【NumberWeb】広島カープの象徴、黒田博樹と新井貴浩が日本人の心を揺さぶり愛される真実

2016年シーズンのリーグ優勝を果たし引退したオフシーズンに広島市内で行われた優勝記念パレードにて、沿道のファンに手をふる広島カープの黒田博樹と新井貴浩

黒田博樹新井貴浩はなぜ、広島カープの象徴なのか。彼らはなぜ、日本人の心を揺さぶるのか。

そこに存在するのは、日本人であることの誇りや本能を呼び覚ます気高い魂。

昨今、声高に喧伝される暴利主義や誤った成果主義、欧米主導のズレばかりが生じる価値観により、見失われがちな本来の日本の美徳や生き様の眩さ。彼らの姿を通して映し出されるのは、まさにそれ。

日本人であることに胸を張れ。昔から変わらず、そう伝え続けてきたわたしにとって、彼らはその証明です。世界に負けない気高い魂が、わたしたちが生まれ育った国には、確かにあるのだから。

お仕着せの物差しや価値基準では決してはかることができない凛々しさこそ、長い時間をかけて受け継がれてきた、我ら日の本ニッポンの確固たる先鋭性です。

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【NumberWeb】広島から去り、戻ってきた2人の男。黒田博樹と新井貴浩、涙の秘密。

「ああ、この人たちは広島であり、カープそのものなんだな……」

 そう思った。9月10日、天井まで赤く染まりそうな東京ドームの歓喜の中で、黒田博樹は仲間と握手し、抱き合っていた。そして、新井貴浩を見つけた。その瞬間、堪えていたものが溢れ出した。

 陽性の笑い泣きをたたえていた新井は、切なさのにじむ泣き顔になった。黒田は崩れ落ちながらも、帽子のひさしで顔を覆った。涙など見せまい。すべてが解放され、宙に舞っている瞬間でさえも、エースはエースであろうとした。何かに耐えてきた人にしか流せない涙。それが、広島カープらしかった。

引用:NumberWeb

ベンチの裏で泣いていたという広島のエース。

 黒田博樹。その名前を強く印象づけられたのは2004年、4月2日のことだった。中日ドラゴンズ対広島カープのセントラルリーグ開幕戦、先発投手を見て、記者席で舌打ちした。

「こんなのありかよ……」

 予想は完全に外された。就任1年目の指揮官、落合博満は、肩を壊して3年間も一軍登板のなかった川崎憲次郎を「開幕投手」にしたのだ。試合は広島が5点を先制したが、中日が8点を奪って逆転勝ちした。賭けに出た側が星を拾い、正攻法の側は落としてはならぬ星を落とした。それは、シーズンの結果にそのまま反映した。

 ただ、その試合後、胸に強く残ったのは川崎ではなく、広島のエースだった。中日のスタッフが教えてくれた。黒田は7回途中8失点でKOされると、ベンチの裏で泣いていたという。

 数日後、「開幕・川崎」というサプライズの理由を落合に聞きに行った。全てを言葉にするのを不粋と考える指揮官は、これだけ言った。

「相手は黒田じゃねえか。最悪を避けたんだよ」

 当時、中日のエースだった川上憲伸を開幕にぶつけても、負ける可能性が高い。そうなると、開幕3連敗のリスクが出てくる。それを避けるために、川上をあえて3戦目に起用し、最悪でも1勝2敗という慎重策を採ったのだ。

引用:NumberWeb

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名将・落合をして奇策に走らせた男、黒田。

 オレ流と言われた指揮官は、じつは「保守」の人だ。

 確率を重んじ、リスクを嫌う。ただ、黙して語らない独特のスタイルによって、相手は勝手に「策士」のイメージを抱いてしまう。事実、この2004年以降、開幕投手をサプライズ起用したことはない。

「開幕投手はエースのもの」

 そういう考えをしっかりと持っていた。ただ、その落合をして、ただ1度の奇策に走らせたのが黒田という男だった。

 当時の広島は15年連続Bクラスという暗いトンネルの真っ只中だったが、敗色濃厚の中でいつも屹然と立っている姿には胸を打つものがあった。負けゲームのマウンドにはエースにふさわしい個人の利などないはずだ。だから、プロには「敗戦処理」と呼ばれる下積み仕事がある。

 だが、苦しみの先にのみ栄光があると信じる硬質の男は、何も埋まっていない、そのマウンドに最後まで立っていた。「ミスター完投」の呼び名とともに。

引用:NumberWeb

「俺のために手を合わせて祈ってくれる人のため」

 新井貴浩と初めて出会ったのは、まだ、タテジマのユニホームを着ていた頃だった。

 打った時より、打てない時に目立ってしまう。そんな突っ込みやすい4番打者に、ナニワの野次は、どぎつかった。

「そりゃ、堪えるよ……。でも、スタンドを見ると、俺のために手を合わせて祈ってくれる、おじいちゃん、おばあちゃんがいるんよ。俺はそういう人のためにやっている」

 誰かのためにバットを振ってきた。人の心に応えて生きてきた。そういう人だった。

 新井がまだ小学生の頃、クラスに知的障害を持つ男の子がいた。“マサルくん”と呼ばれていた。先生はなぜか、クラスで一番体が大きくて、力の強い新井少年を、“マサルくん”のパートナーにした。2人は、いつも隣に座っていた。特に作業を伴う図工の時間は、新井が支えたり、手伝ったりした。

 4年生になって、新井が転校することになった。お別れ会が開かれ、最後にクラスのみんなが拍手で送り出してくれる。すると、その瞬間、“マサルくん”が駆け出してきた。新井の大きな体に抱きついて、泣きじゃくったという。

引用:NumberWeb

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ふたりの男が広島へ復帰し、殉じようとしている理由。

 誰かのために戦う。黒田と新井をつないでいる信念だ。特に昨年、ともに広島へ復帰してからは、野球人生をなげうつ覚悟が伝わってきた。「個」の追求こそが生き残る道であるはずの世界で、なぜ、そうするのか。今回、対談の中で2人に聞いた。すると、期せずして、まったく同じ答えが返ってきた。

「……だから」――。

 彼らを包んだのは広島だった。71年前の朝、人の痛みを知らない閃光によって焼き尽くされ、人類最大の痛みを知った街。

 彼らを育てたのはカープだった。何もなくなった荒野で、希望となった球団。

 彼らが戦ったのは市民球場だった。人類の罪を問う無慈悲な残骸の見える場所に建てられ、1杯200円のうどんが名物の小さな球場。

 生まれながらの勝者でなかった彼らはそこで、負けて、負けて、それでも立ち上がらせてもらった。それが奇跡のような物語の序章になった。

 傷ついた者は人の痛みを知っている。持たざる者は、本当に大切なものが何かを知っている。だから、彼らは広島カープに殉じたのだ。

 うれしいだけじゃない。苦しみも、痛みも込められた2人の涙が絶望から立ち上がった不屈の街と重なった。

引用:NumberWeb

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