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本日は、まさか……!と大騒ぎになることが目に見えている、本当にまさかの超久しぶりサッカートピックスです。
しかも、なぜいま、このタイミングでこの話題?!と驚かれるかもしれません。
なぜ突然?!と驚かれるかもしれないとはいえ、わたしのなかではまったく突然でもなんでもなく、ここ数日で取り掛かっていたひとつの流れで、このエピソードだけで1本記事にしておこうと決めた、あくまでも自然な結果です。
2011年3月11日。日本人にとって忘れたくても忘れることができない、東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災が発生。
そしてその翌12日、日本から遠く離れたドイツで、ある日本人選手とドイツ人選手により力強いメッセージが掲げられた光景を今でも忘れずにたいせつにしている日本人サッカーファンも、驚くほど多く存在します。
今回は、東日本大震災に際して紡がれた、内田篤人とマヌエル・ノイアーの真実をお届けします。
この記事はこんな人におすすめ
- 内田篤人が好きな人
- マヌエル・ノイアーが好きな人
- 内田篤人とマヌエル・ノイアーの東日本大震災時の真実が知りたい人
今回の記事化にまつわる裏側はこちらをどうぞ!
世界王者ドイツがサッカー大国として歴史を築いた理由と、内田篤人・香川真司が育んだ絆
世界王者ドイツがサッカー大国として歴史を築いた理由と、内田篤人・香川真司が育んだ絆
マヌエル・ノイアーが内田篤人に約束した誓いの結実
表向きはシニカルでひょうひょうとしながらも、常に胸の奥には熱い想いを宿し、情に厚く、豊かな感性でそのときどきのベストを尽くす内田篤人が決断したその姿に、日本のみならず世界が心を震わせたこと。
世界ナンバーワンと称されながらも、かなりの天然で愛嬌があり、理性的で心優しいパーソナリティの持ち主であるマヌエル・ノイアーが、サッカーを誠実に愛する多くの日本人ファンの特別な存在になったこと。
その舞台裏を知ると、さらに彼らのあのときの真実が見えてきます。
内田篤人がメッセージシャツで願いと祈りを示した裏に存在したのは、彼の想いに応えようとマヌエル・ノイアーが約束した誓いの結実です。
内田篤人が悩んだ末に決断した、被災地へ向けたメッセージ
日本時間の2011年3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートル(北緯38度06.2分・東経142度51.6分・深さ24km)を震源とする東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。
地震の規模はモーメントマグニチュード9.0。発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震でした。
その翌日、ドイツ時間の2011年3月12日、ドイツブンデスリーガ・シャルケVSフランクフルト戦の試合後、甚大な被害に見舞われた母国へ向けた内田篤人のメッセージは、今でも多くの目に焼き付いています。
内田篤人のもとに日本からの知らせが届いたのは、試合を翌日に控えた練習中のこと。
ドイツのニュースでも日本の状況が絶えず放送されていたため、彼がクラブハウスにいるあいだ、母国の現状を把握できるようにと、チームスタッフがわざわざチャンネルを合わせ流し続けてくれたそう。
モニターに映しだされた尋常ならざる事態に、居ても立っても居られなかったと後に語っています。
そのニュースに強い衝撃を受けた内田篤人は、深い悩みを抱えることになりました。
「こんなときに自分はサッカーをやっていていいのか?」
思慮深い彼らしく散々悩み続けたその想いは、やがて「なにか自分にできることはないか?」へと変化。
思案の末、自身の祈りをシャツにつづることを決めました。
日本の皆へ 少しでも多くの命が救われますように 共に生きよう!
「日本の皆へ
少しでも多くの命が救われますように
共に生きよう!」
あの日、シャルケの公式シャツに日本語とドイツ語で記されたそのメッセージに対して世界中が歓声を送るまでのあいだに、再び内田篤人は悩むことになります。
「試合に負けてしまったら、これを見せることはできない」
試合当日、シャツを手に佇む内田篤人に最初に気づいたのは、当時のチームメイトでありキャプテンだったマヌエル・ノイアー。
ドイツでも刻一刻と変わる日本の被害状況が盛んに報道されていたこともあり、当然それがなにを目的にしたものなのかを察し、自ら声をかけました。
「日本へのメッセージか。今日それを見せるのか?」
「勝ったら見せようと思ってる。負けたら見せない」
「じゃあ、勝つから。おれが(ゴールを)守るから。今日は勝てるから」
日本のために自分が守る、と。遠い故郷を憂う内田篤人にとって、マヌエル・ノイアーの言葉はこれ以上ない心強いバックアップでした。
「勝利を、そして、想いを届けよう」
キャプテンのマヌエル・ノイアーを中心に、この日のシャルケは日本のために闘いました。
試合は1対1の同点のまま進み、このままドローで終わるか?と焦りが見えはじめた後半39分、なんとしてでも逆転をと大きく舵を切ったのは、そう、マヌエル・ノイアー。
得意のロングフィードでフランクフルトのゴール前まで蹴り上げたボールは、そのままゴール近くまで転々と転がり、そこに追いついたアンゲロス・ハリステアスが押し込み逆転。
勝利への執念が勝ったゴールが決まったのを見届け、内田篤人が真っ先に駆け寄ったのはマヌエル・ノイアーのもと。お互いに抱きあい喜びあった後、決勝点を死守し試合終了。
「じゃあ、勝つから。おれが(ゴールを)守るから。今日は勝てるから」
その約束が果たされた瞬間でした。
日本とドイツが生んだ運命に導かれ、出会うべくして出会った同士
奇しくも4試合ぶりの勝利となったシャルケは、試合後のセレブレーションでサポーターとともに大喜び。
その勝利に沸く場には加わらず、ひとりテレビカメラに向かい、さりげなくシャツを見せるにとどめ、引きあげようとする内田篤人。
その様子に気づいたマヌエル・ノイアーは、彼の背中を押しながら、これを見てくれと、サポーターと、その前に勢揃いしたカメラに向かってエスコートしました。
スタジアム全体から歓声が沸き起こったあの瞬間を、「一生忘れない」と、内田篤人は回顧しています。
「(ノイアーと)一緒のチームでやれて、すごいうれしいです」
事あるごとに繰り返す内田篤人にとって、マヌエル・ノイアーはドイツでの人生を支えてくれた恩人でもあり、たいせつな友だち。
故郷の惨状に激しく動揺する状況で、彼の存在がなければ、また違った結果になっていただろうと振り返ります。
ともに3月27日生まれという数奇な運命のもと、この世に生を受けた同士。その不思議なめぐりあわせに導かれ、出会うべくして出会ったのかもしれません。
「共に生きよう!」
あの日、日本に向けて掲げたメッセージは、内田篤人の力だけでは成し得ませんでした。
「ノイアーがいてくれたから」
あの日を忘れない内田篤人は、マヌエル・ノイアーとよく似た凛とした聡明な人間性の持ち主。日本とドイツの奇跡が生んだ、あたたかで優しい絆の結実。
人はそれを、運命と呼ぶのでしょう。
心優しき守護神におくる、ずっとずっと大好きだよ
内田篤人が彼を慕うように、日本のサッカーファンにとってもマヌエル・ノイアーが特別な存在なのは、東日本大震災に際して見せたあの裏側の真実があったから。
あの日以来、変わらず「ノイアーは本当にいい奴だ」と口にする日本人ファンが彼の想像以上に存在することを知ったら、きっと彼は驚くかもしれません。
マヌエル・ノイアーにとって、「自分のたいせつな人と、その人が生まれ育ったたいせつな場所を支えたい」という、ごく自然な気持ちで動いたこと。
でも、それをここまで我が事のように実行し、徹底できる人間は、残念ながらそれほど多くはないことを誰もがよく知っています。
だからこそ、サッカーを誠実に愛し、真摯に向き合ってきた日本人ほど、純粋にマヌエル・ノイアーを讃え、愛するのでしょう。
わたしはあの日のことを一生忘れません。彼の力強い優しさは、内田篤人を支えるだけでなく、恐怖と絶望の渦中にあったわたしたち日本人を支えてくれたことをよく覚えているから。
サッカー選手である以上、いずれ引退という選択をせざるを得ない日が来ることはわかっているけれど、なるべく長く、ドイツの守護神として元気でいてほしい。
30年以上も見守り続けてきたドイツ代表において、あの日を境に、さらに特別な存在となったマヌエル・ノイアーを育んでくれたドイツにも、あらためて感謝と尊敬の念を込めて。
マヌコ、本当にどうもありがとう。ずっとずっと大好きだよ。
そして、長いこと愚直にサッカーとともに生きてきた日本のサッカーファンは、みんなあなたのことをこころから愛しているよ。
どうかこの先も曲がらずに、マヌエル・ノイアーのままでいてください。
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