどにも多く携わってきた職業柄や人生経験も影響してか、公私をとおして人を理解したり人に寄り添ったり人を支えるなどのちからに転換しながら生きてきました。

「自分が頼る」より、圧倒的に「人から頼られる」ことが多いんですね。人に頼れず常に抱えてしまうとか、適切に仕事を割り振るなどの上司の役割が果たせないとかいう意味では一切なく。

もちろん、ずる賢く一方的に利用してくる・利用しようと画策する下賤なテイカー人間はひとりもいないし、近づこうとしてもソッコー断ち切るんで大丈夫です。伊達に長年世界市場で生き抜いてきていないですよ。そんな人間は見抜くし、そもそもそこまでお人好しではありません笑。

つまり、総じてそうしたメンタルや在り方や関わり方が常時デフォルトの人間だということ。その結果として、仕事復帰などについてこちらが驚いたほど慎重な判断ときめ細やかな配慮をしてくれています。

もともと「友だちなんて多くなくていいし、ひとりもいなくたっていい。周囲の目を気にして“ぼっち”を恐れたり、無理に合わせる必要はない。父と母が理解者であればいい」という考えの持ち主です。

そんなわたしだからなのか、欲得で一切動かないタイプゆえになのか、気づけば世界中に強固で温かな輪が広がり、巨大基盤となっています。

「ずる賢くないと損をする」だの「自分が得する人間とだけ付き合え」だのの薄っぺらすぎる妄言を、存在するだけで全否定しているのがわたしですよ。父の教え「誠実な人間として生きなさい」はやっぱり正しかったです。

父の逝去後に訪れた自身の病との闘いと周囲の支え

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

ということで、フルコミットでの仕事復帰が8月頃に設定され、それまでは少しずつ再ジョイン。

と同時に4月から、わたしにとって生命線である独特の感覚や嗅覚を取り戻す目的を兼ねて、先行してカムバックした領域があります。

報酬が発生する通常ビジネスと同時並行で長年携わってきている、世界各地の人道支援や社会福祉支援の活動です。

8月からフルコミットでの復帰が叶わなくなった「乳がんの疑い」

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

自分で言うのはほんと嫌なのですが……わたしの場合はとにかく仕事能力が図抜けていて。「仕事星生まれの仕事星人だから」の小ボケに真顔で超納得されてしまうくらい。

だからこそ、この希少な才能はきちんと世界中の社会に活かさないといけないと決めています。

いやもう、文字どおり「貧乏暇なし」なんですよ笑。

そんなわけで人道・社会福祉の支援領域での活動から再始動し、通常ビジネス領域は少しずつ。5月頃、精神的なショックや疲れが一気に出てきて咳風邪をこじらせたのもあり、本当に様子をみながらで。

ところが、8月のフル復帰が叶わなくなりました。

「乳がんの疑い」を告げられたためです。

最終診断「良性の腫瘍」の結果までに初めて経験した葛藤の連続

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

結論からいうと、良性の腫瘍という最終診断結果を得ました。

ただ、ここまでくるのに要した約1ヶ月半、これまた味わったことのない葛藤の連続で……。父を看取った直後ということもあり、本当〜〜〜〜にきつかったです。

この乳がんについてなどは、あらためて別立てで複数記事にしたいと考えています。「わたしだからこそ、書けて、伝えられることがある」と確信しているからです。

良性であっても腫瘍ができてしまった以上、本当にいろいろ考えたし、考え続けています。そうしたことも含めて、お話できたらいいなと。

仲間との奇跡的な関係は「信頼貯金(信頼残高)」をお互い貯めた結果

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

で、仕事フル復帰どうなったの?というと、少し先になりました。

国内外全社そろって8月からフルコミットで調整してもらっていたところ、乳がんの疑いで身動きが取れなくなり再度調整、そこから最終診断結果を経て再び調整してもらっているからです。

心身ともにさらに疲弊してしまったため、これまた「頼むから無理だけはしてくれるな!」という大いなる労いもあり。

いやもうなんていい人しかいないんだ!と泣けてきます。

でも、こうした無数の奇跡的な関係は、安易に得られたものではありません。昨今巷でよくいわれている「信頼貯金(信頼残高)」を大切に貯めてきたからです。

長い時間をかけて、お互いにコツコツと。

ここ数年でわたしが経験した介護や大病(の可能性だったけれど)をはじめ、人生において大きな決断や動きが迫られる出来事やアクシデント。誰の身にも起こる可能性が極めて高い類いですよね。

そうしたあらゆる窮地に立たされたとき、やっぱりもっとも重要なのはステータスや一過性の関係ではないと断言できます。どれだけ時代が変化しようと、まったく変わることはありませんよ。

本記事が前編、次記事が後編で全容が見える構成

東京都大田区大森にある「大森ふるさとの浜辺公園」にて日課の散歩をする、フリーライター・カメラマン田中佐江子の父の生前の姿

ここまで読んでくださりありがとうございました!

長くなりましたが、昨年からブログとインスタグラムが更新できなかった最も大きな理由と、あらゆる経験や心境をお伝えしておきたくて。

冒頭でチラリと触れましたが、本記事に使用した写真はいずれも父。介護が始まってから「寝たきりにならないようにがんばろう!」と親子で奮闘し、ほぼ毎日散歩に出かけたときの姿です。

父が晩年まで立派に生きた証、そして娘のお気に入りとしてシェアしたくて選びました。棺に入った最後まで本当に良い顔をしていた父の娘として生きていられることに、あらためて幸せを感じつつ。

ここで終わり!となるはずが……実は本記事、当初もっともっと長い予定で。さすがに長すぎるので分割しました。このあともう1記事、お目通しいただけたら……!

下記のリンクから飛べる後編の記事まで通して読むことで、昨年から今年にかけてわたし、田中がどういう状況で自分と家族のために闘っていたのか?どういう人たちが共闘しながら強力なバックアップをしてくれているのか?あらゆるすべてがわかります。

ぜひこちらもあわせてどうぞ!リンクは公開後に貼っておきます!