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つい先日、ピックアップしたのは、バルセロナのハロウィーン仮装大会。
バルセロナが本気出してきた!ハロウィーン仮装大会が誰が誰だかわからない完成度
先ほど友人たちから「誰もが楽しめてたと思ってたのに。これはないよね。酷すぎて気分悪いわ」と、ある後日談、というより事の真相が。
読んでみて最初に感じたことは「シャビの存在感の大きさ」。そう、シャビはバルセロナの偉大なる良心だった。彼の存在は、バルセロナが人間としての規律とモラルを保つこれ以上ない手本だった。
ホント酷すぎワロタ=酷すぎて笑えない。今シーズンは暴言騒動なども多発しているバルセロナ。シャビ退団以降、薄々感じていた「バルセロナのモラル崩壊」は本当かな、と。
「楽しいことをやりたいのであれば、誰もが楽しくなくてはいけない」。要は自己中オナニーではドン引きされるし、傲慢に走ってしまっては誰もついてこなくなる。
いや、本当に正直にいって残念すぎます。こんなバルセロナの落ちぶれ方は見たくなかった。
【theWORLD】バルサのハロウィン騒ぎは予想以上だった…… トイレや洗面所が血だらけに
アウェイの地に真っ赤な液体を持ち込んだバルサ
31日に行われたヘタフェとバルセロナの一戦の後、バルサの選手たちはハロウィンを意識してドラキュラやフランケンシュタインに仮装し、会見場に乱入するなどの騒ぎを起こした。この行為も敗北したヘタフェの選手、会見場にいたジャーナリストへの敬意を欠いていると批判を受けたが、ロッカールームの惨状はさらに凄かった。
スペイン紙『アス』によると、バルサの選手たちはアウェイの地へ真っ赤な液体を持ち込んでいたという。ドラキュラに仮装している者もいたため、これを偽の血として使ったのだ。この液体はロッカールームのあちこちに飛び散っていて、トイレや洗面所は流血騒ぎがあったかの如く真っ赤だ。
しかも、バルサの選手はトイレなどを真っ赤に染めたまま放置し、液体が入った瓶なども洗面台に置いたままだった。ヘタフェのアンヘル・トーレス会長はこの一件に激怒しており、バルサの内部に問題があると語っている。
「彼らはロッカールームを汚したまま出て行った。これらを片付けるのは非常に面倒だし、お金がかかる。私はバルサの会長に手紙を送るつもりだったが、彼らからの謝罪で手紙は破り捨てた。これはクラブ側の責任ではないし、選手たち内部で修正すべきことだからね」
ハロウィン騒ぎで一時は盛り上がったかもしれないが、後片付けを残したまま去るのは問題だ。そもそもアウェイの地へフェイクの血を持ってくることもおかしな話で、ヘタフェとの一戦を軽視していたとも取れる。審判への暴言など今季は何かと問題行動が取り上げられるバルサだが、今回の一件は非常に幼稚なレベルで批判を浴びることになりそうだ。
引用:theWORLD
フットボーラーは勘違いしやすい立場に置かれている現実と向き合えないのであれば崩壊の道を選択したに等しい
このやらかし、一言でいったら「招かれざる客」「厄介な連中」。
バルセロナっていうのは、ひとびとを楽しませるために全力を尽くすクラブチームじゃなかったでしたっけね?大迷惑ばかりかけてどうするんですか?自分たちだけが馬鹿騒ぎして楽しめればいいとか?
それは「楽しい」とはいいません。この上なく傲慢で恥ずかしい忌み嫌われる生き方です。
プロサッカークラブチームの崩壊パターンともいえるのかな、とも感じています。チヤホヤされることが当たり前になり麻痺してくると、なにをやっても誰もいさめてくれなくなる。
つまりそれは、すべてを相手のせいにして逃げてごまかす、酷いと相手を嘲笑して自分を優位に立たせる、人間として卑怯な生き様に落ちぶれる崩壊の道をたどる選択をしたに等しくなる。
フットボーラーは勘違いしやすい立場に置かれていると、もっと自分自身を律しながらつねに己に問いかけてほしい。日頃からチヤホヤされていて見失いがちでしょうが。
スポーツやサッカーに興味がない、暴力的な印象を持っているひとたちが、あなた方をチヤホヤしているひとたちと真逆な見方をしているという現実を。
擁護する人間こそ「自分を愛してくれている」と思うのなら、子飼いの犬はべらかして現実逃避していればいい
「これ、さえちゃん(わたしの本名)庇える?」と聞かれましたが、庇えるとか庇えないとかいう問題じゃない。腹の底から沸いてきたのは「もういい加減にしてよ」という憤り。
昔からサッカーという競技を愛していますが、だからといって「サッカーという競技、あるいはフットボーラーがなにをしても『いいよいいよーすべてOK!』とあほヅラ晒して擁護する薄っぺらい人生生きちゃいない」。
すべてを相手のせいにしてしまいがちなひとは、それを冷たいと思うでしょう。『いいよいいよーすべてOK!』とあほヅラ晒して擁護する人間こそ「自分を愛してくれている」と。
だったらそういう頭の悪い子飼いの犬を周り中にはべらかして、いつまでもチヤホヤされて現実と向き合わずに生きていったらいい。社会的地位と、大いなる名声と、巨額の金を欲しいままにしながら。
その代わり、一生忘れちゃいけない。その結果、あなたは、人間としてたいせつなものをすべて失い、真っ当な人間たちからは蔑まれ忌み嫌われる人生を一生生きていくのだ、ということを。
憧れられることもいつしかなくなり、それは引退してからの長い人生でより色濃く現実として後悔とともに向き合わざるを得なくなる。
失ったモノの大きさに今さら気づいても、もう遅い。それはシャビの存在
一言、残念極まりないです。サッカー上手けりゃなんでも許されるだなんて思ってんじゃないわ。フットボーラーが夢を与える、模範となる存在じゃなかったら、社会的地位も大いなる名声も巨額の金も得る資格がない。
バルセロナはシャビを退団させるべきではなかった。プジョルが引退している今、シャビがいなくなってしまったらこうなることは目に見えてわかっていたはず。イニエスタだけでは止められない。
楽しいハロウィンしてるかと思ったらなにこれ。選手もファンも傲慢な態度嫌われてること気づいて。アウヴェスがトーレス会長批判しただのシャビ退団以降崩壊してる。シャビ先生に説教してもらってください。残念すぎる⇒バルサのハロウィン騒ぎ https://t.co/LmGdRO3Fir
— sacchi/SAEKO TANAKA (@sacchinms) 2015, 11月 4
こんなに「やっぱりシャビは偉大だった」と思わされたシーズンは、バルセロナを観てきて以来初めて。それは「いなくなったときこそ、そのひとの存在の大きさがわかる」という現実。
そして同時に、今までも薄々感じてきたことをはっきりと思い知ることに。「メッシとイニエスタがこのチームからいなくなったとき、もうバルセロナに興味はなくなるだろう」と。
わたしにとってバルセロナの象徴は、リオネル・メッシ。その彼が甘えて頼れる存在、シャビとイニエスタ。
バルセロナ最大の重要基盤の一角がいなくなり(加えてメッシも今ケガで不在)ここまで崩壊するとは。存在感の大きさを実感すると同時に、なぜシャビがいる間にもっと学ばなかったんだろう、と残念でなりません。
シャビはその姿で、いつもいつも、どんなときでも、すべてを指し示してくれていたのに。
失ったモノの大きさに今さら気づいても、もう遅い。