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彼の姿がやけに目に焼きついて離れなくなったのは、ヤンチャを絵に描いた仕草と表情に惹かれたからだけではない。
あるとき、彼はわたしにとって、ひたすらに祈りすら抱かせる存在になった。「心の内にある願いを叶えさせてあげたい」と。
楽しげに笑い、おどけ、はしゃぐ姿を眺めながら、一緒になって笑うひとときを過ごしつつも、刹那的に訪れる慟哭に寄り添うように。
マルコ・ロイス。2016年5月31日、生誕27周年を祝して。
INDEX
- 混じりけがなく純度の高い稀有な瞬間に出会えたかのよう。マルコ・ロイスが抱かせる真摯な想い
- 「プライドとプライドのせめぎあい」が綺麗事になる瞬間。度重なるケガに見舞われる中でみせる姿
- 「一体どうしたらいいだろう」真剣に思い悩み、近しい存在に抱くそれと等しく、想いが伸びてゆく
- 「泣いてもいいよ。叫んでもいいよ。崩れ落ちそうなら、支えるから安心していいよ」
- ありのままを心から愛するひとがこの世にたくさんいる。どんな姿もいつも愛するひとがちゃんといる
- 痛みなら嫌というほど負いながらも、仲間を、チームを想う彼は、ボルシア・ドルトムントのエース
- 「心の内にある願いを叶えさせてあげたい」自然と祈りたくなる愛すべきエースが幸せでありますように
混じりけがなく純度の高い稀有な瞬間に出会えたかのよう。マルコ・ロイスが抱かせる真摯な想い
「天才肌」と、一言で片付けてしまう行為は、あまりにも滑稽だ。
はっきりとした意志をもってそう言いきれる彼のプレイスタイルは、彼の人生まで反映された繊細な光を絶えずまとっている。
混じりけがなく純度の高い稀有な瞬間に出会えたかのよう。そんな想いを真摯に抱かせる彼、マルコ・ロイスのプレイは、たいせつな宝物だ。自然と涙がこぼれるほどの。
ひとつひとつを決して見逃さないように。どうか壊れてしまわないように。いつしか心の奥底で、誰にともなく繰り返しながら。
「プライドとプライドのせめぎあい」が綺麗事になる瞬間。度重なるケガに見舞われる中でみせる姿
「フィールド上の格闘技」とも称されるサッカーを生業にするフットボーラーにとって、ケガは隣りあわせの存在といっても過言ではない。
下手をすると命の危険すら伴う肉体のぶつかりあいは、「プライドとプライドのせめぎあい」という表現すらも陳腐、あるいは現実離れに感じてしまう。とりわけ、マルコ・ロイスにおいては。
確かに、プライドをかけて闘うフィールド上において、彼、マルコ・ロイスも多くのフットボーラーと同様、そうだろう。ただし、彼の場合は、そんなある種の綺麗事では終わらない。
息が詰まるほど度重なるケガに見舞われ、心を折らないよう、想いを閉ざさないよう、幾度も幾度も、自身を奮い立たせながら、再び立ち上がり、走りつづける。
綺麗事で終わらせることができるのであれば、そうしたいのは山々だ。もしもわたしが彼の立場なら、そう吐き捨てたい瞬間が一度もないだなんて、逆立ちしたってありえない。
「一体どうしたらいいだろう」真剣に思い悩み、近しい存在に抱くそれと等しく、想いが伸びてゆく
わたしたちが知らないところで、きっと、彼はいつも闘っている。そんな姿をあえてみせようとしない彼は、その姿勢だけでも美しい人間だ。
ただし、それだけで「心の内にある願いを叶えさせてあげたい」とまで、祈るようにはならない。
冒頭に記した、やけに目に焼きついて離れなくなったという彼の姿は、いつもの明るい表情のそれとは違い、幾度となく襲うケガという不運に見舞われる中で、いつしか湛えるようになった憂いを帯びた顔。
こちらが泣きたくなるほどの心の内が見て取れて、いつのまにか目が離せなくなった。
「このひとの人生から、ケガという不運をすべて取り去るには、一体どうしたらいいだろう」
こんなに真剣に思い悩むようになったのは、間違いなく初めてだ。近しい存在に抱くそれと等しく、想いが伸びてゆく。ここまでフットボーラーにシンクロさせられるとは、思ってもみなかった。
「泣いてもいいよ。叫んでもいいよ。崩れ落ちそうなら、支えるから安心していいよ」
「泣いてもいいよ。叫んでもいいよ。崩れ落ちそうなら、支えるから安心していいよ」
彼が身近な友人なら、きっと、わたしは迷わずそう声をかけるだろう。
いや、ただただ黙って、つかず離れずの距離からそっと見守るかもしれない。
さりげなくそちらに視線と手を向け、「誰かの手をつかみたいときは、いつでも差し出していいよ。必ずその手をつかむから」と、静かに心の内で語りかけながら。
言葉は必要ない。むしろ、言葉が妨げになる。あらゆる想いを抱える人間という生き物だからこそ、そんな瞬間も存在することは、ひとつの真実だ。それが最大限の愛情として。
ありのままを心から愛するひとがこの世にたくさんいる。どんな姿もいつも愛するひとがちゃんといる
思うようにいかないこともある人生の中で、ときとして泣き、叫び、憤りを隠さないことは、人間らしいと思えてならない。
それを表に出す、出さないの違いはあれど、この世に生きるすべてが、真っ当に生きれば生きるほど、残酷な現実に対峙する。逃げたくても逃げられない、これほど残酷なことがあるだろうか。
それは、彼、マルコ・ロイスの姿を見守りつづけるようになって以降、片時も離れない想いだ。
だからこそ、決して忘れないでほしい、と願う。
「ありのままのあなたを心から愛するひとが、この世にたくさんいるよ。どんな姿のあなたでも、そのあなたのすべてをいつも愛するひとが、ちゃんといるから大丈夫だよ」
少なくとも、わたしはそのひとりだ。ずっと誓ってもいい。
痛みなら嫌というほど負いながらも、仲間を、チームを想う彼は、ボルシア・ドルトムントのエース
「痛みを負った分だけ、ひとは強く、優しくなるんだよ」だなんて、使い古された寒々しいセリフを引用したくもない。
痛みなら、きっと、誰よりも彼は嫌というほど負ってきている。それでもなお、仲間を想い、チームを想い、ひとつでも多くの勝利を目指すその姿に、強く強く、共鳴するのだ。
そんな彼だからこそ、誰にも文句は言わせない確固たる意志で、今日もわたしは言いきる。
「マルコ・ロイスは、ボルシア・ドルトムントのエースだ」と。彼の生まれ故郷でもあるドルトムントの街が誇る、Black & Yellowの。
「心の内にある願いを叶えさせてあげたい」自然と祈りたくなる愛すべきエースが幸せでありますように
今、彼の心の内にある願いは、なんだろう。間違いなくそのときどきで変化するものであり、それが自然だ。ただし、わたしが祈ることは変わらない。
「心の内にある願いを叶えさせてあげたい」
ヤンチャを絵に描いた仕草と表情とともに、憂いを帯びた顔をもつ彼の27歳の一年が、26歳を生きた一年より、どうか大いなる幸せな時間でありますように。
HAPPY 27th BIRTHDAY to MARCO REUS!!!!