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昨日のエントリーで記した通り、ドイツブンデスリーガのドルトムントを退任したユルゲン・クロップ氏を中心に、香川真司とドルトムントにまつわるトピックスをご紹介します。
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各国記者による力作や情報共有がWEBにアップされはじめたので、特に日本代表の試合でしか香川選手を観ていない方々に「香川真司とユルゲン・クロップの関係性」「ドルトムントの素晴らしさ」を少しでも知ってもらえたらな、と。
「まさに力作!記者さんグッジョブ!」という記事が、今回ご紹介するフットボールチャンネルに掲載されたもの。「奇跡的な関係」とも呼ばれる香川真司とユルゲン・クロップは「どういう関係なのか?」がうかがい知れるかと。
ユルゲン・クロップがいなければ、香川真司はいなかった。その真実を紐解く渾身の力作をどうぞ。
【フットボールチャンネル】クロップと香川が紡いだ5年間。その身は離れようとも…変わることのない愛情と信頼
ドルトムントの2014-15シーズン全日程が終了。同時にユルゲン・クロップ監督が退任した。この世界屈指の指揮官には多くの選手が師事したが、その中でも香川真司の存在は別格だった。ここでは、2010-11シーズンから続く2人の師弟関係を振り返る。
引用:フットボールチャンネル
移籍金約4800万円も即チームの中心となった香川
ちょっとしたところに人間関係の素顔が垣間見えることがある。今季とあるドルトムントのホームゲームの後で、ミックスゾーンで香川真司が取材の受け答えをしていると、ユルゲン・クロップが通りかかった。
クロップが香川を軽く叩いてちょっかいを出す。
香川がはにかむ。
隠しきれないものが本音だとするならば、この一瞬に二人の間柄が素直に現れているようだった。
およそ5年前の2010年9月19日、ブンデスリーガ10-11シーズンの第4節、ドルトムントはアウェイでシャルケと戦う。19分、エリア手前の中央へドリブルで向かうと、香川は左足を振り抜いて先制する。
会心のゴールに、クロップはハイジャンプして拳を宙に叩きつけた。香川は58分に追加点を決め、3-1での勝利に貢献する。試合後にクロップは香川をこう評した。
「シンジ・カガワが非常に優れたサッカー選手だということは分かっていた。ただ、これほど早く順応するとは思わなかった。まだ21歳で、家族を母国に置いて通訳だけを連れてやってきた。しかし今、彼は歴史にその名を刻んでいる」
その年の夏、香川はブンデスリーガにやって来た。ドルトムントが35万ユーロ(約4800万円)の育成補償金を支払うことで、セレッソ大阪からの移籍は成立する。移籍金の額はチームの期待度の現れでもある。
もちろんドルトムントは香川の才能を見抜いた上で、熱意を持って獲得した。それでもお試し感があったことは否めない。しかしダービーでのブレイクは、クロップの想像を超えるものだった。
そしてクロップは香川の才能にますます惚れ込んで行く。キッカー紙がシャルケ戦の香川を「空に解き放たれた鳥」と評したように、躍動の香川は前半戦の全17試合に先発して8ゴールという結果を残した。
引用:フットボールチャンネル
最初の別れとなった香川のユナイテッド移籍
シャルケ戦の後のコメントにも見て取れるように、クロップは選手のことをサッカー選手としてだけではなく、一人の人間としても見るところがある。選手としての能力だけでジャッジして、切り捨てるようなところはない。
極東の国から独りでやって来て、異国の地で奮戦する姿は、人情深いクロップの心を惹きつけたのだろう。
ブンデスリーガにデビューしたシーズンの後半戦を、香川は1月のアジアカップで負った怪我が元で棒に振ることとなったが、早くも1年目でクロップと香川の信頼関係は強固なものとなっていた。
そしてそれは、香川がドルトムントでの2シーズン目を終える頃には揺るぎないものとなる。序盤こそチームも香川も不調に喘いだが、シーズンが終わってみれば13ゴールを挙げて、香川はドルトムントの2連覇に貢献した。
ポカール決勝では1ゴールを決めて、バイエルンを破って優勝する。このドルトムントの輝かしい2年間の中心に、香川とクロップがいたことは間違いなかった。
そして別れの時を迎えることになる。11-12シーズン終了後に香川はマンチェスター・ユナイテッドへの移籍を決断する。サー・アレックス・ファーガソンに請われ、移籍金の額は1500万ユーロ(約20億4000万円)となった。
もはやお試し感はどこにもない。正真正銘のフットボーラーとして、香川は巣立ちのときを迎えたのだ。クロップは学校を卒業する教え子を送り出すようだった。
「シンジは今まで指導した選手の中でも最高の選手と言えるだろう。彼は素晴らしい人間であり、素晴らしいスポーツ選手でもある。彼なら世界中どこのクラブに行ってもプレーできる」
しかしマンチェスターへの移籍は、結果的には成功したとは言い難いものとなった。ファーガソンが指揮を取った1年目はドルトムント時代の片鱗を見せるに止まり、2年目はデイビッド・モイーズの信頼を得ることが出来なかった。そして3年目にファン・ハールは香川を構想外とする。
引用:フットボールチャンネル
理想通りとはいかなかった2人の再会後
再会は思い掛けずやって来る。昨季のゲッツェに続いてレヴァンドフスキという大黒柱が抜け、14-15シーズンのレバークーゼンとの開幕戦を落とすと、続くアウクスブルク戦も3-2とドルトムントは不安定な戦いを強いられていた。
そして香川が抜けた後で主力となったロイスも、欧州選手権予選のスコットランド戦で負傷して離脱してしまう。ドルトムントは苦境に喘いでいた。
そこでマンチェスターからの移籍を決断していた香川を、クロップは再獲得する。クロップの中で残像は根強く、香川への信は少しも揺らいでいなかった。
「彼はとても、とても優れた選手だ。我々をさらに良くするだろう。彼が再びここにいるということは、とてつもなく素晴らしいことだ」
ロイスだけでなくブワシュチコフスキも抜けていたこともあって、香川を再獲得するや否やクロップは、2014年9月13日の第3節フライブルク戦で即座にピッチへと送り出した。あのシャルケとのダービーから、4年の月日が流れていた。
「彼との契約以来、ロイスとクーバが負傷した。だから今私は、彼が当初は穏やかに観客席から試合を眺めることが出来るとは言えない。シンジは今すぐ必要とされている。ドルトムントの雰囲気は彼を戦いへと掻き立て、鼓舞し得るだろう!」
そして香川は、期待に応えた。フライブルク戦で1ゴールを挙げる活躍を見せ、ドルトムントは勝利する。香川とクロップの、第二の黄金時代が始まる。BVBを愛する誰もが予感を抱いた。
しかし現実は違った。香川はかつてのパフォーマンスを取り戻せず、ドルトムントも不振に喘いだ。順位はズルズルと下がり、第13節には最下位に落ちてしまう。そして香川は先発の座を失った。
引用:フットボールチャンネル
終盤には復調。2度目の別れも変わらぬ愛情
後半戦に入ると、香川も先発の座を取り戻し、チームとともに徐々に復調の兆しを見せたが、3月に入ると再び失速してしまう。ハンブルク、ケルンに勝ち切れず、4月にはバイエルン、ボルシアMGといった上位陣に勝つことができない。そして自らの限界を悟ったクロップは、辞任を表明する。
突然の知らせだったが、香川のクロップへの信は揺らがなかった。
「チームもこういう状況だったので、その決断は監督が決めたことだから、しっかりと尊重する」
香川は、クロップへの感謝の気持ちを表した。
「もちろん僕が移籍してきて、使ってくれて、ヨーロッパで優勝出来て、色々な経験をさせてくれた。それは本当に感謝の気持ちで一杯ですから、しっかり最後はいい形で締めて終わりにしたいです」
クロップが辞任を表明した後、じわじわとドルトムントは順位を上げて、ヨーロッパリーグ出場権の獲得となる7位に辿り着いた。香川もパーダーボルン戦、フランクフルト戦に続き、最終戦のブレーメン戦では、1ゴール2アシストと、かつてのような輝きを放った。
そして迎えたポカール決勝の前日記者会見でのこと――。
クロップは香川の先発を明言した。
「カガワのような才能ある選手がずっと鳴りを潜めたままなんてことはありえない。決勝を前に、再び輝きを見せ始めてくれて嬉しい。彼の勢いを止めるつもりはない」
2015年5月30日のポカール決勝をボルフスブルクに敗れて、ドルトムントでのクロップの時代は終わった。しかしそれは、クロップと香川の師弟関係の終わりを意味するのだろうか。
この5年間を振り返れば、ドルトムントを後にするクロップが世界中どこのクラブに行ったとしても、香川に対する愛情は変わらないだろう。2人の間柄は、この先も続いていくはずだ。クロップと香川が紡いだ月日は、フットボールの世界でも稀に見る、何にも代え難いものだった。
引用:フットボールチャンネル