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「この闘いぶりが、この姿勢が、この執念が、ずっとみたかった」と実感した、1週間前のインゴルシュタット戦。
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その1週間後、まさか「今シーズンのワースト試合なんですけど(白目)」を観せられるとは夢にも思いませんでした(真顔)。
現在、日本・ドイツはもちろん、世界中のドルトムントファンが激怒どころじゃないとんでもない勢いでえらいことになっています。
騒ぎに流される形で曇らないよう、冷静に、客観的にみても、残念ながらトーマス・トゥヘル監督が理解できなくなりつつあるファンが多数発生状態。わたしもそのひとりです。
えーと。トゥヘル博士は一体なにがしたいんですかね?(白目)
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「勝ちたい」「てっぺん取りたい」「優勝したい」選手の想いとズレつつある采配
選手は「勝ちたい」「てっぺん取りたい」「優勝したい」。
そりゃ勝負師だもの、なによりも自然なこと。ましてや、ボルシア・ドルトムントレベルなら当たり前。
で、それは当然のことながら、監督やチーム経営陣も同じだと考えていました。ボルシア・ドルトムントは、バイエルン・ミュンヘンに遠慮して「どうぞどうぞ」なんて必要はどこにもないのだから。
これは何度でも宣言したい。
「ボルシア・ドルトムントは優勝する才能が、技術が、頭脳が、メンタルがあるチームだ」「優勝するのはバイエルンじゃない、ドルトムント。てっぺん取るためのサポートを全力で行うのが信条だ」と。
が。
現地時間6日の上位対決でのトゥヘル博士の采配に、その想いがまったくみえませんでした。「リーグ戦の優勝は諦めたんだな」と、さめざめとした想いを抱かせるほどに。
サッカー監督は現場責任者・現場の全権限を有する存在で、有する代わりに全責任を負う
現在、世界中で「?!?!?!?!」の嵐。誰もが口をついて「悔しい」「イミがわからん」「どうなってるの?」「理解ができなくなった」「一体なんのために応援してるんだろう」。
当然のことながら、監督批判は目も当てられない勢いで大発生。「さすがにそれはやっちゃいかんだろう!」が、特に現地ファンの意見。やっぱり昔からドイツ人はサッカーになると熱い!(笑)
基本的に、わたしは監督の采配や戦術に対してどうこう言いたくない人間です。現場の判断が正しいし、現場のプロフェッショナルに委ねるのが正解だから。「やっちゃダメなこと」をやらかしていない限り。
これはどんな職業であっても。
今までの経歴でも、現場を知らない、冷静な視点でモノが見れない、考えられない人間が無意味に大騒ぎし、ああせいこうせい勘違い自己中矯正しようと沸いた瞬間、領域からシャットアウトです。淡々と(笑)。
サッカー監督とは、現場責任者であり、現場の全権限を有する存在。ということは、采配も戦術も選手セレクトも、ありとあらゆるすべてが監督主導で行われて当然。
それに対して、なにか言うのも野暮だな、と。そういうタイプです、少なくともわたしは。
だって、全権限を有する代わりに、全責任を負うわけだからね。つまり、自分の思い通りにやって結果が悪かった場合、その責任は選手にあるわけじゃない、すべて監督にある。それが権限保有者。
「責任はすべて自分」と覚悟を背負いつづける限り、トーマス・トゥヘルの方針を静観する
自分のやりたい放題やって結果が悪かったとして、それを選手やファンや環境の責任にすり替えたり言い訳三昧したら、わたしはトーマス・トゥヘルに対して「早く辞めてくれないかなー」と淡々と願うようになるだけ。
でも、「自分は権限保有者だからこそ、責任はすべて自分にある」と、選手やファンを矢面に立たせるのではなく、きちんと覚悟を背負いつづけている限り、わたしはトーマス・トゥヘルの方針を静観します。
今現在、わたしが記したいことは、それだけです。
今後、結果や内容が悪い、選手たちが殺されている試合を観せられたら、「心臓に悪すぎる試合なんですが(白目)」「観戦サイド含めて皆殺しにする気か!」など正直に記すことはあるでしょう(笑)。
でも、基本は変わりません。トーマス・トゥヘルが、きちんと責任の所在を明らかにし、監督である自分はすべてを負う立場だと認識している限りは。
それがないと、ヘタしたらただのパワハラや都合よい道具扱いになりかねないんでね。監督にとって選手たちの存在が。世界中のどこのチームであっても。
選手生命をかけて闘っている選手たちのひたむきさに、どうか背を向けることがありませんよう。それだけを、心から願いつづけています。
香川真司が、どんな状況でも腐らずひたむきに走りつづけてきたことを、誰もが知っている
今回の大騒動の主役ともいえる存在が、シンジカガーワこと香川真司。
なぜって?
6日に行われたヘルタ戦、今シーズン初のベンチ外だったから。ベンチメンバーどころじゃない、ベンチ外。
「?!?!?!?!」←現地ドイツのファン筆頭に声にならない声大発生中(笑)。
香川選手自身の胸中を慮るに、なんとも言えません。考えれば考えるほど、なにも言えるわけがない。
ただ、香川真司という選手が、どんな状況でも腐らずひたむきに走りつづけてきたことを、香川真司のファンは誰もが知っています。そして、その姿を、誰もが愛していることも。
サッカー選手の競技人生って、きっとわたしたちが想う以上に、あらゆることが発生し、だからこそ、あらゆる想いを抱えながら生きているはず。
今の香川選手の心境は、彼にしかわからない。わかるわけがない。だからこそ、静かに見守ることがなによりできることじゃないかな、と。ファンだったら、まずそれが「応援」として、闘う戦士に敬意を表するために。
誰を責めるとか、状況を嘆くとか、そんなレベルではなく、純粋に「誰かを、なにかを、傷つけたり不利益を与える道に堕ちない限り、なにがあろうがいつだってあなたの味方だよ」という想いをこめて。
ドイツのファンへの感謝。香川真司をずっと変わらず心から愛してくれて本当にどうもありがとう
それはそれとして、やっぱりあらためて実感しています。記したとおりです。
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現地ドイツのファンのみなさんに対して、どれほどわたしたち日本人が感謝しているか、きっとあなた方にはわからない。
異国からたったひとりでやってきた、少年のような面影を残す日本人選手を、自国選手のように迎え入れ、共に喜び、共に悲しみ、ときには本人以上に怒り、嘆き、包み込むように愛してくれて、本当にどうもありがとう。
日本人を代表してお礼を述べたい、だなんて、イミのわからん大勘違いなことなんか想う気もさらさらない。一生無理無理、性格的に(笑)。
決してそうじゃなく、ひとりの日本人として、ひとりのサッカーファンとして、ひとりの香川真司ファンとして、純粋に感謝を伝えたくなる。
そして、こうした想いを抱いている日本のサッカーファンが、現地ドイツのサッカーファンが驚くほどたくさんいることを、どうかドイツのファンのみなさんに知ってほしいです。
香川真司という選手は、本当に幸せ者だ、と、心から実感させられます。間違いなく、あらゆる局面を打開する彼のパワーの源のひとつでしょう。
香川真司を、ずっとずっと変わらずに、心から愛してくれて、本当にどうもありがとう。