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昨日のエントリーで記した通り、昨夜は(というより明け方にかけて)シャルケVSバイエルン・ミュンヘン戦をテキストとショートムービー中心に観戦。
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まーありがたいことにテレビ観戦組が詳細レポートをどんどん入れてくれるこの環境よ。誰もがそれぞれ持ちつ持たれつ、なんて素晴らしい友情だろう(笑)。
しかも、日本時間の土曜夜~日曜明け方は世界中で一斉に試合が行われる時間帯。なにより、レアル・マドリードVSバルセロナの伝統の一戦、エル・クラシコが開催されたため、いつも以上に誰もがヒートアップ!
「千手観音か?(白目)」と我が身を疑う、毎度毎度の白熱したレポートややりとりを楽しんでいました。エル・クラシコに関してはまた別途。バルサファンとしてはすごいモノを観たぜ!
話をシャルケVSバイエルン戦に戻すと、敗れはしたもののシャルケの健闘は本当に素晴らしかった!「なにがなんでも勝ってやる!」と一歩も引かない心意気よ、あっぱれです!!!!
【映像&ゲキサカ】一時は追いつかれるも…バイエルンはシャルケに3発勝利で2連勝
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シャルケ素晴らしい!バイエルンさすが!本気で勝ちに行く姿勢はなによりも美しい!
シャルカーが口々に「悔しい」と繰り返すほど、特に前半はこの上ない素晴らしい闘いっぷり。愚直なまでに守りに徹し、かといって保守的にならず狙っていく貪欲で泥臭い姿勢。
こんな試合を観せられたら、勝敗が二の次三の次になる。もちろん、勝つ気にあふれた試合だからこそ、勝敗を重要視して誰もが「本気で勝ちに行く」で臨んでいるからこそ。
バイエルンは「さすが!」とあらためてうならされるなど。「王者の貫禄」というより、このチームの強さは「いつでも本気。いつでも手を抜かない。いつでも勝ちに行く」に徹しているから。
マックス・マイヤーの殊勲の一撃!「なにがなんでもゴールする!」気迫を感じる気持ちよさ
「よくぞあのマヌエル・ノイアーからゴールを奪った!」と、バイエルン戦ならではの恒例行事として口をついて出る言葉。
殊勲の一撃はマックス・マイヤー。鮮やかで気持ちのよいゴール!身のこなしが美しい以前に「なにがなんでもゴールする!」という気迫が感じられるこの気持ちのよさ。
こういうシーンが観れると本当に幸せです。サッカーファンでよかったな、と実感する瞬間。
おかえりベネキャプテン!要所要所で必ず効いている、やっぱり最高のプレイヤー!
失点に絡むシーンなどもありつつも、このひとのなにが素晴らしいかって「自分のミスはすぐさま自分で取り返す貪欲さ」。カッコよすぎる、カッコよすぎるよベネキャプテン!おかえりなさい!
「要所要所で必ずそこにいる」「一番効果的なプレイを選択する」「一歩も引かないメンタルの強さ」「周囲を鼓舞しながら闘い続ける勇姿」
ベネキャプテンがキャプテンたる所以。こんなひとがキャプテンとしてチームを率いている真実を、シャルカーはもっともっと誇ったほうがいい。なかなかいないよ、こんな素晴らしいひと。
先が楽しみすぎるドイツの至宝!リロイ・ザネの活躍はワクワク感に満ちあふれている
「このひと、本当に20歳ですか?サバよんでません?(白目)」と問いただしたくなるくらい、なんという落ち着き払ったプレイだろう。ため息すら漏れるプレイスタイルは、負けん気の強さの塊でもあり。
かといって、若いプレイヤーにありがちな勝ち気で冷静さを欠きがちになるという事態に陥らない。周囲の先輩のおかげでもあるけれど、本当に先が楽しみすぎるドイツが誇る至宝。
そのプレイを観ているだけでアドレナリンが活発に。ワクワク感に満ちあふれたプレイヤーってたまらない。今後も楽しみにしつつ!
やっぱりミュラーはミュラーだった!「なぜそれができる?」と不思議になる自然なゴール
アディショナルタイムに3点目を決めたトーマス・ミュラーのゴールが「やっぱりミュラーはミュラーだわw」と笑いが止まらなくなるゴールで(笑)。
いつも通り、スルスル~とあがってきたかと思いきゃ、そのシーンごとに最適なコース・角度・強弱など諸々を選択し、吸い込まれるようにゴールへと。
いや、もう何度でも記したい。「なぜそれができる?」と。サッカーセンスの塊が才能を磨き上げながら努力をやめないとこうなるのね。ミュラーのプレイにはいつも感服させられます。
キャプテンの重責を担う者は人格者でもあることはフィリップ・ラームがその証明!
どこのチームも「キャプテン」の重責を担う人物は、プレイでチームを引っ張るだけじゃなく、本当に人格者だな、と。
その事実を誰よりも証明しているのが、バイエルンを率いるフィリップ・ラームかもしれません。プレイで魅せることは言わずもがな、このタフさ、このブレ知らずの人間性、この優れたバランス感覚。
常勝軍団を率いる苦労は多々あれど、ラームキャプテンだからこそその立場がふさわしい。表向きにはそれらを出さず、黙々とただただそこに在り続ける。「象徴だな」とあらためて実感。
淡々と偉業を達成するマヌエル・ノイアー!自身を律する求道者であることが最大の強み
クリーンシートが当たり前。失点すれば「よくぞあのマヌエル・ノイアーから得点した!」と相手が讃えられる。そのプレッシャーたるや想像を絶するもの。
だけど、いつも淡々と、積み重ねるがごとく偉業を達成する。その姿はさながら求道者。自身の研鑽を怠らず、自身を誰よりも律しながら、来る日も来る日もゴールマウスを守り続ける。
そんな自らの理想を追い求めた先に待っているのは、どんな景色だろう?「マヌエル・ノイアーが世界一のゴールキーパーだ」との変わらない考えは、地道な日々の積み重ねから、とニヤリとさせられます。
ハンブルガーSV戦後のトーマス・トゥヘル談話に見る「全力で再び向上・修正する」になっているか?
「このシャルケの闘いっぷりをドルトムントにも見せてほしかった」というのが、これ以上もない本音。小奇麗な戦術が観たいわけじゃない。ドルトムントは「策士策に溺れる」そのもので、闘う姿勢が足りなすぎた。
そんな中、昨日のエントリーでも記した「バイエルン戦のデジャヴ?(白目)」と思わされたハンブルガーSV戦の談話が。
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トーマス・トゥヘルの談話を見て。はっきりいってもいい?その通りすぎる。だからやる気が欠けた中途半端な負け方したんじゃないの?ねえ?
で、今現在、チームは負けたなら負けたで「全力で自分たちを再び向上・修正する」になっていますか?もし心のどこかで自分たちに言い訳し、なっていないのであれば、同じことを繰り返すのでは?
ひとのせいや状況のせいにしたり、いつのまにか高くなったプライドと驕りがなにより自分たちの足を引っ張る。自分たちの戦術や在り方に頑なにこだわる試合が観たいわけじゃないんだよ。
再び同じ過ちを繰り返したそのとき、現地のファンは応援をすべてボイコットしてほしい
再び同じことを繰り返したそのときは、現地のファンは心を鬼にして応援をすべてボイコットしてください。ダラダラ甘やかすことがチームのためになるだなんて思い込みはいっさい捨てたほうがいい。
選手も監督も経営陣も、一度イヤというほど味わってみたらいい。相手チームのサポーターしかいないスタジアムを。バックアップの黄色い壁をすべて失った自分たちを。
どこかで透けて見えるのは「いつでもファンが応援してくれる」という甘え。無意識レベルだろうけれど。笑わせないでよ。舐めてんじゃないわ。ダラダラ同じ過ち繰り返しても許されるだなんて勘違いしないでほしい。
なにより、やる気が見えないプレイの連発するくらいなら、今後いっさいピッチに立たないでいただきたい。やる気があるメンバーにすべて変えてください。
ルーズボールを追わない。決定的なシュートを打たれると諦めモードの気が抜けたプレイになる。パスを出すべきところで独りよがりなプレイを連発する。
小奇麗な戦術のお披露目会や品評会を見たいだなんて誰も思っちゃいない。「なにがなんでも勝ってやる」「苦手を克服して自分自身にも勝ってやる」という信念にあふれた試合を。
勝つ気がないチームを応援する気なんかさらさらない。どこかでファンを舐めて見下しはじめているからこういうことになる。甘ったれんのもたいがいにしてほしい。
ファンを舐めるプレイを、試合を繰り返したいのであれば、ボルシア・ドルトムントは廃業して結構です。もう二度とファンに応援を求めないように。
栄光をつかめばつかむほど愚直に在り続けるマヌエル・ノイアーの姿勢にフットボーラーの信念が宿る
基本的にわたしは「誰かと比較して誰かにモノを言う」(主に「◯◯の姿勢を見習って!」というケースで)ということが、どんな間柄だろうが心底大嫌いでよほどじゃなければ絶対にやりたくない人間。
自分がやられてもイヤなのと(底が浅いモノの伝え方、意思表示だな、としか思わない。ひとは誰もがオンリーワン。そしてケースバイケースだから)誰かがやられているのを目にしても虫酸が走るくらいイヤだから。
それでも。徹底してきているわたしだからこそ、「なにを伝えたいか」の意図をせめてこのブログを目にしたひとには理解してほしい。今日はどうしてもこれだけは。
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わたしがなぜ「マヌエル・ノイアーが世界一のゴールキーパーだ」との考えと想いが変わらないのか?ここにすべての答えが存在しています。
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「世界最強ゴールキーパー」の称号を手にし、「クリーンシート(無失点)が当たり前」「ミスをすると同じ人間なんだとむしろホッとする」というほどの賞賛を受ける毎日を過ごすバイエルンとドイツ代表の守護神。
「勝ったことを誇る」よりも、いつだってこのひとは「今日の自分はもっとこうしたかった。次はこうする」を真っ先に語る。いつだってその姿は真摯さで彩られている。
栄光をつかめばつかむほどなにかとチヤホヤされ、自分を見失いがちになる華やかな世界に身を置きながら、マヌエル・ノイアーは「芝の上にいることが一番大好きだ」と屈託のない無邪気な笑顔を見せるひと。
だからわたしはマヌエル・ノイアーが大好きです。ずっと変わらず愛情とリスペクトの暖かな気持ちを持たせてくれるチャーミングな「ぬりかべ」マヌ。
世界中のサッカーファンに、彼のその真意を、その裏に存在する信念を知ってほしい。「なぜマヌエル・ノイアーがクリーンシート・ノーミスの試合を積み重ねることができるのか」を。
今一度考えてほしい。なぜファンをサポーターと呼ぶのか?なぜ栄光のピッチに立つことができるのか?
ミスをすることや負けること自体にはなにも感じることはありません。それが全力の結果であるならば、たとえこの世のすべてが辛辣に批判しても、自分の身を挺してでも守り続ける。それがサポートするわたしの信念。
だけど、そこにスキや驕り、慢心が見えた瞬間。庇うことが優しさだなんて思わないし、どうやっても思えない。
なぜサッカー界ではファンを「サポーター」と呼ぶのか?今一度、ボルシア・ドルトムントのファンは、国内外問わずよく考えてみたほうがいい。
もちろん、選手はそれ以上に、自分のサッカー人生をかけて考えてみてほしい。栄光のそのピッチに立てることが当たり前になっていないか?麻痺して現状やファンや周囲を舐めていないか?を。