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どーも。「ワンピース」のおかげで、笑い貯蔵庫と涙貯蔵庫絶賛フル稼働中のドイツサポーター王sacchiです(キリッ←せんでええ)。
曲がったことや卑怯な行為や輩が大嫌いなわたしが、ツボど真ん中でハマったワンピース。あれからずっと愛しつづけています。
ワンピースを「子どものマンガ」などという人間は認識が甘すぎる。逆にいうなれば、一番感受性豊かな子どもを喜ばすことができないモノが、大人のココロを本気で震わすことができるだなんて大勘違いするんじゃない。
勧善懲悪という言葉が陳腐になる。信念の糸が交差して紡ぎあげる「ワンピース」
「勧善懲悪」などと、ある種、陳腐な表現を使いたくない。誰もが奥深くに携える感情を、問答無用で強く強く揺さぶって、アツイ火をつける。
したり顔で斜めから皮肉や批判繰り返すことが「頭がいい」などと迷走をつづける、勝手に傷つくことに怯える弱さで真正面からぶつかれもしない人間は、なにを目にしようが悪く捉えるしか能がないのでほっとくとして。
半沢直樹の大ヒットにも通ずるのかな、と。単純に「悪を懲らしめる」ではない、ひとりひとりの想いや考え、生き様があり、それぞれが己の人生を歩みながら、それぞれの信念の糸が交差して紡ぎあげる。
性格的に「少年マンガの主人公タイプ」と言われつづける人間のど真ん中に響く世界観
昔から「参謀」「ブレーン」といった、トップのサポートポジションで仕事などに携わることが多いわたしですが、なぜかずっと性格的に「少年マンガの主人公タイプ」といわれることが多々。
目立ちたがりというイミではなく、曰く「曲がったことや、派閥やしがらみ、卑怯な行為や連中などめんどくさいモノが心の底から大嫌いで、周囲の人間の想いとともにまっすぐに走っていくタイプ」だからだそう。
自分じゃよくわかりませんが、確かに「イマドキめずらしい」といわれるほうです。おかげで、最高に気のいい、だけど個性的でユニークな人間にばかり囲まれています(笑)。
でも、わたしにいわせたら「イマドキ人間」は卑怯や姑息なんて失笑どころじゃない。逃げてばかりで小手先の技でごまかして人様を嗤うしか能がなく、真摯にひとに対することもできないチキンだ。
「それが人生の処世術」とドヤる、あるいは「ハッピーオーラ満載でみんなを幸せに♡」偽善者によるマウンティング。いずれも人生訓なんて語ってほしくもない。薄っぺらくて響かないから。
そんなわたしにとって、なぜワンピースがど真ん中に響くのか。もうごくごく自然なこと。当たり前。
環境や他者のせいにして逃げず、信念をもって闘っている誰かのために闘う価値基準
ルフィ船長をはじめとした、信念をもって生きている登場人物たちの「私利私欲のために闘わない」姿勢が大好きだし、強く共感します。
そう、彼らが本気で憤り、本気で闘うと決めたとき、それはすべて「自分以外の誰かのため」。そしてその誰かは、もうその時点で「仲間」。相手の立場や生い立ち、貧富なんてもちろんいっさい問わず。
と同時に、これもやっぱり強く共感することですが、「自分なりの信念をもたず、現実から逃げてばかりで環境や他者のせいにして闘っていないヤツのためには指一本動かさない」。
たとえばルフィは、こうした人間がいくら「助けて」といっても「やだよ。お前がやれよ」でスタスタと歩いていってしまう。ところが、そいつの覚悟が決まって勇気を出して闘いだした瞬間、力強く手助けに走る。
コレも、わたしまさに同じ(笑)。
「助けてくれない冷たいヤツ」と、己の逃げ根性やこざかしさを盛大に棚にあげてdisる悪癖もち依存人間には一生わからない価値基準。立場に溺れて下にみて無駄な言動しくさるいらない悪影響垂れ流しお偉いさんも同様。
まさに「オマイラに使われてやる筋合いなんかどこにもねえんだよ、バーーーカ」ってなもんで(笑)。
甘ったれた生易しい綺麗事をみせないワンピースの世界に、多くの大人も本気で涙し笑う
誰もが厳しい生い立ちや現実を乗り越えながら、乗り越えるからこそ心から笑いあっている。決して甘ったれた生易しい綺麗事をみせない「ワンピース」。だからこそ、多くの大人も本気で涙し笑う。
久しぶりに読み返して「やっぱりいいな。最高だな」と感じることばかり。心から泣けて、心から笑える。それだけで幸せなこと。
そんなワンピースの世界観そのものが味わえる、大好きなセリフをピックアップしてみました。理屈いっさい抜きで楽しめるワンピースが、いくつになってもわたしは大好きです。
いまや世界中で愛される超大人気マンガ。まだ読んでいないひと、本気でわたしはオススメします。