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なんだかんだと夜中まで起きていて、うっかりよだれを垂らしながら爆睡のあげく、目が覚めたら、あれー?うっそー?!年が明けていた!!!!
……………なーんて、ボーっと生きている大人代表の田中です。夢はチコちゃんに叱られることです。あけましておめでとうございます(新年早々この締まりのない出だしは一体なんだと自分自身を小一時間ほど問い詰めたい)。
http://www4.nhk.or.jp/chikochan/
「振り返れば年を越す」を所信表明に
確実に「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られる大人代表のわたしですが、このボーっとした年明けに対し、盛大な言い訳からはじめようではないか!そうだ!そうしよう!(オチが見えないはじめ方に我ながら不安で仕方がない)
いや、アレですよ、アレ。大晦日間近まで仕事だの周囲とのやりとりだのしているとですね、年々「お正月でございまーす!」なんて空気はなくなるわけですよ。
一言で言うならば、「振り返れば年を越す」(なぜ「振り返れば奴がいる」と同じ発音で語るのだわたしよ)。
もうコレを内閣総理大臣の所信表明にしたらいいんじゃないですかね。働き者の日本人らしくてピッタリじゃないですか。うん、よしよし、はい決定(適当すぎるまとめ方に我ながら頭痛が痛くて仕方がない)。
日常の延長線上にやってくる年越し
冗談さておき。年々、年越し・年明けの特別感はなくなってきました。日常の延長線上にやってきて、気づけばカレンダーや手帳が新しくなり、日付入りの書類作成時に慣れるまでは気をつけるくらい。
それが悪いことだとは感じておらず、単純に時代の移り変わりとともに人の生活習慣や過ごし方が変化している証でもあるのかな、と。
信心深い人であれば、信仰する宗派によってお正月の在り方が定められているでしょうが、特に宗教に傾倒していない人なら、「お正月だし初詣とお墓参りくらいは行っておこうかな」といった感じが多いのでは。
わたしは後者の、宗教に傾倒していない人であり、家庭です。
もともと「お正月だから人を大勢呼んでOR出かけて、派手に!」もなく育ってきて、周囲にも同じような環境や考えの人間が集まっているせいか、年が明けることが日常の延長線上になったことにも違和感がありません。
毎年恒例の地元の神社仏閣への参拝
とはいえ、地元の神社と菩提寺に初詣とお墓参りに出かけるのは、信仰云々ではなく、春秋のお彼岸やお盆を含めて、ご先祖さまへのごあいさつとして欠かせません。行かないとなんとなく落ち着かない、ともいえるかも。
そんなときに感じるのが、神社仏閣がまとう独特の空気。これこれ、これがなんとも言えずいいんですよ。
新興宗教の勧誘につかまった際は、相手に有無を言わさず「仏教徒ですっ!」(with「ある意味もっとも恐ろしい」とガクブルされている満面の笑み)の超ソッコー返しが定番でもあり、特別な信仰心はないけれど、それはそれとして神社仏閣は大好物です。
ハロウィーンノリで騒ぎたいだけ目的の馬鹿まで寄りつく超有名な神社やお寺じゃなくちゃ!なんていっさいありません。
逆にそういうところはお馬鹿さんがうざいし邪魔ですわ(「やっぱりこの人、年が明けても馬鹿に対する切れ味はそのままだわ」などと囁きあわなくて大丈夫です)。
むしろ、各地域の地元民がそれぞれ足を運ぶ存在に惹かれます。地に足をつけて生きている市井の人たちの息吹が感じられる場所っていいじゃないですか。
その土地をこころとからだで味わえる空間は、神社仏閣に限らず乙なものです。たぶん、そういう奥深さを心ゆくままに堪能したくて、街歩きやごはん屋さん巡りも大好きなんだろうな、と実感しています。
その既視感に本音が漏れる小ネタ発生
が、しかし。だがしかし。だ。
本日はそんな味わい豊かな場に、頭にウジ虫沸いてんじゃねえの?……あ、いやいや……嫁と子どもの前だからとイキがる男ほどみっともないものはないということに気づきましょうね、とこれ以上もなく優しく(当社比)諭して差し上げたいファミリー2組が沸いてきました。
なんだろうこの既視感……。
ああ、アレだ。もし長友・平ゴキブリ夫婦とガキんちょが身近に沸いてきたら、まさにコレだろうなってやつだ(大正解)。
だってアレじゃん。
嫁とガキの前で必死にイキがり強者気取りで人様に嫌がらせほざくちっさい旦那と、見苦しくカッコよさの欠片もない旦那を持ち上げ玉の輿美女ヅラしているブス嫁と、躾もまともにできない低レベル両親のせいで甘やかされ馬鹿街道まっしぐらのクソガキの構図。
って、そっくりじゃん(言葉を慎みなさい)。
でもさあ、一言言っておきたい。
勘違い激しいあなたが思い込みたいほど、あなたの旦那もあなたもあなたの子どもも周囲から憧れられていないし、好かれてもいないし、認められてもいません。
ざんねーん!!!!(なぜちょいちょい古いネタを挟もうとするのだわたしよ)
長友・平夫婦をさらにちっさくしょぼくしただけって、すでにあらゆる意味で二の句が継げない。先行きもお察しですね(だから言葉を慎みなさい)。
反面教師に感謝の元日とはこれいかに
反面教師のお手本に新年早々出くわしたものの、そのファミリーを知るある人物の「立場も才能も実績も交友関係も人間性もなにもかも敵わない相手を認められず、男という性別にしがみつくしかできない小物連中と評判」との一言に、かわいそうな人たちなんだな、と。
年が明け、今年一年のがんばりを誓う清々しい場で、嫁と子どもの前だからとことさら人様に調子こいた態度をとってドヤ顔するばかりか、そもそも群れないと息ができないなんて、狭い世界でイキがってオラオラするしか能がないヤンキーじゃないですか(有無を言わせないド直球正論)。
男として以前に、人間として哀れでかわいそう。そんな男性をパートナーにして同じく調子こいている、お顔が歪んだ嫁さんの女性も等しく。
あらためて実感しました。「同レベルの法則」「類は友を呼ぶ」とはまさに真理だ、ということを。
「今年もこんな無様に堕ちないように真っ当に生きよう」と誓うことができたので儲けものにしておきます。どうもありがとう、反面教師さん♡(with「ある意味もっとも恐ろしい」とガクブルされている満面の笑み再び)
健康で実りある年になることを祈りつつ
年が明け、初詣とお墓参りを済ませ、まったりとくつろぐ。ああ、今年も幸せなり。
今年一年がみなさんにとって健康で実りある年になることを祈りつつ。そう、からだの元気はこころの元気につながり、すべてを乗り越える馬力になりますぜ。コレってつまり、アレだ。アレに違いない。
元気が一番!元気があればなんでもできる!
行くぞーっ!1!2!3!ダーーーーッッッッ!!!!
今年もよろしくーーーーっっっっ!!!!(なぜこのノリをオチにもってきたんだとやっぱり自分自身を小一時間ほど問い詰めたい)