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ここ数日、バタバタと立て込んでいて更新控えただけなのに「あれ?ドルトムントの試合観てなかったの?」と聞かれました。
が。
しっかり観てるよ無理やり起こされてたくらいずっと起きて観てたよ(白目)。
ぶっ通しで仕事して、友人らの大爆笑トークに巻き込まれて(友曰く「むしろ先導しまくってる」との妄言は即刻却下)ゲラゲラ笑い通しで「もう寝るよもう寝かせてよ」の懇願も虚しくそのまま観戦という……
オマイラちょっとは考えろ、死ぬわこんな毎日(白目)。
眠い寝かせてだけどヤバイ笑い止まらんワロタ。特にサッカー話題は盛り上がることこの上なし。ああ、素晴らしきかな人生。
ということで、引き分けという結果に終わったPAOK戦をふまえて、ドルトムントを取り巻く現状やらなにやら見聞きし、感じていることなどをたまには。
INDEX
- 【映像&ゲキサカ】香川ら主力温存のドルトムント、攻め切れずまたもドロー
- ここしばらくのボルシア・ドルトムントに関して無駄なことをするひとたちの厄介さに辟易
- 減点教育信者による一喜一憂しすぎパターンをサッカー観戦でもやらかすひとはよくいるのかもしれない
- 「応援していたのに裏切られた!」という身勝手でいっさい通用しない理由から発生する手のひら返しの悪癖
- チームが好調とはいえない原因は現場が一番把握していること、焦らず騒がず浮上を待とう
- マルコ・ロイスを焦らすこと、調子が上がりづらい現状を責めることは誰の得にもならない馬鹿げた行為
- 「なんとかなるよ。大丈夫だよ」逆境を乗り越える意志ある言葉は、応援する選手やチームにも想っていること
【映像&ゲキサカ】香川ら主力温存のドルトムント、攻め切れずまたもドロー
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ここしばらくのボルシア・ドルトムントに関して無駄なことをするひとたちの厄介さに辟易
ここしばらくドルトムントに関する話題を見聞きするたびに感じることは「なんだこの無駄な焦燥感と自虐プレイの嵐(笑)」。もちろん日本中心に。
お得意の「本人じゃない人間たちが関係者ヅラしながらこの世の終わりモードかます」パターン。絶望するやらdisるやら説教するやら終戦宣言やら。
どれだけ耐久性ないひとたちなんだろう。
本当に心底サッカー好きなのかな、まともに観たことないのに旬の話題に乗っかって騒いでるだけかな、観ててもピント外れの説教かまして自分の人生優位に置いた勘違い激しい悪癖エンドレスかな(あなたあいかわらず正直者)。
マゾかなあ。いや、マゾでいいですけどね。どうでもいいから自分自身のことで勝手に焦燥感培養でも自虐でもしていたらよろしいんじゃないかなあ。
「あなたたちが心配だから!」という厄介な善人病で、ドルトムントを無駄に落とそうとするしょっぱい迷走しないでさ(真顔)。
気持ち悪いしもうめんどくさいので、ネットはサッカー関連と仕事上の調べ物以外、見事にすべて見なくなりました(それが最大の理由ではなく、単純にあるサポート業務が増えたおかげで効率化をはかったため)。
減点教育信者による一喜一憂しすぎパターンをサッカー観戦でもやらかすひとはよくいるのかもしれない
原因は?と考えたときに「連勝街道を突っ走ってきた分、現状との落差が激しいという大いなる錯覚に陥っている」ということに気づきました。
はい、ここポイントです。錯覚ですよ、錯覚。
日本人(だけじゃないけれど日本人に多い)の悪癖でもありますが、一喜一憂しすぎ、騒ぎすぎ。
本質をよく見ないで勝手に一方的なご都合主義の期待をドカドカ乗せまくったあげく、その自己中レールからちょっとでもズレると一転して手のひら返しで叩きまくるor嘆きまくるorダメレッテル貼りまくる。
典型的な減点教育の信者たち。
ここまで書いているからこそよくおわかりでしょうが、わたしはどんな立場の人間だろうがこの手のタイプをいっさい信用していません。人間的にまったく信用できない。
大局的見地で物事を見れない、判断できないタイプ。話にならないしブレまくるし平気でひとを裏切るし人間を大事にできない。
はっきりいってしまうと、大・嫌・い・で・す(無回転弾丸ストレート)
「応援していたのに裏切られた!」という身勝手でいっさい通用しない理由から発生する手のひら返しの悪癖
要は、押しつけがましい「心配してるから!」「好きだから!」「応援してるから!」という理由をつけ距離感を見誤っているのが苦手です。
いや、黙って観なさいよ、と(身も蓋もない)。
長いシーズン、調子が良いときも悪いときもあるし、個々人のみならずチーム全体のバイオリズムだってある。別に競技に詳しくなくたってちょっと想像すればわかること。
選手は機械じゃない。わたしたちと同じ人間なんだから。
にも関わらず「応援していたのに裏切られた!」という、根底にある「なにその身勝手でいっさい通用しない理由(白目)」から手のひら返しをはじめる。手のひら返しがクセづいている連中の思考はこれ。
特に、ネットで評論家や調子乗りやマウンティングばかりしでかすひとたち中心に。
ということで、いっさいブレずにまともにボルシア・ドルトムントを観ているひとは除くとして、まともに観たいひとは「惑わされないようにしましょう」とだけ。
サッカーは人生と同じ。良いときだって悪いときだってある。だけど、そこに向き合い日々闘っていることがなによりも素晴らしいし尊い。
まずはそれでしょう?自分自身でそれができていない、逃げているひとたちほどブレるんですよ。だから、そんなブレに惑わされてやる必要はいっさいない。
チームが好調とはいえない原因は現場が一番把握していること、焦らず騒がず浮上を待とう
正直、現在のドルトムントの状態は絶好調とはいえません。勤続疲労から調子を崩しがちになっている選手もいれば、なかなか波に乗れない選手もいる。
そうしたあらゆる微妙な狂いが重苦しい空気としてまとわりつく現状につながっているのかな、と。試合終了直後の選手たちも浮かない表情ばかり(disりに沸いてくる連中はこういう部分に反応する)。
ただ、現場に立っている専門家=選手や監督本人たちがなにより原因を把握しているはず。もしかしたら直接的な原因があるわけではなく、あらゆる要素が複合化され表面上に表れているのかもしれない。
そういったこともすべて、現場の判断が一番だし正解。本人たちがどうあるかでいいんですよ。焦らず騒がず、浮上してくるのを待ちましょうぜ。
なにかをきっかけにドン!といくかもしれないし、いつのまにか気づいたらまた笑顔満開になっているかもしれない。でも、もがく姿も笑って楽しんでいる姿も含めて、すべてが正解。
静かにじっと見守ることも応援だというたいせつなことを忘れないでほしい。勝手に自分が傷ついた錯覚にまで陥り、傷つきたくないからと選手や監督たちを悪くいうのはもうこれ以上やめましょう。
こうした行動は人間心理から考えると手に取るようにバレバレだよ。惨めになるだけ。やめましょう。
マルコ・ロイスを焦らすこと、調子が上がりづらい現状を責めることは誰の得にもならない馬鹿げた行為
なかなか調子が上がりづらい筆頭として、イケメンエース、マーコちゃんことマルコ・ロイスがまさにもがいている状態だな、とはわたしも正直感じています。
でも、焦らないでほしいし、なにより焦らせないでほしいな、と(特にメディア)。焦ったっていいことはなにひとつもないから。
これはマーコちゃんのみならず選手全員に共通することですが、こんなときだからこそ笑っていてほしい(練習時や移動時には笑顔ばかりあふれていてホッとしていますが)。
下向いてどんよりしているのはマーコちゃん筆頭にチームの誰も似合わないよ(笑)。
笑う門には福来たるという言葉があるように、ポジティブな前向きパワーがツキを呼びこむ、自身のメンタルを癒やして快復させていくことって人間だからこそあるはず。
極論いってしまえば、負けたっていいじゃない。
それで人生終わるわけじゃない。それで価値が変わるわけじゃない。
負けたっていい。誇りが失われることはなにひとつもないのだから。その上で、強い意志で勝ちに行く。そのくらいでいいんじゃないかと感じています。
チームはもちろん、サポーターやメディアすべてが。
「なんとかなるよ。大丈夫だよ」逆境を乗り越える意志ある言葉は、応援する選手やチームにも想っていること
なんとかなるよ。大丈夫だよ。
現実を見据えない頭の中お花畑の楽観論ではなく、現実をよく見据えた上でのリアリストとしての開き直り。
わたし自身、それこそ目を覆いたい、逃げたいほどの陰惨な逆境すらもそれで幾度も乗り越えた経験があるせいか、ひとに対しても、たとえそれが応援している選手やチームであっても、そう想っているところがあります。
ひとにもそうありたい。それは崩れない。「なんとかなるよ。大丈夫だよ」と。
余計なチカラが入っている状態だと、ゴキゲンで走っていける最高の状態とは程遠くなる一方。頭も体もこわばって、ますます調子は狂ってしまう。
こんなときだからこそ、「なんとかなるよ。大丈夫だよ」と。わたしはドルトムントに対しても思っているし、性分なんで変わりません。
ドルトムントは強い。間違いなく強い。疑うひとたちは笑い飛ばしてしまえばいい。
だってドルトムントの真実はそんなことには負けないし汚されないのだから。
下向いてどんよりする必要なんていっさいなし。前向いていきましょう。
心から信じてあげてください、自分たちを。
そう願っています。