Instagram/インスタグラム|世界は広いがひとつ!日本がさらに大好きになる世界観

Instagram/インスタグラムを久しぶりに立ち上げ、写真を投稿していますが、Instagramの良さをあらためて再確認しています。

世界中に利用者がいるInstagram/インスタグラムだからこそ、世界中のひとたちとどんどんつながれるこの快感。

なにより、このつながり感がたまらない。承認欲求を満たすためではなく、純粋にシンプルなコミュニケーションができる。

このワクワクする楽しさは、人間が本来求めている豊かさのひとつです。

お金で買えないものがある、まさにプライスレスってやつ!

言語を超えたつながり感は人間本来のあるべき本質

狭っ苦しいせせこましい視野の狭い人間や場所、輪が大の苦手なわたしにとって、英語がおぼつかなかろうが、そんなことおかまいなしにコミュニケーションとっていけば、どんどん広く広くつながれる、この開放感。

日本人のもっとも悪い側面……というと語弊がありますね。

正確に言うと、悪い側面全開に暴走している村社会住人の、「やたらと見てくればかり整え、自分はやりもしないくせに、他人様を批評・批判・見下す」。

それから、自分はやりもしないではなく、「自分がやっているからといって、無駄に他人様を批評・批判・見下す」もあり。

どちらにせよ、でーたーよーうざっ!……てやつですね(正直すぎるだろうわたしよ)。

そういった本気でどうでもよすぎるモノがいっさいない、たまらない心地良さ。

このつながり感。わたしのずっとたいせつなホームグラウンド。ずっとたいせつな本質で生きられる空間です。


インスタグラムで世界とつながることで、日本のよさを再確認

同時に、日本のよさも再確認しています。

「ここがツボにハマるんだー」「日本のこういうところが魅力なのね」など。

お互いの生まれ育った場所、生きている場所を尊重しあい、お互いがお互いのなかに「いいね!」を見つけあう関係性は最高に気持ちいいです。

もともと、昔からわたしは、日本人の無駄に自虐的なところが苦手……。

謙譲・尊敬・丁寧の精神は本当にたいせつだし、それこそ日本の誇るべきスピリッツだけれど、無駄な自虐なんかいらないじゃないですか。

不必要な自虐は、日本の美しい誇るべき謙譲・尊敬・丁寧じゃありません。

それって、減点採点方式の教育方針や文化の悪影響極まりないなあ、と。

自分が生まれ育った国を、土地を誇って、愛し続けてなにが悪いというんだろう?

とりわけ日本や海外に住んでいる日本人で、日本を馬鹿にして自虐的に見下して金儲けしたり、無駄なプライド満たす人たちのことを心底寒々しく感じているんですね。

卑怯者だなー。だったらとっとと国籍捨てたらいいじゃない(それな)。


SNSでマウント連発層は関わりたくない多くの人を巻き込む大迷惑

そもそもSNSをマウントのツールとしてしか利用できない承認欲求お化けな方々がとっても苦手ですw

「巻き込まないで」「興味ないから」と、心底嫌っている、あるいは無関心、よって一生関わりあいたくない人間たち(当然わたし含む……笑)は何度も伝えてきているわけです。あるいは無言の圧で訴えてきたわけでw

にもかかわらず、己を上げる目的で、無関係な人たちを無駄に巻き込み、暴走する大迷惑ぶりに拒否反応しかないのですよ。

そういうマウンティングさんたちや場所、輪が超無理!なわたしにとって、いとも簡単に「そんな世界にはわたしはいない。もっとずっとニュートラル」と飛び越えていける世界。

それが本来のInstagram/インスタグラムだなあ、と感じています。

徐々に承認欲求ツールの使い方をする痛い人らに侵食されつつありますが、そういう層とは相容れない人たちを巻き込まないでほしいっすよねー迷惑だから(心の声だだ漏れ)。


真っ当なコミュニケーションで日本と世界がさらに大好きになる

Instagram/インスタグラムを復活させて以降、ずっと変わらないスタンスや感覚、感性を再確認しているんですよね。

どういうことかというと、やっぱりひととは、真っ当に真正面からコミュニケーション=キャッチボールしていくのが、楽しいし、素晴らしいし、気持ちよい。

日本でだろうが、世界でだろうが、どこでだろうが。

つたない英語だって恥ずかしくないんですよ。

どうでもいい、くだらない、マウントお化けが大騒ぎしているところには、わたしは一生いない。今までも、今も、これからも。

言葉すら飛び越えるコミュニケートの世界に、わたしはいる。今までも、今も、これからも。

世界は広い。だけど。世界はひとつ。

そんな世界観が大好きな人たちと、これからもInstagram/インスタグラムを楽しんでいきたいです。