新型コロナウイルスがもたらした2020年の変化と、変わらない大事な存在と2021年へ

ライター/フォトグラファー/営業&マーケティングプランナー・ディレクター田中佐江子

毎年毎年年の瀬は仕事が詰まりまくって走り続けやっとひと息ついて「うおー!新年!」が恒例行事とはいえ今年はさらに早かったと振り返り笑ってしまう田中です、どーもこんにちは。

今回はもう、さくっと本題にうつります。

題して新型コロナウイルスがもたらした2020年の変化と、変わらない大事な存在と2021年へ!

大晦日に1年を振り返りつつ、アレやコレやを考えてみました。超めずらし〜〜く自分の写真を使って。

新型コロナウイルス感染拡大で変わったコトとモノ

ライター/フォトグラファー/営業&マーケティングプランナー・ディレクター田中佐江子

2020年の最大のトピックスといえば、タイトルでも触れている新型コロナウイルス感染症の蔓延。

自分が生きているあいだにパンデミックが現実に起こるだなんて想像もしていなかったわたしにとって、戸惑いの連続と、仕事や生活面での調整がデフォルトとなった毎日。

それは日本、いや、世界中の多くの人にとってもそうで。

加えてわたしの場合、コロナで世界的に大打撃を受けた経済界の立て直しを目的とした、一瞬たりとも待ったなし、ヒリヒリするほどシビアなプロジェクトへの参画を求められ、イレギュラーな業務体制に突入。

来る日も来る日も、あらゆるすべての人に対し「なんとかもちこたえてほしい」「どうか立ち直ってほしい」と祈りにも似た強い願いとともに、抜本的な改革とテコ入れに尽力する日々が始まりました。

多くの人とたくさんの喜びをわかちあう、これまで味わったことのない幸せが日常となったのはうれしい変化です。

究極にシビアな領域だからこそ、究極の幸せをみんなでわかちあえる。同じ視座の高さと価値観を持つ同士に許された喜びでもあります。

と同時に、自然と「これまでだな」と特定の人間や業界を冷めた目で見つめる結果にもつながりました。

とりわけ芸能界には、抗えない冷ややかな感情がふつふつと。

「すべては自分のために存在している」と勘違い甚だしい王様ぶりを隠しきれず、コロナ禍でも変わらず自己中心的な言動や振る舞いがやめられない人間が目につきすぎて、もともと深く興味がもてない業界で留まっていたのが、ついに嫌悪感を抱くように。

そもそも娯楽産業は「相手に喜んでもらってなんぼ」のはずなのに、なぜそこまで「相手はすべて自分のために奉仕する存在」であると、情けなく見苦しく失笑でしかない吹聴ができるだろう?と不思議でしかなく。

仕事の基本でもある「自分のプラスの前に相手のプラスを考え、それが結果的に自分のプラスにもなることがたいせつ」がここまで通用しないのもめずらしい……と珍種を眺める気分にもなり、諦めの境地に到達しかかっています。


自己利益しか考えない芸能界事情を顕にしたコロナ禍

自身が歌う楽曲『Night Diver』収録中の俳優・三浦春馬

画像出典:リアルサウンド

決定打となったのが、ほかでもない、三浦春馬さんの死にまつわるコト。

長年ファンだった竹内結子さん死去も大きなショックだったけれど、春馬さんに関しては業界事情を隠そうと画策する悪手の連続が見苦しすぎて、「芸能界って変われないんだな」と冷酷な感情が湧き上がるようになりました。

ガッカリした。とも言えるかもしれません。そう、ガッカリしました。ここまで最悪に酷すぎる業界だったんだな、と。

「三浦春馬は仲間だ」とうそぶきながら、その仲間の死を結果的に食い物にし金儲けに変換していると指摘されても言い訳できない救いようのなさを目の当たりにするたびに「芸能界って変われないんだな」。そんな言葉を反芻していました。

隠しているようでまったく隠せていない。というより、隠そうとすること自体、大間違いだと気づいていない。

プレイヤーとして実績をあげると同時に、マネジメント経歴も長いわたしに言わせると、ピントがズレた昭和の遺物に等しい殿様商売を通用させてきた業界特有のマネジメントのほころびは手にとるようにわかります。

そしてそれは、わたしのみならずシビアな業界や分野でマネジメント実績をあげてきたキャリア層であれば等しく見抜いていること。「マネジメントや育成が下手どころのお話ではない」「芸能界以外では一切通用しない」と。

必然的に、事務所や業界関係者の必死の画策でコーティングされたものより、春馬さんファンの悲痛な叫びがわたしの胸を鷲掴みにしました。彼女たちは辛くて仕方ないよな……と考えるたびにこちらまで切なくてやるせなくなる。

わたしも春馬さんには生きていてほしかったです。どんな手を使ってでも逃げてほしかった。心が綺麗な人にとって残酷な業界だからこそ、精神的にどれだけきつかっただろうと考えるだけでわたしまで泣けてきます。

役者なんかやめていい。役者じゃなくたってなにひとつ問題ないし、むしろ追い詰められていればいるほど、辞めたほうが間違いなく人生は好転するから。

ただ1人の男性として、三浦春馬さんには生きていてほしかった。綺麗な人だからこそ、ずっと。


人間心理にもとづく環境改善の重要性は業界問わず共通

TBS系列連続ドラマ『おカネの切り目は恋のはじまり』主人公・猿渡慶太を演じる俳優・三浦春馬

画像出典:リアルサウンド

春馬さんの死に限らず、芸能界は自分たちの過ちと真摯に向き合い、少なからず自分たちに落ち度があると認め、素直に正さない限り、もう一生本質的な浮上はできないです。蝕まれていることにすら気づけない殿様商売だからこそ。

SNSはひとりひとりの人間性を浮き彫りにしていくのでなおさら。いつまでも徒党を組み相手のせいにして攻撃し、自分たちを上げた錯覚に陥り必死で逃げたって、悪いのは全部自分なんだから堂々巡りなのに……。

マネジメントも仕事での立ち居振る舞いも人との関わり方も、ド素人レベルで残念極まりない。せめて「夢を見せる業界」を標榜するのであれば、生き方や方針を正す努力くらいすればいいのに。

わたしがここまで書く理由は、もうこれ以上、犠牲者を出してほしくないから。こんなきつい顛末を目に入れられる側まで神経やられそうになる。業界の常識は世界の非常識で危険認定されていると嫌でも認識してほしいです。

そしてなにより、働く環境を変えないと属する人間の心も総じてすさんできます。で、結果的に社会への悪影響にもなる。働く人間を商品や動物、駒扱いしていれば、その人は他人のことも同じ扱いをするようになり、疑問すら持たなくなるからです。

それどころか、意識的・無意識問わず自分の現実から逃げたくてマウントを取るために他者をさらに下に置いたり、尊厳を踏みにじることで誤った承認欲求を得ようと醜悪な暴走をします。これは人間心理として当然の流れです。

つまり、芸能人のSNS投稿が見苦しくなる要因のひとつは、業界の環境が悪すぎるということ。

と同時に、無駄にチヤホヤされ、なんでも許されOK扱いで、馬鹿ヅラ晒しながら持ち上げられ天狗になった愚かな人間も同じ末路を辿ります。結局どちらのケースも、加害者でもあり被害者でもあるんですよね。

わたしが願うのは、まずは徹底してほしいということ。影響力を持つ芸能人だからこそ、他者への思いやりや優しさを忘れず、社会貢献をも意識しながら生き、きちんと社会の一員として認められるためにも、属する環境は変えるべきです。

繰り返します。もうこれ以上、絶対に犠牲者を出してはいけない。そしてもうこれ以上、絶対に社会に損害を与えないように業界全体で己を諌めてほしい。

ましてコロナ禍でみんなお互い大変なのだから、芸能人をはじめ準公人が偉いなどという勘違いは捨て、誰もがみんな1人のただの人間同士でしかないという現実に向き合って、手を取り合い支え合うのが今の時代の正解です。


コロナ禍で多くが『鬼滅の刃』を求めた意味と現実の世界

週刊少年ジャンプ連載で漫画・アニメ・映画がすべて大ヒット中の『鬼滅の刃』のアニメ挿入歌『竈門炭治郎のうた』ジャケットイラストの炭治郎と禰豆子

画像出典:リアルサウンド

昨今の芸能界事情のみならず、コロナ禍で殺伐とした風潮が蔓延するこれだけ混沌とした時代だからこそ、もはや言わずと知れた大ヒット作『鬼滅の刃』が空前のブームを巻き起こしているのは自然な現象だと実感しています。

これまで当たり前だった人同士のつながりが分断されかねない状況下に陥ると、特に他者の影響を受けやすい人ほど人間心理として最初にあらわれるのは、他者への牽制です。自粛警察が問題視されるほどはびこったのはそのひとつ。

とりわけ村社会を形成しがちな日本人の場合、この傾向は顕著で、結果として社会が荒れやすくなるデメリットを抱えているんですね。

とはいえ、なにも悪い側面だけではないのが日本人ならではの性質。良い方向にきちんと走れば、団結心や助け合い、支え合いといった、日本が古来から培ってきた国民性に直結します。

ただし、そのトリガーや旗印が必要なのも日本人あるある。良く言えば謙虚、悪く言えば自主性をもって行動できない傾向があり、力強く牽引してくれる起爆剤が必要なのですね。

『鬼滅の刃』の登場人物たちは、現在の日本人が忘れかけていたたいせつなすべてをその身ひとつで体現し、心を燃やしながら生きている。

利己ではなく利他で生きるその真っ直ぐな生き様を目にし、ストレートに感動できる日本人がこんなに多く存在することが、なによりコロナ禍を乗り切るためにも救いだ、と純粋に捉えています。

日本人ってやっぱりいいな。そう誇っていいじゃないですか。

なにかと自虐しがちなだけでなく、SNSの誤った使い方で他虐までやらかす昨今のくだらない流行を呆れて眺めるわたしに言わせたら、極東の小さな島国が世界第3位の経済大国として上り詰めた実績を誇らないのはあほかと思うくらい。

『鬼滅の刃』を見て素直に感動できる人間がこれだけいるのだから、そろそろ戦後に植え付けられた誤った自虐史観なんて捨てちゃえよって。白人様を無意味にありがたがるより「うちら日本人っていいじゃん!」って誇ったほうが健全ですよ。


着飾り上品に微笑むより泥だらけで笑う人間が牽引する真実

週刊少年ジャンプ連載を終え、漫画・アニメ・映画がすべて大ヒット中の『鬼滅の刃』最終巻23巻の表紙イラストの竈門炭治郎と禰豆子

画像出典:リアルサウンド

『鬼滅の刃』の登場人物を通してもわかるように、結局、泥だらけで笑う人間に敵うものなんてこの世にひとつも存在しない。

どれだけ着飾って「おれ・あたしってこんなにおしゃれなのよ」とマウントよろしくキメた投稿を毎日垂れ流そうが、全力で生きる人間の生き様を前にした瞬間、すべてが無意味になる。残酷でしょうがこれが現実です。

毎日なに食べただ、なに作っただ、どんなシャレオツな生活してるだ。そしてそれらすべての根底にあるのは「他者より優位でいたい」「相手に勝ちたい」の薄っぺらい功名心と承認欲求が透けて見えるマウントで。

そんなもん、なにひとつ意味なんてないんですよ、特にこのコロナ禍で。

そして泥だらけで笑える人間は、マウントが癖づいたSNS中毒者とは大きく異なる価値観をもっています。その価値観とは「勝ち負けや社会的立場を基準に生きていない」ということ。

先日、コロナ禍のストレスフルな毎日だからこそ、こころを開放しながら日本人はもっと自分を甘やかしてあげていいと書きました(過去記事参照)。

が、勝ち負けや社会的立場を基準に生きている人がそれをやると、「こころを開放する」「自分を甘やかす」の本質が理解できていないどころか捉え違いを起こすので、他者を巻き込む大迷惑な甘ったれに成り下がり終了です。

自分を甘やかすことは、同時に相手を尊重するということ。自由には責任が伴うのと同じように、ただ自分にゆるいだけなのは他者に迷惑ばかりかける甘ったれのとんちんかん。

相手を利用してなんぼの利己的な人間が「自分を甘やかす」だの「ゆるく生きる」だの、鼻で笑われておしまい。

自分をたいせつにしてほしいのなら、まずは自分から相手をたいせつにしなさい。自分を尊重してほしいのなら、まずは自分から相手を尊重しなさい。自分を愛してほしいのなら、まずは自分から相手を愛しなさい。

これ、コロナ禍のいまだからこそ、一番大事なことでは?と実感しています。

新型コロナウイルス感染拡大で変わらなかったコトとモノ

ライター/フォトグラファー/営業&マーケティングプランナー・ディレクター田中佐江子

これまでの人生であらゆる経験を積んできた分、確固たる人生観を確立させているタイプなので、基本的にちょっとやそっとでブレないのがわたしの強みのひとつだろうなと、シビアな業務に携わるなかで再確認している今日この頃。

わずかなことで他人に左右され、ふらふらブレたり、言うことやることがすぐにコロコロ変わったり、一過性でしかない流行や他者の迷惑でしかないノリで風見鶏をしていたら、一瞬たりとも務まらない領域で生きてきたからです。

そんな毎日を過ごすなか、新型コロナウイルス感染拡大後、通称“アフターコロナ”でもいっさい変わらなかったものがあります。

まずわたし自身。そして、わたしのパートナー。それから、わたしの仲間や友人たち。

仕事や生活スタイルが大きく変わることはあっても、なにひとつ変わりませんでした。「それが当然でしょ?」と言わんばかりに全員揃って。

これってなにより幸せなことだな、としみじみ感じています。

そもそもわたし自身がこういう性格や人生を生きてきたのもあって、わたしの周囲にはあらゆる意味で筋金入りが揃っているのですね。年齡問わず共通しています。

関係構築も同様で、お互いに支え合いながら乗り越えてきた歴史があったり、相手のピンチに奇しくも支えになったことから「わたしに対してこの信頼感すごすぎない?w」とありがたいやら驚くやらのブレないものを持たれていたり。

そういう間柄の人間が揃っているのです。薄い関係がひとつもありません。

だからこそ、我が身を通して思うのです。「人は合わせ鏡だ」と。

自分をたいせつにしてほしいのなら、まずは自分から相手をたいせつにしなさい。自分を尊重してほしいのなら、まずは自分から相手を尊重しなさい。自分を愛してほしいのなら、まずは自分から相手を愛しなさい。

「くれくればかりしている自分基準人間に手を差し伸べてやるほど暇じゃねえわ」くらいにはあっさり言い切ってしまう、「なんでも受け入れることが優しさだなんて大間違い」「強さがない優しさには利己が潜む」が人生観のひとつのわたしだからこそ。

わたしが笑っていられるのは、かんたんに相手を見切らない大人かつ優しい人間性の持ち主がそばにいてくれるから。そして彼らはこう口にします。「あなたがそういう人間だから」と。

嘘だらけだったり、相手をコントロールしようとする悪癖が身についた生き方だったら、この人間関係は絶対に築けませんでした。そういう意味では、わたしは恵まれていると実感しています。真っ直ぐが心地よい同士に出会えたから。

変わらない幸せは、なにより人に対して感じた瞬間に味わえるもの。そしてそんな自分が幸せだと素直に思えることを、2021年はいまよりもう少し誇ろうと考えています。他者に対してではなく、自分自身の内側で。

ひとりひとりお互いを尊重する2021年になりますように

ライター/フォトグラファー/営業&マーケティングプランナー・ディレクター田中佐江子

人は誰もが孤独を抱えています。その基本が理解できている同士が、依存せずにお互いに支え合いながら、心地よい関係性で生きていける。

その関係性の源にあるのは、お互いを尊重するということ。

SNSのマウントにしても、根底に潜むのは「相手を尊重する気がない人間が、自分だけは尊重させたいゴリ押し一辺倒をやらかしている」のですよね。

マウントが嫌われるのはこれが理由です。相手が自分の思った通りの反応を返してくれないからと嫉妬や僻みに変換して「下々の者はかわいそう〜」と顔を歪めて高笑いしている人は、相手に苦笑されているだけですよ。

「いやいや、あんたに嫉妬するほど暇じゃない」程度です。はなから相手にされていない。同じレベルで会話が成り立たない人に対してなんてそんなもんですよ。

相手を尊重しない人間が誰に尊重してもらえるというのだろう。いつまでも嫉妬だの僻みだの思い込まれるのも面倒くさいので、変われないのなら無駄に持ち上げてくれる層だけでまとまっていればいい。それ以外には被害を出さずに。

それ以外の多くの人たち、もちろん「こんな状況下で不安だな」と生きる自信を失っていたり、迷っていたりする人を含めて、ひとりひとりお互いを尊重する2021年になりますように。

やわらかな愛を向けた相手からは、同じ愛情が返ってきます。返ってこない相手はそれまででOK。必ず自分にとって自然な愛情のやりとりが成立する相手がいるからです。

そのためにも、お互いに尊重することって大事だな、と。人を尊重できない人間には、結果的にそれなりのものしか返ってこない。それが人間の真理です。

2021年も変わらず愛情たっぷりで生きていこうと思います。自分からの愛情発信はもちろん、相手からの愛情も素直に受け取りながら。

書いているうちに年が明けてしまいましたが、どうか2021年があらゆる意味で兆しの見える1年になりますように。これを読んでくださっているみなさんの笑顔が増える1年でありますように。