W杯ロシア大会|「ロストフの空を忘れるな」サッカー日本代表の挑戦と新たな門出

かつて日本代表を率いながらも道半ばで病に倒れ、以来、遠い異国から日本を見守るイビチャ・オシムは、静かにこう語った。

「日本よ、見事だ。本当に見事だ。」

6月24日に行われたワールドカップロシア大会グループリーグ第二節、日本VSセネガル戦の翌日に日本に届いた、あいかわらず厳格で、とびきりチャーミングな心根を垣間見せながらの喜びとして。

かねてより西野朗を評価していたイビチャ・オシム

オシムがセネガル戦を絶賛。「日本の強さはポーランドより上」

イビチャ・オシムが日本代表監督への就任前、ジェフユナイテッド市原・千葉の改革者としてタクトを揮っていたのは、サッカーファンであれば誰もが知ることだろう。

彼がジェフの指揮官だった当時、ガンバ大阪を率いていたのが、奇しくも今大会の監督を務めた西野朗その人。

時を経て、同じA代表のトップとしてロシアの地で采配をふるうことになったわけだが、当時からオシムが西野朗を高く評価していたことを覚えている人はどれくらいいるだろうか。

ジェフが優勝戦線に躍り出ることになり、その年の覇権を争っていたガンバに対し、「優勝にふさわしい」と口にした逸話はいまだに語り草になっている。

「自チームを卑下している?」と誤解する向きもあるだろうが、オシムの性格上、それはない。攻撃的采配を好む西野朗の能力や戦術、スタイルを、心から讃え、純粋に認めていたのだ。


ガンバ大阪のスタイルを確立させた西野朗の手腕

当時のガンバのサッカーはわたしも大好きで、「西野監督といえばガンバ。ガンバといえば西野監督」との認識を持っていたほどである。もちろん、“マイアミの奇跡”と称されるアトランタオリンピックでのブラジル戦勝利も格別だった。

必ずしも「攻撃は最大の防御」とはいえないが、それでもそれを彷彿させるアグレッシブなスタイルは、見るものを駆り立て、高揚感を味わわせる。

西野朗のサッカーは、なにも「ただ攻めればいい」ではなく、まさにその、見るものを駆り立てる戦術だ。少なくとも当時のガンバサッカーに魅了された人間であれば、同じ印象を持っているのではないだろうか。

こうしてもともと好印象だった西野朗というサッカー人へのイメージがやや変わりつつあったのが、日本サッカー協会への入閣。それまで“現場の人”だったのが、“組織の人”になってしまった。

「なんとはなしに表情に陰りがうかがえるようになったかな?」は個人的な感想だが、正直な本音として、「まだまだ“現場の人”でいてほしかった」。

ただしその一方で、「“現場の人”だったからこそ、協会に飲まれずにがんばってほしい」との相反する気持ちが交錯したものだ。


試合観戦すら迷っていた日本代表への想い

今大会の日本代表に対し、正直、期待をしていなかった。というより、大会前までは試合を観るかどうしようか迷っていたほどだ。

現地で闘う選手や監督、コーチ、スタッフに失礼だと思われるだろうが、いつの頃からか「ファンサービスとは名ばかりの、SNSでのマウンティングに奔走する選手たち」という印象が拭えず、よくない感情ばかり沸いていたことは否めない。

「この世の中で“人の迷惑を顧みず、口ばかり達者で暴走が日常茶飯事の、派手好きな意識高い系”がもっとも嫌い」と白状してしまうわたしにとって、サッカー界のなかでも日本人選手のイメージは壊滅的になっていた。いわゆる「オレレベルになると〜」と語っちゃったりするアレだ。

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なぜだか無意味に巻き込まれる騒動まで勃発し、「ファンと称した厄介な連中もこのうえなくうっとうしいし、もうこれ以上、面倒くさいことに関わりたくない」という本音もあった。

「自撮りしてマウントとって“キラキラしたオレ・アタシアピール”目的のSNS投稿する暇があるなら、旦那は黙ってサッカーしろよ、嫁は黙って家庭支えろよ。そもそもマウントしようがどうでもいいしいっさい興味ないから、他人に迷惑かけんな、利用すんな、巻き込むな」だったのだ。

ここまで吐き捨てるのは滅多にないことだけに、なんとはなしに察してほしい。「サッカー界ってどうしようもない次元にまで堕ちちゃったんだな」との冷めきった視点で眺めていたことを。


ヴァヒド・ハリルホジッチ解任から西野朗就任へ

今大会2ヶ月前に突如起こった、前監督ヴァヒド・ハリルホジッチ解任が、その心情に一気に拍車をかけた。

噂や憶測をいっさい信用しないわたしでも、いつまで経っても成長、進化しない日本サッカー協会をはじめ、一部選手の意向、メディア、スポンサーの口出しなど、なにからなにまで疑問符の連続。

急遽来日し、会見を開いたハリルホジッチ前監督から語られた内容と、その姿を嘲るように切り捨てた協会会長筆頭に幹部の醜悪な態度。

「日本はプライドばかり強豪国。というより、本場の強豪国でもやらかさないタチの悪さを平気で露呈する、勘違い極まりなく痛々しく救いようのない意識高い系なのか」と愕然とした。

「腹が立つを通り越し、ただただ情けない」と。

そこへ来て、「西野朗、代表監督就任」である。

新たな神輿を担ぎあげる協会幹部の歪んだ顔を横目に、「ガンバ大阪の西野朗はもういなくなってしまったのかもしれない」と絶望にも似た苦渋を抱えることとなった。


日本全体で囁かれていた嘘偽らざる本音

ロシア入り前に行われた強化試合、スイス戦、パラグアイ戦をリアルタイムで追うことはなかった。

それどころか、ここ1年ほど日本代表戦を観ることがなくなっていたため、ダイジェストで目にしたパラグアイ戦に予兆を感じていたとはいえ、あいかわらず印象は悪いまま。

以前から繰り返しブログでも記していたが、日本サッカー協会の体質や在り方がまったく受け付けられない以上、下部組織にあたる日本代表も取り返しのつかないレベルに堕ちてしまったのかもしれない、と。

「この状況で、その態度で、どうやって期待を持てと?なにに対して好意的に思えと?それで応援しろと?」

わたしはもちろんそうだが、日本全体でこうした本音が囁かれていたのは、嘘偽らざるところだろう。

サッカーの面白さを再発見できたロシア大会

そうして迎えた今大会は開幕戦以降、白熱した試合が展開され、誰もがテレビ画面に釘付けの毎日を送ることになった。終了間際の大逆転劇やジャイアント・キリングも多数演じられ、そのどれもが愚直な泥臭さで彩られていた。

「サッカーって、なんて面白いスポーツなんだろう」

久しぶりに心が震え、涙があふれるほど感激する瞬間に出会った。「自分が好きになったあの美しいサッカーが、今大会にはある」と。

国を背負い、威信をかけ、泥だらけになりながら、ぶつかりあい、走り続ける。参加国がお互いに好影響を与えあうかの如く。決して優雅ではなく、汗と涙にまみれたその姿に、どうしようもなく魂が揺さぶられた。

「この熱をまっすぐに感じとっているのであれば、呼応して日本もいい試合になるのでは?」

それでもまだ、日本代表に懐疑的だった。選手や監督のインタビューもなるべく耳に入れなかった。せめて純粋に試合だけを楽しみたかったのだ。

稀代の勝負師、西野朗が帰ってきた

6月19日、日本の初陣となったグループリーグ第一節、コロンビア戦。

そこにいたのは、変わらぬその人だった。稀代の勝負師、西野朗が帰ってきたのだ。

選手が躍動し、ダイナミックに走り回る。強化試合でも指摘されていた弱点が改善され、見違えるような闘い方に我が目を疑う。その心地よい裏切られ方に、いつしか声があがっていた。

「がんばれ!」と。

ごめんなさい、西野さん。あなたはやっぱり“現場の人”だった。現場でこそ輝く、こんなにも生き生きとした表情を見せるたくましい指揮官だった。その勇姿に再会できた快感でニヤリとした人も決して少なくないはずだ。

同試合終了後、アジア勢初の南米チームを破るという快挙を手土産に、次戦に向けて気持ちを新たにしたことだろう。「日本が持ち味とする組織での闘い」で見事勝利した日本代表であるならば、間違いなく、きっと。

香川真司・乾貴士の同時先発、柴崎岳の開花

後のセネガル戦、ポーランド戦、決勝トーナメントのベルギー戦はいずれ記すこともあるかもしれないが、個人的に念願だった「香川真司・乾貴士の同時先発」「柴崎岳の開花」がなによりもうれしかった。

とりわけ、どことなく窮屈な香川真司の姿が日本代表の風物詩と皮肉られ、「ボルシア・ドルトムントの香川真司は日本代表では輝けない」とまで酷評された悔しさを思い返すと、ようやく居場所とスタイルに出会えたかの瑞々しい凛々しさに、自然と笑みがこぼれていた。

本国ドイツで衝撃的なデビューを果たし、大きな喝采とともに敬意をこめて呼ばれるようになった“小さな魔法使い”。

今大会では、ドルトムントが誇った“ファンタスティック・フォー”、マルコ・ロイス、ピエール・エメリク・オーバメヤン、ヘンリク・ムヒタリアンと形成したカルテットを、乾貴士、大迫勇也、柴崎岳と再現したかのようだった。

その目撃者になれたことは、ドルトムントと日本代表、どちらかではなく、どちらの香川真司にも声を枯らしながら声援を送り続けたわたしにとって、このうえもなく幸せだったことは言うまでもない。

「善戦したからすべてチャラで忘れてね」は通用しない

全員で連動し、全員で攻め、全員で守る。

チームワーク重視の日本の強みが存分に発揮された今大会を振り返ると、決して良いことばかりではなかったし、「善戦したからすべてチャラで忘れてね」と言われても、「ちょっと待って」と眉をひそめてしまう。

なにしろ代表チームの帰国前、つまり指揮官の西野朗の直接報告を待たずして後任候補がマスコミに漏れたこと自体、誰がどう考えてもおかしい。

現場で死にものぐるいで闘った人間に対して失礼極まりないのは当然だが、毎度毎度のお家芸と化した、「責任の所在をぼかして自分たちの立場を守る」ことに躍起になる協会幹部の見苦しさには辟易とする。

忖度という言葉が世に登場して久しいが、現場がいくら変わろうと尽力しても、忖度最優先で変われない日本サッカー協会幹部やお抱えメディア、電通、スポンサーの悪しき構図にメスを入れない限り、日本サッカー界の発展はまったく期待できないだろう。

付け加えるのであれば、一定の結果が出たことに満足し、元の木阿弥とばかりにマウンティングに精を出す姿勢が選手から消えない限り、言わずもがなだ。「意識高い系ジャパンなんだよなあ、いまの代表は……」と冷めた目で遠巻きに眺めるのは物悲しいものである。

日本サッカー界の前進に大いなる期待をこめて

日本サッカー界はどこに向かっているのだろう。

どうか今大会で好ゲームを繰り広げた情熱を片時も忘れずに、実直に走り続ける覚悟が持てるように、と願ってやまない。

そして今大会限りでの退任が正式発表された西野朗監督には、「やっぱり辞めるのやめて監督職として改革を続ける」、もしくは「いずれは会長職に就いて日本サッカー界を前進させる」。

そんな未来を描いてほしい、と少々都合がいい願望を抱きつつ。

遠い異国から日本を見守るイビチャ・オシムが静かに語った「日本よ、見事だ。本当に見事だ。」に等しい賛辞が世界中から届けられたいまの日本なら、必ず成し遂げられるはずだ。

「ロストフで倒れこんで背中に感じた芝生の感触や見上げた空を忘れるな」

失敗を執拗に責めず、ひとりひとりを愛情で包み込みながら前を向かせる言葉をかけられる指揮官と、そのまっすぐな想いを受けとめ、綺麗な涙を流せる選手なのだから。

日本サッカー界の前進を実現してほしい、と大いなる期待をこめて。