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ピックアップしはじめると「あの選手も書きたい。この選手も書きたい」などと、久しぶりに「題材:広島カープ」を更新した日に語った“書きたくても書けないもどかしさ”はどこへやら。
【プロ野球セ・リーグ】全員野球の広島カープ優勝!37年ぶり連覇にみる、変わらぬ伝統と革新性
いわゆる“ノッてきた”ってやつだ。いま、アドレナリン全開だわ。
なんて妙に自分を客観視しながらも、なんとはなしに落ち着かないのは、いよいよここからはラスト。
ここしばらく広島カープを取り上げたなかで、これまでとは思い入れが段違いな選手で締めることにします。
ひとりは「なにげなくさりげなく語りつくしてきたから、そりゃそうだろうね」。ひとりは「もしかしてこういう場で切り取るのはこれが初?!」。
黒田博樹。新井貴浩。
「黒ちゃん」「新井ちゃん」と呼ぶ彼らは、わたしにとって広島カープの象徴、というより、野球界のアイコンです。“特別な存在”という言葉は彼らのためにあります。
黒田博樹。新井貴浩。同じ時代に同じ景色を見てきた同志への想い
涙が止まらない。どうしようもなく。
そんな経験が、誰の人生においても一度や二度、あるはず。
じわり、じわり、と、いつしか心にすみつくようになり、気づけば“どんなときだっていることが当たり前”の存在に。良いときも、悪いときも。
こちらが火傷してしまう感情のほとばしりがいつしか癖になり、良いとき、悪いとき、あらゆる表情を見守りながら、ともに歩みだしたあの日のことを、いまでもよく覚えています。
それがわたしにとっての、「黒ちゃん」黒田博樹と、「新井ちゃん」新井貴浩。
冒頭で記した「これまでとは〜」と比較対象にして上げ下げで語る下品で無粋なまねはしたくないし、もちろんこれまでピックアップした経営陣・首脳陣・スタッフ・選手を下げるつもりもいっさいありません。
ただ、誰の心にも特別な存在がいるように、わたしにもそれがある。なぜなら、彼らとともに年を重ね、彼らとともに本気で生きてきたから。
そうサラリと口にできるほど、入団当初から応援してきたことに加え、ほぼ同世代。同じ時代を生き、同じ景色を見てきた同志に対する想いは、やっぱり格別です。
なにより、彼らが“いいヤツ”だから。
あの日、あの時、あの瞬間。彼らは、広島に帰ってきた
あの日、あの時、あの瞬間。頭のてっぺんからつま先まで、全身を電流が駆け巡ったかの衝撃も、いまでもよく覚えています。
「黒田博樹、広島カープ復帰」
朝、目が覚め、いつも通りベッドに寝転がったまま、スマホを手にニュースをチェック。いつもの穏やかな朝になるはずだったわたしの目の前に飛び込んできたのが、それ。
あの日、あの時、あの瞬間。悲鳴とも歓声ともつかない声の存在を初めて知りました。
と同時に、「人間って本当に驚くと、説明のつかない、表現すらできない奇声を発するんだなあ」とも。
折しも「新井貴浩、広島カープ復帰」の仰天ニュースが飛び交い、ようやく落ち着いたころ。完全に“ちょっと何言ってるかわからない”状態。
新井・黒田、連続里帰り。もちろん、一時的ではなく永住で。
景色を共有した者のみが実感できる黒田・新井らしさ
この直下型的衝撃と、号泣者が多発した本質的な意味をひもとくには、彼らの入団当時にまで遡り、そこから時を同じく生きてこないと難しいかもしれません。
あの景色を共有した者のみが心から実感できるのだろう、と。
年金稼ぎの出戻りではなく、間違いなく戦力、それもトップクラスのメジャーリーガーとして帰ってくる。
FA、しかも同一リーグのライバル球団へ移籍し、ファンに遺恨を残した選手の古巣復帰の事例はどこを探しても存在しない。
両者そろって、その数奇な運命にも似た前例のない決断でした。
不可能を可能にする。言うは易く行うは難し。
彼らの人生はそれで彩られ、彼らでなければそれは似合わないのです。
非エリートで順風満帆ではない人生が多くの胸をうつ
昨シーズン限りで黒ちゃんは引退しました。とはいえ、黒ちゃんはあいかわらず広島カープにいます。
日々感じるのは、黒田博樹の魂。とりわけ、新井ちゃんの姿から。
復帰以降の彼らは、心から幸せな表情で、誰よりも楽しそうでした。特に黒ちゃんが。
目にするたび、幾度となく笑みがこぼれ、反芻していました。
「いま、野球をすることに対して、もっとも使命を感じているんだろうな。それは大変だけれど、充実した手ごたえとあふれる喜びでワクワクなんだ」と。
彼らは昔から「しんどいですけどね」と口にします。「野球って楽しいで〜す。人生楽しむためにやるんで〜す」とは死んでも言いません。
「しんどいですけどね」の後に、「充実してますよね」と、さりげなく付け加えながら。
広島カープが低迷期から脱し、ようやく到達した頂点への道のりと等しく、彼らは決してエリートではなく、その人生は順風満帆ではありませんでした。
毎日が泥だらけで、挫折との闘い。
その姿が多くの胸をうちました。エリートではなく、順風満帆ではなかったからこそ、嘘偽りのない人の世の定め、あるいは人生そのもののようで。
計算を知らない人間に強く惹かれ共感する真実を映し出す
庇護のもと、ぬくぬくと生きるのではなく、むき出しの野生こそが彼らの在り方。
不器用だから、惹かれる。うまく立ち回れないから、目で追いたくなる。傷つき、そのたび這いあがる姿に、強く心が揺さぶられる。
彼らの生き様は多くの愛情で満ちています。愛さずにはいられないのです。
ふと気づくと、想いがこみあげてくる。黒ちゃんと新井ちゃんが大好きだ、と。彼らが「カッコ悪い顔やカッコ悪い姿」までたくさん見せてくれたからです。
昨今流行りのSNSブランディング・マーケティングの真逆に位置するそれは、本能に訴えかけてきます。人間という生き物は、計算を知らない人にこそ強く惹かれ共感するのだ、という真実を映し出しながら。
25年ぶりリーグ優勝のスタメンが意味する広島カープの信念
SNSブランディング・マーケティングにいっさい興味がなく、無頓着極まりなく、愛情をまったく切り離せず、大人もどきが声高に叫ぶずる賢さや立ち回りのうまさを身につけず、我が道を生きる。
そんなわたしだからこそ、黒田博樹と新井貴浩に惹かれていました。まだあどけなさが残る、20年前の彼らに。
直感的な「いい選手だなあ」が間違いではなかったことは、彼らのその後が証明しています。
そして昨年、25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島カープも、頑固で不器用、だけどとびきりチャーミングで愛らしい黒田博樹・新井貴浩の帰る場所で在り続け、彼らとそっくりな「いいチーム」であることを証明しました。
2016年9月10日広島カープスタメン
- 遊|田中広輔
- 二|菊池涼介
- 中|丸佳浩
- 一|新井貴浩
- 右|鈴木誠也
- 左|松山竜平
- 三|安部友裕
- 捕|石原慶幸
- 投|黒田博樹
上記は、東京ドームで行われた読売ジャイアンツ戦のラインナップです。
セ・リーグ優勝を掴むスターティングオーダーとなったメンバーですが、この顔ぶれを見て、ある共通点に気づいた人が少なくないはず。
そう、全員、広島カープが育てあげた生え抜き。
ここ数十年の野球界では稀ともいえるスターティングメンバーが意味する信念を、特にこの数年でファンになったカープ女子をはじめ新規層ほど忘れないでほしいと願います。
もちろん、グラウンドで闘う若手選手たちも。
現マツダスタジアムが嘘のような黒田・新井の若手時代
現在、マツダスタジアムは満員御礼が恒例行事となり、チケット争奪戦が繰り広げられています。その光景を目にしながらふと懐古するのは、黒ちゃん、新井ちゃんの若手時代。
彼らが若かりし当時は、いまの姿が嘘のような暗黒期。万年Bクラスと揶揄され、「弱い、勝てない、人気がない」と誰からも見向きもされず、市民球場には閑古鳥が鳴いていました。
そのなかで「なんとかしよう」と悪戦苦闘を続けたのが彼らです。それぞれ最多勝、本塁打王を獲得した年ですら、他チームの選手から「価値がない」と切り捨てられた怒りと悔しさを忘れずに。
広島カープが掲げる“全員野球”は、ファンも含め、文字通り“全員”であることをここまで執筆してきた記事内で繰り返しましたが、どれだけ馬鹿にされようと「広島カープが一番だ」と胸を張った人々とともに、彼らは大きくなりました。
決してFAやマネーゲームに走らず、走れる地盤を持たず、一丸となって育成するしかなかった環境は、結果的に自前で強くたくましい選手を生み出すことに。
この在り方こそ広島カープの源泉です。
驕りをもった瞬間、取り返しがつかない終焉を迎える
昨今、カープブームなどともてはやされることも増え、どこから沸いたやら、明らかに自らの利益や注目集めへの利用をはじめ、騒げればいいとばかりに周囲の迷惑をかえりみない層も残念ながら少なくありません。
強くて人気者のカープ、そしてその状況を享受できるチームメイトしか知らない選手やファンは、いつしか溺れます。
つまり、ブームは去る、ということ。甘い汁を吸うことに慣れ、危機感を忘れたがゆえに。
それではすべてダメだ、とあえて冷静に伝えたいです。
なぜなら、「常勝チーム」「人気チーム」だと、わずかながらでも驕りをもった瞬間、取り返しがつかない終焉を迎えることになるから。
ブーム便乗派の移り気な人はもちろん、黒ちゃん、新井ちゃんとともに闘った強い信念の持ち主まで、すべてを失いながら。
勝てず、見向きもされなくなったとき、真価が問われる
どんなチームにもうまくいかない時期はやってきます。かつての広島カープのように。
だからこそ、なにをやっても勝てなくなり、見向きもされなくなったそのとき、「自分たちには無理だ」とあきらめ、自暴自棄にならないでほしい。
「先人は偉大だ」と畏敬の念を抱くだけではなく、「自分たちもめげずに闘おう」「自分たちにも、きっとできるはずだ」と、立ち向かうこと。
勝負に勝てないことが負けなのではない。慢心し、他者を見下し、無様に驕りたかぶることこそが、この世でもっとも負けなのだ、と。
逆境でたくましく育ってきた黒田博樹、新井貴浩の想いが生き続ける限り、どうかそれに気づける選手とファンであってほしい。
そう強く願ってやみません。彼らとともに闘ったひとりとして。
黒田博樹、新井貴浩は、広島カープで生き続ける。
黒田博樹。新井貴浩。
強欲さや驕りたかぶった醜悪な歪みばかりが目立ち、己と身内しか考えられないアスリートや芸能人などすべてに警鐘を鳴らす凛とした気高さ。
黒田博樹と新井貴浩は確かな唯一無二です。
彼らが広島カープの生え抜きであることがどれだけ誇らしいか。きっとそれは、同じ時を生き、同じ景色を共有しているからこそ、しみじみと感じられるのでしょう。
昨年のリーグ優勝決定の瞬間、こらえきれず大粒の涙を流し、互いを想いながら抱きしめあった黒ちゃんと新井ちゃんの姿は、これまでの道のりのすべてを物語っていました。
「ようやく彼らの努力が報われた」
走馬灯のように在りし日が浮かびあがる記憶を持ち、直感的に惹かれた彼らに似た側面があると年中指摘される性格かつ人生を生きてきたことは、なんだかんだ言ってわたしにとって幸せな事実です。
“最愛の人”とも呼べる彼らは、広島カープで生き続けます。誰からも見向きもされず閑古鳥が鳴く球場で、来る日も来る日もめげずに、彼らと一緒に試行錯誤を繰り返し、生きてきた多くとともに。