奇跡のレフティ中村俊輔|セルティックサポーターに歓喜の夢を届けたマンU戦の左足

2006年11月21日。

「今も記憶に新しい」という人も少なくないだろう。とりわけ、日本はもとより、イギリスのスコットランド南西部に位置するグラスゴーの市民においては。

なぜなら、その記憶は常に更新されている。

奇跡のレフティ、中村俊輔。彼はいまだ、人々の熱狂と歓待を受けながら、現役として歩む。

2006年11月21日、マンチェスター・ユナイテッド戦。あの日、あの場所で、誰もが奇跡の証人になった

中村俊輔、不滅の“マンU撃破弾” セルティックが10年前の伝説のFKを回顧

あの日、あの場所で、彼と時をともにした人間は皆、その奇跡の証人になった。そしてそれは、遠く離れた彼の故郷、日本でも、時差をも超えながら鮮やかな衝撃に言葉を失う人間たちを生み出した。

驚くべきことは、時を経ても色褪せることに背を向け、人の世の常すらもくつがえしながらアップデートされることだ。

正確に言えば、奇跡を起こしたのは、あの日、あの場所だけではない。彼の左足から描かれる軌道は、ピッチに立つたびにそれを魅せていた。



中村俊輔が世界的な足跡を残した日。その奇跡の記憶は熱狂と歓待とともに更新される

奇跡は意志をもった記憶として、人々を酔いしれさせる。あの日、あの場所で、彼から放たれた軌道の目撃者たちは、在りし日を懐かしみながら、日々の風景を語るかのごとく共有していく。

飽きることなど知らず、今日も、明日も、明後日も。こうしてその記憶は常に新鮮なものとして更新されている。毎日歯を磨くのと等しく。

フットボーラーとしてこれ以上の栄誉はこの世に存在しないだろう。誰もが欲するその栄光を、彼は一夜にしてつかみとった。



奇跡は一夜のみならず。中村俊輔が魅せるそれは当たり前の日常だった

グラスゴーが誇るセルティックFCの救世主であり英雄として今も変わることなく敬愛される彼は、本拠地セルティック・パークはもちろん敵地においても、その存在感を余すところなく見せつけ、鮮明に在りつづけた。

先述の通り、彼が魅せる奇跡とは、ごくごく当たり前の日常だった。いずれも試合の行方を決定づける象徴的なそれとして。

当たり前の日常すぎて麻痺した結果、斜に構え揶揄する者も一部いたものの、彼が日本人フットボーラーとして稀有なのは、わずかながらのひねくれ者を蹴散らしながら純粋に讃えるサポーターに深く愛されたことだ。

彼の経歴以上のビッグクラブに所属した日本人選手もいる。ただし、彼ほど長いこと愛され、尊敬されながら世界的に誇られる選手は存在しない。後にも先にも、彼たったひとりだ。

恐らくもう二度と出てこないだろう。たとえば、今の日本代表を眺めるにつけ、そう確信させられる。



器用貧乏とは一線を画す、言葉より雄弁な技術や真摯な姿勢のみで魅せる愚直さ

彼は不器用でもあり、口八丁手八丁とは真逆の生き様の人間だ。プロデビュー以降、いや、もっと言うのであれば、それ以前からずっと。

昨今、SNSやブログでのマウンティングや調子乗りが日常茶飯事になり、現役にも関わらずセカンドキャリアの構築に忙しい選手も少なくない。本業が疎かになろうが一向に構わないようだ。

確かにこうした選手たちは、セルフブランディングや立ち回りもうまい。鼻白むほどに。

ただ、そんな姿を恥ずかしげもなく披露することが、果たしてどこまで本気で愛され、世界レベルで人々の記憶に確固たる足跡を残すというのだろうか。

本来、言葉より雄弁な技術や真摯な姿勢のみで魅せなければならない。プロフットボーラーとして。

彼はそうした器用貧乏とは一線を画す。だからこそ、彼に心酔する人間が後を絶たない。親から子へと語り継がれながら、その伝説は永遠に愛されつづける。



日本代表の世代交代、本田圭佑とのある出来事は中村俊輔の凄みを知るきっかけでしかなかった

日本代表において世代交代を象徴したある出来事は、今も賛否両論を生んでいる。現ACミランの10番、本田圭佑が、彼、中村俊輔とFK主導権をめぐり、辛辣な言葉をもって引導をわたしたというものだ。

本田圭佑には本田圭佑の考え方があるだろう。ただ、個人的にこの一件を良しと思えたことは一度もない。その後の本田圭佑のFKやゴール成功率の惨憺たるデータや在り方を目にするにつけ、冷ややかな感情すら沸き起こる。

長年、「それでもひとつの考え方や在り方として」と、それら想いは胸に秘め、ACミラン10番にも声援をおくってきた。

ところが、サッカー界の現状を案じるためとはいえ本業が悲惨な状態にも関わらずセカンドキャリア構築に没頭したり、自らは先人に無礼な形で突きつけた世代交代が己の現実に露わになると不貞腐れた態度をとってみたり。

そうした姿を見聞きするにつれ、なんとも愉快なことに、昇華した感情が芽生えるようになった。

「やっぱり中村俊輔は今の選手たちとは一線を画す。モノが違いすぎることがよくわかった」と。

その美しい姿勢や在り方は、時を超え、世代を超え、国境を超え、愛されつづける

すべての真実は中村俊輔のみぞ知る、それがあくまでも大前提だ。その上で記しておきたい。本田圭佑との確執なども囁かれ、本戦終了後、こらえきれずこぼした涙が何かを指し示したワールドカップ南アフリカ大会。

今現在の代表の主力たちがピッチを躍動しはじめる中、彼はサポート役として尽力していた。

なにひとつ文句も言わず、不貞腐れた言動もとらず、恨み言のひとつすら漏らさず。そうして、彼はこの大会を最後に代表引退を表明し、身を退いた。もう戻ってこない、自分の役目は終えた、と。

彼、中村俊輔の代名詞、日本代表の栄えある10番を代わりにつけたボルシア・ドルトムントの香川真司が、奇しくも昨日、本拠地ジグナル・イドゥナ・パルクで久しぶりのスタメンかつゴールを決めたらしい。ドルトムントも快勝だそうだ。

にも関わらず、なにも感じなかった。なにひとつも感情が揺さぶられなかった。

ただただ、彼、中村俊輔を記したかった。10年経った今も、セルティック公式が誇らしげに世界に向けて讃え、それを目にした世界中で自然と語られ、鮮明な記憶をアップデートを続ける奇跡のレフティを。

セルティックのみならず、多くの人々から日本代表に渇望される衰え知らずの技術と姿勢

「日本代表の10番は、中村俊輔だ」

今なお、グラスゴーが誇るセルティックFCのみならず、日本代表において、当たり前のように奇跡を起こすその左足をどれほど多くの人々が求めているか、彼自身がきっと一番知らないだろう。

いまだ現役として、まったく衰え知らずの姿を魅せている事実こそが、渇望につながっていることを。

欲目もひいき目もお世辞すらもいっさい抜きにして、現代表の誰よりも彼の左足は、飛び抜けた軌道で人々に結果という幸せをもたらす。

そうした待望論にも謙遜しながら控えめに振る舞う彼は、誰よりも無用に人を傷つけることを嫌う性格や人間性も含め、結果的に誰よりも愛され評価を受けている。

フットボーラーとして、後にも先にももう二度と現れない。そう心から讃えられるほどに。

わかりやすい世界的名声すらも陳腐化する、触れた者をホッとさせる親しみやすい英雄

日本人がもっとも日本人を過小評価する国民性を反映するように、むしろこうした論調はグラスゴーの市民を筆頭に、サッカーの母国、英国が、不確かな揶揄を断固として否定かつ拒否しながら熱く語る。

「ナカは英雄であり伝説だ」「ナカがいなかったらこんなにサッカーを好きになっていなかった」「今でももちろん恋しいよ、戻ってきてほしい」

人々は純粋すぎる想いを口にする。まるで運命的に出会った愛しい恋人に語りかけるように。

こんな日本人フットボーラーは、彼、中村俊輔、ただひとりだ。わかりやすい世界的名声すらも陳腐化させながら、どこかホッとする親しみやすい英雄は、人々を熱くさせる。

きっとこれからもなにひとつ変わらない。遠い昔から約束されていたようだ。

奇跡のレフティ、中村俊輔。醒めない夢の番人として語り継がれる伝説のフットボーラー

奇跡のレフティ、中村俊輔。彼はいまだ、人々の熱狂と歓待を受けながら、現役として歩む。

その熱狂と歓待は、彼が現役から退いたとしてもなお、伝説のレフティとして、醒めない夢の番人として、讃えながら語り継ぐ。時を超えて、永遠に。