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好きなスポーツのオフシーズンの楽しみは、シーズン中を丁寧に取材し、オフ(またはシーズン中)に『今だからこそ話せる』選手の肉声を交えて制作された番組を観ること。必ず、選手本人をたいせつに取り上げた番組のみ。
もう長年、このパターンで楽しみにしている選手が何人もいます。
昨夜は、12月30日(月)NHK BS1で放送された『メジャーリーグ総決算 ドラマチックMLB 2013』を視聴。素晴らしい、とあらためて実感しました。
特に、このカテゴリー(あえてこういう表現にします)に属すアスリートのメンタリティが大好きです。
今回の番組構成は、大きく分けて二部構成。
名門・レッドソックスの復活、ワールドチャンピオンに返り咲く大きな立役者となった上原選手、田澤選手のメジャー人生を振り返りつつ、昨シーズンにスポットを当てた構成。
レンジャーズのエースにまで昇り詰めたダルビッシュ選手の昨シーズンの振り返りと、多彩な球種の中から昨シーズンの決め球及びフォームなどの強みや凄みにスポットを当てた構成。
上原浩治選手!そして、めっちゃチャーミングでむしろお父上の上原選手以上にファンである(笑)愛息のカズくん!
田澤純一選手!
ダルビッシュ有選手!
まだ観ていないひとたちがいるかもしれないので細かい内容は差し控えますが、こうしたドキュメンタリー番組制作において、NHKは圧倒的に群を抜いた質の良さを誇ります。さすがNHK。こういう番組だけやっててほしいくらい(笑)。
これ、もし再放送があるのなら、ぜひみなさん観てみてください。
そこには、彼らの昨シーズンの真実があります。
彼ら3選手に共通するのは『良いイミでのふてぶてしさ』。
もちろん、最高の賛辞であり、最上級のリスペクトを込めた言葉です。
メジャーに渡って良かったな、とずっと思っています。こうした強みや凄み=良いイミでのふてぶてしさを持ち合わせる選手は、今の日本の野球システムの中にいたらもったいない。田澤選手に関しては、日本のNPBを経ることなく海を渡ったことで当初苦労はあったとはいえ、それは結果的に大成功です。
あまりにも、今のNPBのやり方や、それらを取り巻く思惑はせせこましすぎる。いまだに田澤選手を、まるでペナルティがあるかのように、お咎めを受けなければならない印象操作までしているチンケなNPBサイドの対応を見れば一目瞭然。
『ひとがどう見ようが、なにを言おうが知ったこっちゃない』
この感覚を貫ける=『良いイミでふてぶてしい』彼ら。海を渡り、己の感性に素直に野球に取り組む現状を掴めて良かったと思っています。
もちろん、過酷な世界です。
言葉で表現する以上に、上っ面だけの憧れなど軽くふっとばされます。だからこそ、彼らのようなアスリートが伸び伸びできる、とも言えるのです。
残念なことに、日本では、ともすれば『生意気』などという安易で貧相なカテゴライズをされ、嫉妬や嫉みで疎ましく思い足を引っ張るあほが幅を利かせる村社会(特に、選手より彼らを勝手に取巻く金勘定が趣味の組織など)。
その象徴的な記事を見つけて大笑いしたところ。
3年目を迎えるレンジャーズのダルビッシュは、メジャー移籍時に掲げた「世界中の誰もが“No・1はダルビッシュだ”と言ってもらえるようになりたい」という目標の実現が、目の前に広がっている。
昨季は13勝9敗、防御率2・83で、最多奪三振(277個)のタイトルを獲得。「去年より良かった」と自信を深めた。サイ・ヤング賞投票で2位に入り、「(上位3人の)最終候補になったことは光栄」とコメント。日本人投手初の受賞にあと一歩に迫った。8月半ばから腰部の神経障害に悩まされたが、ここまで順調に回復してきた。打破しなければならないのが、日本人投手による「3年目のジンクス」。過去にデビュー年から2年連続2桁勝利をマークした野茂(元ドジャース)と松坂(メッツからFA)は、いずれも3年目に成績を大きく落とした。相手打線の研究、勤続疲労、故障…。先人たちが苦しんだ壁を乗り越えた先に「世界一の投手」の称号が見えてくる。
スポニチアネックス引用>
ダルビッシュ選手に失礼なばかりか、野茂選手や松坂選手にも失礼極まりない、こういう『貧相な便乗商法』『成功者、才能を持つ者を貶して、失敗を祈り、ひとのダーク感情煽り商法』。
実は全然尊重していない。よく書けるわ、こんなリスペクトに欠けた記事。
3年目のジンクスって一体なんですか?初めて聞きました。そもそも2年目のジンクスとやらも本気でどうでもいいと思ってる人間だけど(笑)。
無駄に煽って、姑息に利用しようと算段することしかせずに、素直に応援できないのならもう黙ってましょうよ。
とは言いつつ、こういう記事を目にしたときにふてぶてしく笑えるのが、ダルビッシュ選手かな、と。そしてそれは、上原選手や田澤選手らも同様。
もちろん「うっとーしいわ」とは感じるでしょうが、「だからなに?」であっさり無かったことにできる。そういう面でも『良いイミでのふてぶてしさ』『くだらないメンタリティになびかない強さ』が彼らの最高の魅力のひとつです。
たぶん、ワタシはちょっと違ったスタンスで応援しているところがあります。
アスリートというひとたちを。これはワタシの性格上のことでしょうが。
極端な話、明日彼らが引退したとしても、ワタシはそれで良いと思っています。
それが彼らの本気の決断であるなら、ワタシはその意思を尊重するのみです。
たとえば、この記事にあるように、今年のダルビッシュ選手が“3年目のジンクス”とやらでシーズン通して不調だったとしましょう。常に危険と隣り合わせの過酷な仕事柄、大ケガで即引退だなんて可能性が0%とも言い切れない。
それでも、ワタシの中でダルビッシュ有の価値は変わりません。
なにひとつも。
なぜ変わりますか?
そこまで残してきた足跡、実績、パーソナリティ含めたダルビッシュ有そのものは終わったわけではありません。そしてそれは、野球人のダルビッシュ有であると同時に、ひとりの人間のダルビッシュ有として全力で生きた証です。
よく綺麗事のように『記憶の中で永遠に生き続ける』といった言葉で表現されますが、ワタシの中では綺麗事でもなんでもなくそうです。
いや、ちょっとそれとも違う。
『どういう姿になっても生き続ける』ですね。
ワタシにとっての『応援する・ファンである』ということは、特別盲信しないし、メディアをすべてチェックしているわけでもないし、あるイミあっさりしたスタンスです。だけど、ちょっとやそっとのことで揺らぐわけがない、どっしりとしたリスペクトがある。
ひとに迷惑をかけたり、ひとを傷つけたり、煽動するかのことをしなければ、ワタシはそのひとをずっと応援し続ける。いつもこのことに変わりはありません。
ダルビッシュ有、そして上原浩治も、田澤純一も、その身ですべてを負いながら闘い続ける人間です。その彼らを応援するということは、すべての真実を、すべての苦悩を、すべての決断を、すべての姿を支えるということ。
今年も、彼らに、そしてすべての真摯なアスリートに。
幸多からんことを祈ります。
なんでそこまで『良いイミでふてぶてしい』アスリートが好きかって?
ものすごく共感できるからです。
なぜか?
実はワタシにもそういう側面もあるからですよ(笑)。