【内田篤人29歳&マヌエル・ノイアー31歳】日本とドイツを結ぶ幸せな関係が生まれたシャルケへの移籍

ドイツ・ブンデスリーガの所属チームシャルケでの試合終了後に、勝利を祝福して喜びのハグをする右サイドバック・DFの内田篤人とGKのマヌエル・ノイアー

わたしにとって生まれ育った日本は特別だ。

と同時に、もうひとつ、物心ついたころからのお気に入りであり、長い年月、“愛すべき存在”として愛情を寄せてきた国がある。

きっかけはサッカーだった。いや、きっかけ“も”サッカーだった、と表現したほうが適切だろうか。

サッカーを中心にわたしの中に確固たる“愛すべき存在”として君臨する国、ドイツ、そして彼の国の人々は、今も変わらぬ想いを抱かせる。

時折、シンパシーさえ覚えるドイツの国柄や国民性の親和性の高さに、どこかくすぐったい気持ちにさせられながら、そんなふたつの国の“人間性”をそれぞれ代表するかのふたりが、またひとつ年を重ねた。

内田篤人。マヌエル・ノイアー。

2017年3月27日、生誕29周年・31周年をそれぞれ祝して。

内田篤人のシャルケ移籍のタイミングは、マヌエル・ノイアーとの濃密な時間を生んだ

ちょうど1年前の今日、あの日のことを思い返しながら、類まれなフットボーラー以前に、ひとりの人間として尊敬の念をもつ彼らをつづったことを昨日のことのようによく覚えている。

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2011年3月12日。あの日以来、ふと気づくと考えを巡らせるひとつが、「内田篤人がドイツのシャルケにあのタイミングで移籍したのは、必然だったのではないだろうか」ということだ。

もちろん、サッカー界における移籍に、必然で完結することなど存在しない。それはそれとして、移籍とはすべてのタイミングが合致しなければ成功しないのだ。

そのタイミングの合致とは、ある種、奇跡の連続でもあり、なにかひとつでも欠けていたら生まれない。

内田篤人がドイツ・ブンデスリーガの名門、シャルケに移籍したのは2010年のこと。奇しくも、マヌエル・ノイアーがバイエルン・ミュンヘンに移籍する前年だ。

こうしてあの濃密な1年間は誕生した。今でも顔をあわせるたびに微笑ましいコミュニケーションが広範囲で大きな話題になる、凛としながらも温かくやわらかなお互いの人間性をもって。


日本のサッカーファンに「ノイアーはナイスガイ」との印象を根づかせた直接的要因

内田篤人の移籍以降、マヌエル・ノイアーの口から日本への好意が語られる頻度が日を追うごとに増えたことを覚えているサッカーファンはどれくらいいるだろうか。

当時、よほどドイツサッカーを好んで観てこなければ詳しくない日本人ばかりで、彼の移籍によって注目されたシャルケ同様、世界的名声に手が届く段階にあってもマヌエル・ノイアーは初見に近い人も多くいた。

ところが、警戒心の強いあの内田篤人がすぐに心を開いた人間性の持ち主、マヌエル・ノイアーは、ほどなく日本のサッカーファンにも知られる存在になった。

内田篤人の移籍直前、南アフリカワールドカップにおいてドイツの新守護神として鮮烈なデビューを果たしたこともそうだろう。だが、日本人ファンに「ノイアーはナイスガイ」との想いを根づかせた直接的要因は違う。

そう、その要因とは、間違いなく内田篤人だ。


あの日、見守るファンと内田篤人の目の前に現れたのが、マヌエル・ノイアーだった

今でこそ「ブンデスリーガ所属日本人プレイヤーの代表格」との呼び声も高く、熱を帯びて語られる内田篤人だが、移籍当初は勝手が違った。

鹿島アントラーズ所属時代、ストレスや過労を原因とする度重なる嘔吐に見舞われるだけでなく、線が細いプレイヤーだったことも拍車をかけ、ドイツへの移籍が発表された当時、期待より心配や不安の声が大きかった。

ドイツ側の期待や事情とはまったく異なる日本側の願い。内田篤人がシャルケの一員としてゆっくりとスタートした2010-2011年シーズン、祈るように見守っていたのが日本人ファンだった。

その目の前に現れたのが、勇敢かつ大胆なプレイと、大きな体躯にアンバランスなほど屈託のないあどけない表情をみせるキャプテン、マヌエル・ノイアーだ。

なにかと彼の世話を焼き、せっせと面倒をみながら、チームに溶け込ませるため尽力するその微笑ましさ、頼もしさは、日本人ファンの目には救世主のようにうつったことだろう。

彼、内田篤人を通して日本のサッカーファンは、「マヌエル・ノイアーはなんてナイスガイなんだろう」と認識をもつに至ったのだ。


マヌエル・ノイアーとシャルケ、ドイツ人ファンに愛される内田篤人の人間性

マヌエル・ノイアーの尽力のおかげもあるが、彼、内田篤人の天性の“人たらし”ぶりは、日本以上に異国ドイツで圧倒的な本領を発揮した。

こんな表現が適切か迷うところだが、男性が女性に惚れ込むのと等しく「次々と落ちてゆく」光景は笑ってしまうほど。「言葉のおぼつかなさは問題ない。たいせつなのは人間性」を内田篤人は見事に証明したのだ。

もちろんチームメイトや関係者だけではない。少年のような顔立ちに似つかわしくない強気なプレイと的確な状況判断力も含め、瞬く間に現地ドイツのファンも彼を深く愛するようになった。

ドイツ、そしてシャルケの守護神も、そんな彼をよほど気に入ったのだろう。仲良く連れ立つ姿がおなじみになったと同時に、ほがらかな人柄そのものの穏やかな口調で、彼を通して日本の印象を語ることも増えた。

リップサービスも多少あるだろうが、マヌエル・ノイアーは人のよさに似合わず手厳しいストレートさに定評がある。好む好まないがはっきりしていて、その理由まで完璧に述べ、すべてを納得させてしまうほどだ。


内田篤人、マヌエル・ノイアーを通して、日本とドイツがお互いにプラスになる結果に

日本のサッカーファンはマヌエル・ノイアーを通してドイツに好印象をもつようになり、ドイツのサッカーファンは内田篤人を通して日本に親しみを覚えるようになった。

内田篤人とマヌエル・ノイアーだからこそ育まれた絆だ。両者がそろっていなければ成し得なかったことであり、ほかの人間であればこの関係性は生まれていなかっただろう。

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そこに6年前のエピソードが加わった。内田篤人らしい故郷へのエール、マヌエル・ノイアーらしい愛情豊かなサポート。内田篤人とともにマヌエル・ノイアーへの親愛が深まるのは当然といえるだろう。

これもすべて、あのタイミングで内田篤人が移籍していなければ、ありえなかった出来事であり、存在しなかった想いだ。

幸せな関係とは、言語や国境、生い立ちなど、すべてを軽く飛び越え塗り替えてゆく

出会うべくして出会う人間というのが存在する。

内田篤人にとって、あのタイミングでのシャルケへの移籍は必然であり、その先に待っていたのがマヌエル・ノイアーだったこともそうなのだろう。

そんな彼らがこの世に産声をあげた3月27日。同日生まれという真実が確信へと導いている気がしてならない。

幸せな関係とは、言語や国境、生い立ちなど、すべてを軽く飛び越え塗り替えてゆく。親愛で結ばれた彼らの楽しげな様子を目にするたび、心温まる人間が国境を超えて広がっているように。

これからの1年が彼らにとってどんな1年になるか想像もつかない。日々をおくる中で、それぞれ思い煩う瞬間もあるだろう。それでも、どうか幸せな時間を過ごすことができますように、と願ってやまない。

その勇姿に感謝を込めながら。

HAPPY 29th BIRTHDAY to ATSUTO UCHIDA and HAPPY 31th BIRTHDAY to MANUEL NEUER!!!!