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本当にたいせつなモノを失ってから、「取り返しのつかないことをした」と、気づくことがある。
この言葉をアルゼンチン国民はイヤというほど反芻していただきたい。長年にわたってハラワタが煮えくり返ってきたこと。あなた方は正真正銘、身のほど知らずの大馬鹿どもだ。
リオネル・メッシ。リーガ・エスパニョーラが誇るバルセロナ、そして、南米の雄、アルゼンチンの栄えあるナショナルチームのエース。
現地時間6月4日(土)に開幕し、チリの優勝をもって閉幕したコパアメリカ センテナリオUSA 2016をもって、代表引退を表明しました。
INDEX
- リオネル・メッシ、アルゼンチン代表引退表明。理不尽すぎる国民に苦しめられた代表人生
- リオネル・メッシを追い詰めたのは、アルゼンチン国民であり、ディエゴ・マラドーナ
- 身を挺して守ってあげることができた唯一の存在が、結果としてメッシを裏切りつづけた
- 「母国のために闘うことは誇り」何度も繰り返したメッシなのに、なぜ逃げ場がないほど追い詰めたの?
- アルゼンチン代表全員と日本代表全員をトレードすれば、本物の悲劇が味わえる
- チームメイト想い、ちょっとシャイで人間性豊かなパーソナリティこそ他の追随を許さない
- 引退表明が気まぐれではないことがわからなければ、生きるイミがないのでは?とすら思わされる
- どんな決断をしようが、どうあろうが、メッシがメッシであるそれだけで充分
リオネル・メッシ、アルゼンチン代表引退表明。理不尽すぎる国民に苦しめられた代表人生
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長年にわたってハラワタが煮えくり返っていました。
「アルゼンチン国民は理不尽すぎる。一方的な要求が高すぎて、結果的に毎度毎度の恒例行事として足を引っ張ることしか能がない」
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「強豪国の在り方や宿命」と、したり顔でのたまう人間も多い、南米におけるサッカーとサッカー選手の存在意義。
確かにそれは事実だろうけれど、あえて言いたい。「度が過ぎて見苦しい。のどから手が出るほど望む結果が得られないのは、足を引っ張りまくり批判しかできない、判断力皆無のあなた方のせいだ」と。
リオネル・メッシを追い詰めたのは、アルゼンチン国民であり、ディエゴ・マラドーナ
理不尽な批判、重箱の隅をつつくしか能がない「自分はやらない・自分はできない」あほヅラ晒したモンペアレベルのバッシング。できることといったら、同レベルで徒党を組み、顔を歪ませることのみ。
リオネル・メッシを追い詰めたのは、アルゼンチン国民であり、ディエゴ・マラドーナ。
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この記事に思わず冷笑してしまいました。誰が引退撤回を求めるって?アルゼンチンサッカー協会の全責任?
いやいや、アルゼンチンサッカー協会がお話にならないのは今にはじまったことじゃない。でも、マラドーナは理解していない。マラドーナにより一層大きな責任があることを。
なに都合よくなかったことにして逃げてんの?今まで何度リオネル・メッシを窮地に陥れてきた?
マラドーナがアルゼンチンという国にとって比類なき英雄だろうが、昔からメッシを見守りつづけてきた大のメッシファンに言わせたら、心の底から知ったこっちゃない。どうでもいい。
もちろん、マラドーナの功績はよく知っています。類まれな個人プレイの数々は素晴らしい。
でも、残念な点として、その自己中資質が「薬物中毒」「暴力沙汰」「上限オーバーの激太り」という、引退後の醜悪さにまみれることになりました。
それでも、図太すぎるマラドーナさんと、彼の信者は、「マラドーナが一番。メッシはダメだ」と、リオネル・メッシを軽んじる。
身を挺して守ってあげることができた唯一の存在が、結果としてメッシを裏切りつづけた
リオネル・メッシを身を挺してでも守ってあげることができたのは、唯一、ディエゴ・マラドーナだったはずなのに。今さら擁護?散々メッシを裏切りつづけて?
ははっ笑わせんな。冗談は顔だけにしていただきたい。
今大会前にメッシの人間性に関わることまで意味不明な批判をし、外野で大混乱を起こしバッシング煽動しただけでなく、決勝戦を控えた大事な時期に「負けたらアルゼンチンに帰ってくるな」まで表明した。
マラドーナさん、こうした醜聞を毎回巻き起こすあなたが、今さらメッシの擁護や慰留ができるとでも?
メッシを誰よりも追い詰めたのは、マラドーナだよ。誰よりも守ってほしかった存在に徹底的に傷つけられるキモチがわかる?それをメッシが言えると思う?わかんないでしょうよ、自己中の汚れた英雄さんじゃ一生。
「母国のために闘うことは誇り」何度も繰り返したメッシなのに、なぜ逃げ場がないほど追い詰めたの?
所属クラブ・バルセロナで数えきれないほどの栄光をつかみ、対して母国では目を覆いたくなる戦犯扱いなど、不条理どころじゃない想いまでさせられてきた彼が、今までなんと繰り返してきた?
「アルゼンチンで優勝したい」「母国のために闘うことは誇りだ」と。
何度も何度も、そう繰り返してきた。それがリオネル・メッシ。そのメッシを、アルゼンチン代表チームを、どこにも逃げ場がないほど追い詰めた。
今さら引きとめよう、さらに重荷を背負わせようだなんて、冗談じゃない。たいがいにしてほしい。
そんなに優勝したいなら、自分でピッチに立って、自分でやりなさいよ。依存心バリバリで、まともに「サポート」する意義すらもたず、薄っぺらい熱狂で「応援している」立場を逃げ道にやりたい放題すんな。
アルゼンチン代表全員と日本代表全員をトレードすれば、本物の悲劇が味わえる
あげく、悲劇だと国内ではメッシ批判が起こっているそうで。
A代表優勝のみ手に入れていないだけで、偉大な戦績を残し、なにより家族のような美しいナショナルチームを全員で築き上げ、多くを楽しませている。
これのどこが悲劇?
教えてあげたい。悲劇というなら、それは日本。ド下手くそなくせに超優秀ぶり、プライドだけが強豪国レベルの「意識高い系」なばかりか、SNSやブログでマウンティングやゴッコ遊びまで繰り返し他人様を傷つける。
世界中で一番悲劇なのは、こんな最悪な代表チームをもつ日本。なんならアルゼンチン代表全員、日本にください。他国が一生敵わないほど大事にして、的確なサポートでバックアップしながら共に優勝するから。
その代わり、身のほど知らずを繰り返し、反省せず同じ醜聞をやめない日本代表全員、それから信者連中すべて送りつけるから、たっぷりと悲劇を味わっていただきたい。本物の悲劇がわかるでしょう(笑)。
チームメイト想い、ちょっとシャイで人間性豊かなパーソナリティこそ他の追随を許さない
今まで経験したことがないほど、頭の血管が音を立てて切れそうになった。こんな感情には初めて出会いました。どう表現したらいいのか思いめぐらせても、言葉が見つからない。
と同時に、あらためてよく理解できました。自他ともに認めるメッシファンとして長年生きてきたけれど、自分自身が思っている以上に、わたしはリオネル・メッシファンだ、と。
もし、「リオネル・メッシに伝えたいことは?」と問われたら、わたしは迷わずこう伝えたい。
「悔しさや憤り、やりきれない想いなど、あるがままに吐き出したらいい。でも、決して忘れないでほしい。あなたはただあなたである、それだけでいい」
わたしがリオネル・メッシを好きになったのは、リオネル・メッシが「いついかなるときも、他の追随を許さない絶対的なプレイをする、唯一無二のフットボーラーだから」じゃない。
サッカーの申し子のごとく、少年の面影そのままに楽しげにプレイし、誰もが見とれてしまうほど美しい時間を魅せる。反面、いつもの穏やかさが影を潜め、苦しげな表情で悪戦苦闘する。
そのすべてを、わたしは愛しています。
正真正銘、世界トップのスーパースターにも関わらず、いついかなるときもチームメイト想い、ちょっとシャイで人間性豊かな青年の顔をもつパーソナリティこそが、他の追随を許さないと感じるほど。
引退表明が気まぐれではないことがわからなければ、生きるイミがないのでは?とすら思わされる
リオネル・メッシはロボットじゃない。痛みも感じれば、涙を流すこともある、感情をもち血が通ったわたしたちと同じ人間です。
その真実に向きあおうとしないひとたちによって、リオネル・メッシはあらがいようのない重圧に押し潰され、過小評価をされてきました。
メッシが「引退する」と決断したのであれば、わたしはそれを支持します。もうこれ以上、重荷を背負わなくていい。いつ糸が切れてもおかしくないくらい、理不尽に晒され、追いつめられながら走りつづけてきた。
これまでどれほど酷い局面に陥ろうが、決して口にしなかった決断を表明したという事実。気まぐれではないことがわからなければ、人間として生きるイミがないのでは?とすら思わされます。
もちろん、敗戦のショックから通常の精神状態とは程遠いことも、真っ当に生きてきた人間であれば誰もが理解できるはず。結果「引退」を口にしたのであって、時が経てば思い直し、再び代表のユニフォームに袖を通す。
それも素晴らしい決断です。いずれにしても、もっともたいせつなことは、「第三者から頼まれたからではなく、リオネル・メッシ自身が心から決断したこと」を支持したい。それは一生変わりません。
どんな決断をしようが、どうあろうが、メッシがメッシであるそれだけで充分
たとえば。
もしもこの瞬間から一生、これまでと同じプレイができなくなったとしても、リオネル・メッシの価値はなにひとつ変わらないし、色褪せることなんてあるわけない。
一瞬たりとも。
歩んできた軌跡が、そう確信させる。なぜって?驕り高ぶることなく、真摯にサッカーに向き合ってきたリオネル・メッシだから。
もういいよ。どんな決断をしようが、どうあろうが、すべてそのままでいい。メッシがメッシであるそれだけで充分。
そう伝えたい。そしてもちろん、そう願っているひとが世界中にたくさんいることも、付け加えながら。