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仕事が立て込んでいることを理由に、更新が滞っていたブログ。ふとあるとき、「いや、理由はそれだけかな?」と、なぜだか急に、自問自答する瞬間に出くわすことに。
なぜだか急に。なのにやけに真剣に。誰に知らせるでもなく、ぼんやりと思案してみる。
ああ、そうだ。あの人がなかなかピッチに姿を見せないからでしょ。やっぱりどうしても、モチベーションだとか、テンションだとか、アレやコレや、なんとなくあがらないんだわ。きっとそれだ。
その人の名は、内田篤人。
「だって、絶対に楽しいから」そのきっかけは、確かに内田篤人がもたらした
まだあどけなさが残る18歳のころから、静かに声援を送り続けてきたフットボーラー。
そうした年月を経て、ある時期から熱心につづるようになったのは、「サッカーを知らない人にも、サッカーの魅力を知ってほしい」という想いゆえに。きっとその姿は、そんな人たちの心にも響くはず、と。
そしてもちろん、サッカーや彼のプレイが大好きで、その人となりごと気に入っているファンにも、ちょっと違った角度や切り口から、サッカーや彼の魅力に触れてもらえたら。
なにより、「ただただ、書きたいんだ。もうそれだけでいい。だって、絶対に楽しいから」。
そんな純粋な原動力ではじまった、あの日以降の数々。
「だって、実際に楽しいから」アクセスや反響すらも変えた、内田篤人の魅力
このブログのアクセスや反響を大きく変え、男性女性問わず幅広い新たなファンの方々との交流を増やしてくれた、そう、いまも変わらず“鹿島魂”を貫くサイドバックの彼、内田篤人。
可愛らしい幼なじみの彼女との結婚を経てもなお、女性を中心に熱烈ファンを大量に抱えながら、どこかのほほん、ちょっとクール、なんだか他人事。
悲鳴にも似た歓声を照れくさそうにかわしつつも、ファンを想い、チームメイトを想い、チームやサッカーそのものを愛する。ひょうひょうとしたイマドキイケメンのくせに、実は誰より、泥臭く骨太で男前。
フットボーラーとしての類まれな才能や努力のみならず、一筋縄ではいかない魅力たっぷりの人間性に惹かれた多くのファンとともに、さりげなく“書くこと”でもエールを送るようになったあの日。
「だから、書き続けたいんだ。もう本当にそれだけでいい。だって、実際に楽しいから」と。
「ウッチーのことを書くのって、すごく楽しいんだ」内田篤人のおかげで出会えたもの
わたしにとって彼らフットボーラーを書くこととは、エールを送ること。つまりそれって、応援するということ。
それは彼、内田篤人のおかげであらためて気づけた事実であり、出会えた面白さ。わかっていたとはいえ、ああ、やっぱりそうだ、といった感じで。
サッカーとサッカー選手を後押しするひとつとしての、書くこと。さっぱり意味がわからない騒動に巻き込まれつつも、サッカーとサッカー選手がきちんと在ってくれればいい、人間としてしっかりしていてね、と。
なかでも、「題材:内田篤人」は、いつだって特別。
「ウッチーのことを書くのって、すごく楽しいんだ」。そう、あれからずっと。
「きっと大丈夫」再びピッチを駆け上がる“22内田篤人”の姿を願いつつ
そんなわたしが、願掛けを兼ね、「復活する日まで、違った形で応援しよう」と、「題材:内田篤人」の更新を控え、リハビリの過程をじっと見守るようになった日々。
少しずつ快復がみられ、ゆっくりと練習再開、それから練習試合、いよいよ実戦復帰。
シャルケブルーを身にまとい、躍動するその姿を目にしながら、カウントダウンスタート。
次はリーグ戦かな。いや、ドイツカップかもしれない。ピッチを駆け上がるあの姿にまた出会えますように。今シーズンこそ。きっと大丈夫。だってウッチーだし。うん、ウッチーだから。
少しずつ明るい笑顔を見せてくれるようになったその表情に安堵しながら、さらなる復活を誰もが待ち望んでいた矢先に届いた一昨日の夜の知らせは、わかっていたような、どこか覚悟していたような。
「想像以上に、本当にすごいこと」内田篤人をサポートしたシャルケの懐の深さ
彼が復活を誓うネクストステージに選んだのは、ドイツ2部リーグの1.FCウニオン・ベルリン。
シャルケ退団の真相に関しては、いずれも憶測の域を出ないものばかり。とはいえ、誰の目から見ても明らかなのは、7年間の在籍中、愛され続けた内田篤人の存在感。それはひとえに、彼の人間性のたまもの。
それはそれとして、フットボーラーといえば高額報酬を得る職業。
にも関わらず、2年ものあいだ、実働ができずにいた彼を惜しみなくサポートしたシャルケというチームの懐の深さにも、あらためて感服しつつ。
これって、想像以上に、本当にすごいこと。ドイツ名門のその心意気がいま、彼の旅路を見送るやわらかな優しさとして昇華したことを知っているからこそ。
「シャルケで、よかった」内田篤人移籍前からお気に入りのチームに想うこと
ドイツが地道に歩んできたサッカー大国としての礎と、質実剛健なドイツサッカーを、気づけば数十年にわたってこよなく愛してきたわたしにとって、現在のブンデスリーガの様相はある種、夢のよう。
母国の選手が愛する国で活躍する姿が、こんなに当たり前のものとなるなんて。
遠い昔、初めてこの地で成功した先人、奥寺康彦に続けとばかりに、日本人フットボーラーの先駆けのひとりでもある内田篤人のシャルケへの入団を昨日のことのように思い出した、一昨日の第一報を目にしてからのひととき。
もともと彼が移籍する前から、ボルシア・ドルトムントと歴史的なライバル同士にも関わらず、どちらも可愛いやんちゃ坊主のようでお気に入りだった、同じルール地方の蒼き魂をもつチーム。
ファーストチームがシャルケで、よかった。ひとりの日本人として、ひとりのサッカーファンとして、ひとりの内田篤人ファンとして、たとえようのない感謝の念を抱きながら。
「その姿を片時も忘れずに覚えている」内田篤人の価値は、なにひとつも変わらない
悪いことは考えたくないし、頭によぎることもない。復活という大いなる挑戦に向け、走り続ける勇者へのエールにふさわしいとも思えない。
それでも、だからこそ、あえて記したい。幾度も反芻したその想いを、あらたに。
たとえ二度とピッチに戻ってこれなかったとしても、内田篤人の価値は、なにひとつも変わらない。
あの日、灼熱の太陽の下、たったひとりで闘っていた内田篤人を忘れられないから。そこに至るまでも、そこから今日、現在までの苦闘も。
激しい闘いにより蓄積した疲労で倒れ込みながらも、その身を蝕む激痛に顔をしかめながらも、決して走ることをやめようとはしなかった、その姿を片時も忘れずに覚えている。
だからこそ、あえて伝えたい。誓いを重ねるように、ただただそれを。
内田篤人の価値は、なにひとつも変わらない。
いつだって、どこにいたって、なにをしていたって。
「彼の名は、内田篤人」希望を携えやってくる、彼はいつだって変わらない
きっとすでに、顔をあげて、前を向いて、走りだしているだろう。いや、走り続けているだろう、が彼の場合は正しい。
そしてなにより、彼自身が恋い焦がれるように待ちわびている、熱を帯びた歓声を受け、身震いする瞬間が、たぶんもうすぐそこまで、せまっているんだろう。
ともに闘う。これほどその意味を、価値を、在り方を、自然と体現するフットボーラーは、少なくともわたしの記憶には他に存在しない。
ともに闘うよ、これからも。繰り返し想いをはせる、それはいつだって、内田篤人の人となりのおかげだ。
どこかノスタルジックな郷愁にすらいざなわれるのは、彼のサッカー人生が、まるで彼の魅力たっぷりの人間性とよく似た、一筋縄ではいかないものだからなのかもしれない。
次はどんな姿を見せてくれるだろう。希望を携えやってくる、彼はいつだって変わらない。
そう、彼の名は、内田篤人。
彼の名は、希望。