記事内に商品プロモーションを含む場合があります
わたしの記憶が確かならば……前回更新はさかのぼること半年前……いや、それ以上前になるだろうか……。
ってさ、古いだろうよこのネタ(覚えている人だけニヤニヤしてしまう話題を小出しにしたがるこの性分をいい加減どうにかしたい)。
俳優・鹿賀丈史さんのナレーションで幕を開ける「料理の鉄人」を回顧しつつ、年越しそばをすする大晦日。やあやあ、みなさんいかがお過ごしですか?
……………どんなに軽快に書き出そうが、このブログが半年以上ぶりの更新である事実はごまかせないのだわたしよ……………(年末恒例の現実逃避中)。
前回更新は半年以上前である言い訳から始める大晦日
「そろそろブログを!あたしの健くんを書きましょう!」
なーんて、年がら年中熱苦しいったらありゃしない……あ、いやいや……熱心なコールがお約束のタケルサトウファンを中心に「そろそろどうよ?」の催促が続いていたあいかわらずの日常。
それは「義母と娘のブルース」から始まった!佐藤健ファンに囲まれる異常事態発生の謎
「いつからオマイラのタケルサトウになった?何日の何時何分何秒から?20文字以内で簡潔に述べよ」
などと、完全真顔なツッコミで冷水ぶっかけ現実の世界に引き戻してやろうかな、とほくそ笑みつつも、佐藤健包囲網はめんどくさい……あ、いやいやいや……せっかくの夢見心地、そっとしておこうなんて優しさ100%で見つめるわたし(注:発する温度マイナス98度)。
要は、ガン無視……あ、いやいやいやいや……仕事していました。
「……………え?またいつものパターン?!」と白目むかれようが、実際問題それが事実で変わらない……………。
仕事ですよ仕事!!!!昨日までぎっしりと仕事!!!!
働かざるもの食うべからず!!!!
仕事が途切れず常に忙しいのはこのうえない幸せなり
個人事業主として働きだしてから、なんだかんだで6年が経過。
会社員時代にも根強かった、仕事があるのはありがたい精神は、さらにしっかりと根を張り、「本業を疎かにネットに逃げている暇などない」は田中的超定番の合言葉だったりします。
おかげさまで、仕事が一段落し、「ちょっと時間ができたからブログを書こうかな」の“ブ”の字にたどり着く前に依頼がドサドサ。
……………あ、じゃあブログはまた次の機会に……………(エンドレス)。
この繰り返しの日々とはいえ、本当にありがたいことです。自分が手掛けた案件を気に入ってくださり、継続依頼や、新規のお声がけが途切れず……「この信頼を裏切るわけにはいかない」と、その都度心を新たにしています。
とはいえ、なんとかもう少しブログ書けないもんかなあ……とは思案中です。年越しそばをすすりながら。
知ってる?年越しそばの始まりは江戸時代後期の大阪
今年の年越しそばも、関東風?東京風?我が家風?かつお出汁がきいた、我が家定番の温かいおそばで締めました。
この一年を振り返ることもなく、一心不乱にそばをすすり続ける欠食児童。
そんなわたしの脳裏に突然浮かんだ、「年越しそばっていつから始まったんだろう?」。
気になりだすと止まらない性分……そんなわけで由来をググってみました!
年越しそばの歴史は古く、大晦日の夜にそばを食べるという習慣は、遅くとも江戸時代後期の大阪には存在していたようです。その由来は以下のように様々な説があります。
①そばは細く長いことから、延命・長寿を願ったものであるとする説。
②家族の縁が長く続くようにとの意味であるとの説。
③そばが切れやすいことから、旧年の厄災を切るという説。
④蕎麦が五臓の毒を取ると信じられていたことに由来するとの説。
⑤金銀細工師が散らかった金粉を集めるのにそばがきを使ったことから、金を集める縁起物であるとする説。
⑥鎌倉時代、博多の承天寺でふるまった「世直しそば」に由来するとする説。(年の瀬を越せない人々にそば餅をふるまったところ、翌年からみんな運が向いてきた、という伝説があります。)
⑦ソバが打たれ強い植物である事から、健康の縁起を担ぐ説。また薬味のネギも、心を和らげるという意味の「労ぐ(ねぐ)」や、神職の「祢宜(ねぎ)」に掛けたゲン担ぎであるともいわれています。
江戸時代後期の大阪……知らなかった……これはアレだ、アレで間違いない……。
チコちゃんに叱られる!!!!(いっそ叱られたいチコちゃんファン)
天ぷらがそばに求愛して始まった天ぷらうどんの歴史
余談ながら、我が家は必ず天ぷらそばなのですが、天ぷらそばの由来にまで想いを馳せだした元祖食いしん坊田中さん。
こちらもググってみたところ、天ぷらとそばの熱い関係が明らかに……!
諸説ありますが、天ぷら屋が当たり前のように並ぶのと同じ時期、その隣には自然な形でそばの屋台が並んでいました。そばの屋台でかけそばを食べていたお客が、隣の天ぷら屋から天ぷらを1つ購入してそばにのせたところ、そのあまりの美味しさに噂が広がっていったと考えられています。
また、文政10年の川柳にも登場することから、それ以前にはそば屋で天ぷらそばが提供されていたと考えられます。
「もう一生、きみを離さないよ!」と天ぷらが求愛して始まったこの関係(違います)。
もうアレだ、卑弥呼の時代からラブかったんだこの人たち(だから違います)。
日常的に口にしている料理も、こうして調べてみると奥が深い。その背景を知ることで、あらためて好きになったりします。
「あ、これって……」と思いついては調べだす。実はわたしの鉄板行動。芋づる式にアレコレ調べては雑学を蓄え続けるのが田中的あるあるのひとつです。
こうして「なんでそんなこと知ってんの?!」を増やすのですよ……学校の勉強嫌いだったくせに……(わたしの人生におけるナンバーワンあるある)。
験担ぎしたい人必見!縁起物の慈姑(くわい)とは
こちらの写真、ご存知の方、もしかすると少ないかもしれないですね。
元日に備え、煮込まれ出来上がりホヤホヤの食材……お正月の定番のひとつ、慈姑(くわい)。
定番とはいえ、食べないどころか知らない人も少なくないらしい、冬の味覚。我が家では父が大好物で、幼い頃から「おせち料理には慈姑(くわい)が欠かせない」が田中家家訓でした。
で、慈姑(くわい)に関しても調べてみたところ……験担ぎしたい人必見の“勝ち食材”であることが判明!
くわいは「畑のくり」とも言われ、収穫されるのは11月~2月の寒い時期です。特にくわいが出荷のピークとなるのは、お正月に向けての11月下旬~12月の終わりくらいです。名前の由来は、その独特な風貌からわかるように、芽の形が鍬に見えるため「鍬芋」と呼ばれていたのが、そのうち略され「くわい」と呼ばれるようになりました。青慈姑、白慈姑、吹田慈姑といった3つの品種が知られていて、中でも多く出回るのが青慈姑と呼ばれるくわいです。
需要は多くないため、一般的なお野菜ではありませんが、古くから茎の先に芽が見えることから「芽出たい」という意味で、出世を祈願して正月のおせち料理の食材として使われています。新年を迎えて、新たな気持ちと意気込みを思いながら、くわいを味わいたいですね。
なんとめでたい!縁起がいい食べ物であることは父から聞かされていたものの、出世を願って食されていたとは。
現役時代は建築職人だった我が父。無理なく自然とできる験担ぎをいくつか行っていましたが、なるほど、ただ好物なだけじゃなかったんだなーといまさらながらに納得。
パワースポット巡りや御朱印ブームといった現象からもうかがえるように、もともと日本人は験担ぎが大好物。とはいえ、強迫観念に囚われたり、ブームだからと周囲に大迷惑をかけながらの大暴走は考えもんです……。
参考
御朱印ブームに悩む寺院 「早く書け」27万円で転売も朝日新聞デジタル
はっきり言おう……とっとと罰当たって転落してしまえーー!!(はっきり言い過ぎです)
あわせてこんな記事も見つけました。よかったら参考にしてくださいね!
参考
なぜ成功者は「験担ぎ」をするのかPHPオンライン 衆知|PHP研究所
参考
ブームの令和元年「御朱印集め」のルールとマナー、そして嘆きNEWSポストセブン
美味しいものを「美味しいなあ」と素直に喜べる幸せ
早いもので、あと数時間で除夜の鐘が鳴り響きます。
やれ験担ぎだ、やれ高級食材だとブームはあれど、美味しいものを食べて「ああ、美味しいなあ!」と素直に喜べること。まずはそうした人間としての基本的な当たり前があってこそ。
つらつらと書きつづりながら今年を振り返ってみたところ、やっぱりそんな自然な想いが芽生えたことに、なんだかホッとした大晦日でした。
みなさん、今年も一年お疲れさまでした。どうぞよいお年を!
……え?ブログ?仕事はわかるけどもうちょっと更新しようよ?
……………よーしわかった……………こういうことはやっぱり目標を立てねば……………。
半年に一回更新を目標に!!!!(プライベートの目標設定は超々〜〜〜〜低くがモットーです)