記事内に商品プロモーションを含む場合があります
全世界のテレビ視聴者数が約300億人にものぼる、オリンピックを凌ぐ世界最大のビッグコンテンツ、ワールドカップ。
1930年にウルグアイで開催された第1回大会から数えること21回目となる大会が、さる2018年6月14日、ロシアで幕を開けた。
世界中のサッカー関係者やメディア、ファンの多くが、時差や疲労、寝不足と格闘しながら仕事や勉強をこなし、熱狂する毎日を過ごしていることだろう。
かく言うわたしもそのひとりだ。
某放送局がサッカープログラムで連呼するキャッチフレーズ「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」が脳裏をかけめぐり、「選手や監督以上に“絶対に負けられない戦い”で疲労困憊なのはこっちこそだ……」などとブツクサ唱えつつ。
6月27日。そんなわたしが、ある現実に直面することになる。
ドイツ、グループリーグ敗退。
韓国に0-2で敗北を喫し、その瞬間、グループ最下位での今大会終了となった。
日本人のあいだで正当な評価をされてこなかった強豪国
気づけば長いこと、ドイツ人の友人知人が口を揃えて訴えてくる。
「もうさえこは日本人じゃなくてドイツ人でいいじゃない」「早く帰化しようよ。正式にドイツ人になろう」
奇妙な団体の勧誘を想起させる意味のわからない熱いパッションとともに延々口説かれるほど、ドイツサッカーサポーターとして長年ドイツを見守ってきた。
日本人のあいだで、ようやくこんな声が聞かれるようになった今日この頃。
ドイツサッカーへの日本人の声
- ドイツって強いね
なのに上から目線で無知を晒しながら偉そうにほざきやがるのはどういうことだと小一時間ほど問い詰めたい - ドイツには日本人選手が多いのはうれしいね
なのに無駄にブンデスリーガをdisりながら小馬鹿にするのはどういうことだと小一時間ほど問い詰めたい
昔からドイツは日本人サッカーファンに正当な評価をされてこなかった強豪国だ。前回大会優勝国であり、UEFA欧州選手権の最多出場かつ最多優勝国にもかかわらず。
そしてそれは、現在でもなにひとつ変わらない。
日本人の彼らとの愉快な攻防戦よろしく、「“スペイン褒めてドイツdisっとけばサッカーわかったフリ”が演じられるだなんて恥ずかしすぎる勘違い晒してんじゃねえぞゴルア!」を、“ぶぶ漬け食ってけ”に等しく言い換え、コントを思わせる掛け合いはお手の物である。
ドイツサッカーへの日本人の本音
- つまらないサッカー
「堅実なサッカー」と認識をあらためろゴルア! - 固すぎて華やかさがない
「質実剛健」と認識をあらためろゴルア! - 選手も監督もあまり笑わないし冗談言ったら殺されそう
「笑顔の安売りをしないギャップ萌え男子」と認識をあらためろゴルア! - ガタイがでかくて見た目からして怖い
「気は優しくて力持ち」と認識をあらためろゴルア! - 試合後を中心に失言が多すぎる
「負けず嫌いの正直者のうっかりさん軍団」と認識をあらためろゴルア!
「見事な変換芸……!」と感嘆された「ドイツの魅力を知ってもらおう活動」の足を引っ張ってくれる当の本人たちのやらかしに頭を抱えつつも、それでも嫌いになれない。
わたしに言わせたら、ドイツはなんとも不思議な国である。魅惑のワンダーランドだ。
ドイツ史上初のグループリーグ敗退という現実
そのドイツが早くも大会を去ることになった。ドイツ史上初のグループリーグ敗退というおまけ付きで。
あえて史上初に注目してほしい。ドイツがこれまで盤石なサッカー大国の名をほしいままにしてきた証だ。
ドイツの最大の売りといえば、古くから精密機械を思わせる組織プレイ。つまり強さと団結が象徴の国として、強固な地盤を築きあげてきたのがドイツである。
サッカーは集団の競技である以上、どれだけ個の力が優れていようが、ひとりひとりが好き勝手なプレイをしては勝利をつかみとることはできない。
すべての鍵は、いかにチームとして成熟できるか。個人のエゴが勝っては結果を手にすることなど到底できない厳しさを誰よりも知っているのは、ドイツの魅力と言ってもいい。
にもかかわらず、今大会でそこに広がっていたのは、“類まれな個の力”で彩る“盤石な組織”がもろくも崩れ去る光景だった。
現実は残酷である。なぜなら、今回のドイツには“盤石な組織”が存在しなかったのだから。
組織プレイで強固な地盤を築いた国がもろくも崩れた光景
戦術論や組織論は、サッカー経験者でもないし専門家にまかせたい。わたし自身もそれに耳を傾けるのが楽しみでもある。「なんでも知った顔の驕りは絶対に持ちたくない」というのが、幼少期から譲れないスタンスのひとつだ。
そんなわたしの目にとまるのは、個々の感情の揺らぎをはじめとしたメンタル面である。
今回のドイツは、チームとして試合をしていなかった。目もあてられないほど。チグハグでバラバラで、エゴが勝っていた側面も無きにしもあらず。その姿が信じられなかった。
「一体どこを目指しているんだろう?」「このチームはどうなってしまったんだろう?」
疑問だらけどころかヒヤリとした瞬間は一度や二度ではない。加えて、もともとドイツの悪癖のひとつだった、劣勢時の焦燥感や意気消沈ぶりが過度に目立った。
「どうしたの?!がんばれ!」「まだ時間あるよ!最後まで走ろう!」
テレビ画面に向かって声を枯らしながら鼓舞し続け、迎えたあの瞬間。
グループリーグ第二節のスウェーデン戦の大逆転劇を、格下といわれた韓国相手に起こすことができなかった彼らを前にして、言葉が見つからなかった。
前回大会優勝国のジンクスを破ることができない答え
今回のドイツのグループリーグ敗退は、「前回大会優勝国は決勝トーナメントに進めない」という、近年の大会のジンクスを破れなかったことも意味する。
この裏にひそむ答えはなんだろう?
幾度となく反芻した問いへの回答として、圧倒的な成功をおさめた人間ほど堕ちやすいダークサイドを指し示している気がしてならない。
驕り、ではないだろうか。
思い返せば前回大会、わたしはドイツのある言動、行動に、ガッカリどころではない失望を覚えた。準優勝国のアルゼンチンへの差別行為を優勝記念のステージ上で披露したことだ。
当然のことながら世界中からバッシングされ、反省の弁を述べることになったわけだが、ドイツがなかなか克服できない闇を公に露呈した格好となり、なんとも言えない苦々しさを味わったことをいまでもよく覚えている。
同大会では歴史的大勝を果たした相手、ブラジルを揶揄した事実もあり、そして今大会では残念なことに、メキシコ、スウェーデン、韓国を舐めた闘い方や言動が目立ってしまった。
「なにが優勝国だ!誇り高き王者として振る舞いなさいよ!」
わたしが怒り心頭だったのは言うまでもない。
王者とは強く優しくあらねばならぬ。そんな気高い姿勢に、勝利の女神は微笑み続けるのだ。
その真意が近年の結果に反映されている。イタリアもスペインも、他者の命や人権を毀損させる言動、行動が物悲しい。
そろそろ真実と向き合うべきだ。サッカー人以前に、人として生きたいのであれば。
惨敗したドイツが迎える初めての大きな転換期
ドイツはいま、初めての大きな転換期を迎えている。史上初の惨敗とも呼べる結果が出てしまった以上、転換せざるを得ないと言い換えてもいい。
それはきっと、試合で勝利するよりずっとむずかしく、だからこそ尊い挑戦だろう。
ドイツ最大の弱点は、実はメンタル的に劣勢に弱いこと。
逆境に強いのが持ち味のようで、長年強豪国として名を馳せてきているせいか、ちょっとでも弱い立場に追い込まれると途端に焦りと不安で潰れそうな心情をあらわにする。
「まーたお通夜はじめてる!まだ死んでないよ!生きてるんだからがんばれ!」
もう何十年も、励ますように何度繰り返したことだろう。そういうときのドイツ人は決まって、図体ばかり大きな幼い子どものようだ。選手も、サポーターも。
その姿がたまらなく愛おしい。
そう、わたしにとって、情けないだなんて思えない。これ以上もなく、愛おしいのだ。
そしてその愛情は、広島カープへのそれととてもよく似ている。
ドイツがお手本にすべき広島カープの持ち味
サッカー界でドイツを愛するのと同じように、野球界では広島カープとともに生きてきた個人的な視点で眺めたとき、両者に共通するものが浮かびあがってくる。
愚直に邁進するなかで、人気も実力も、少しずつ積みあげてきたプロセスである。
「判官びいき」「派手さを好まない」傾向をもつわたしは、誰になにを言われようとひたすら我が道を行く人間が好きだ。華やかに着飾り微笑むのではなく、泥だらけになりながら見せる凛々しい笑顔を愛している。
とはいえ、ドイツと広島カープでは歩んできた道やスタイルは多少異なる。そしてこの違いこそ、サッカー大国ドイツ復活の手がかりになると思えてならない。
ドイツがいま、お手本にすべきなのは広島カープではないだろうか。なぜなら、ドイツが持ち合わせていないたくましさこそ、広島カープの持ち味だからだ。
【広島カープ復活の舞台裏】黒田博樹・新井貴浩が紡いだ物語|あの日のことは一生忘れない
優勝後に暗黒時代へと突入し、閑古鳥が鳴く球場で、来る日も来る日も負け試合に打ちひしがれ、それでも決して諦めなかった選手とファンがいた。
その結果、原爆にも屈しなかった広島を象徴する市民球団は、常勝チームへと変貌を遂げた。
ドイツにいま、求められているのは、華やかな復活ではない。
どれだけみっともなくあがけるか?その誰にも負けない確固たる覚悟が持てるか?
そしてその覚悟は、選手や関係者だけが持たなければならないものではない。ファン、もっと言うなればサッカーが国技に等しい国の代表チームである以上、ドイツ国民のひとりひとりが持つべきなのだ。
どんなときでも見放さず、ともに生きる覚悟を持つ勇気
ドイツ史上初の惨敗という結果に、嘆き悲しみ、ドイツへの熱が冷めてしまったファンも少なくない。他国の人間は致し方ない部分はあるだろうが、ドイツ国内でも非難や罵倒が続いていると聞く。
では、わたしは?というと。
コトコト煮込んだスープがそう簡単には冷めないように、長い時間をかけ熟成された想いは、とうの昔に昇華し、心のど真ん中でどっしりと構えている。
もともと目先の勝敗でびくともしない人間だけに、「たかだか負けたくらいでガタガタ騒ぐな」が信条だ。
それより、「差別思想や、サッカー界に蔓延するくだらない人権侵害投稿をいい加減にやめなさい!見苦しいわ!」。
こっちのほうが比較にならないほど大問題だ。激おこプンプンどころか片っ端から説教したい気分である。
さておき、ドイツ人にあえて問いたい。少し立ち止まって考えてみてほしい。
「強いことは当たり前だろうか?」
「勝つことは簡単だろうか?」
「この世に安易に手に入るものなどあるだろうか?」
答えはすべて、否、だ。
そしてもうひとつ。
「他者に身勝手に期待を寄せるのは、ある種の傲慢だということに気づいているだろうか?」
日本人の悪い癖としてもあげられるが、自分はやりもしないくせに、他者に期待をのせ、それが夢だの、あなたのことを思って進言しているだの、これほど傲慢で醜悪なものはない。
それはあなたの人生ではない、その人の人生だ。
もし期待をかけ、夢をみたいなら、どんなときでも決して見放さず、ともに生きる覚悟がなければ、てんでお話にならないのである。
持つべきなのは、裏切られたとばかりに一方的に傷ついたかのピントのずれた錯覚に陥り、代表チームを中傷する弱さではない。自国を代表し勇敢に闘った代表チームと、いついかなるときでも心中する勇気だ。
もちろんこれは選手側にも言えることとして覚えておいてほしい。
サッカー界に蔓延する悪癖を筆頭に、他者へのマイナスの関わり方や悪影響の巻き散らかしを容赦なく断罪するのは、他者をコントロールできると思いあがった最底辺の愚鈍なクズのやらかしに過ぎないからだ。
いつでも応援されることが当たり前だなんてうぬぼれを捨て、応援側に敬意と誠意と愛情を持つ。
自分はなぜ生きていられるのか?自分は誰に支えられているのか?
根本理念を見失った選手に、ピッチに立つ資格はない。その存在は、ネガティブな影響力だけ擁した悪しき兵器に等しい、とくれぐれも心してほしい。
失敗の連続の果てに成功をつかみとるサッカーの本質
人はやり直せる。何度だって。いくつになったって。
失敗は誰にでもある。人が生きるうえで、失敗や後悔に直面したことがないだなんてありえない。
「失敗や後悔でぐちゃぐちゃになった自分自身と否が応でも向き合ったことがない」「そんな経験なんて一度もしたことがないし馬鹿げている」
そんなふうに斜に構えながらせせら笑える人間がいるだろうか?
いや、確かに万国共通で、こうした妙な勘違いを披露する人間は残念ながら少なくない。“失敗は恥ずかしい症候群”の重症患者だ。
ただし、この手の類は笑って捨ておけばいいだけである。
なぜなら、そうした人間は「自分の人生は大したことがないどころか、精一杯生きたことがなく、他者の揚げ足を取り、批判をして息をするしか能がない小者だ」と喧伝しているに過ぎないのだから。
そんな人間が、誰に対して深い理解を寄せられるというのだろう?誰とともに喜びあえるというのだろう?
ましてサッカーは失敗の連続の果てに成功をつかみとる競技だ。ぶつかりあい、泥だらけになりながら、汗と涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭う暇もなく、貪欲にゴールを目指し、死にものぐるいでゴールを守る。
歓喜と絶望が手を携え、そのあいだを行ったり来たりを繰り返す。選手も、サポーターも。
全員でともに闘い、全員でともに悲しみ、全員でともに喜ぶ。
それは人生そのものだ。
だからこそ、わたしは声を大にして伝えたい。
挫折や失敗から這いあがろうとする姿を笑われたっていいじゃないか。
一生懸命を笑う人間は、苦汁をなめたことがない安堵と引き換えに、このうえない幸福の境地にたどりついたこともないのだから。本気で人と愛しあう幸せを知らない寂しい人間でもある。
意地悪な面構えでお門違いな牽制をしてくる些末なそれらは、いっさい相手にしなければいいだけのことだ。
まっすぐに、謙虚に、愚直に。がんばろう、ドイツ。
史上初の大惨事とも酷評される姿を曝け出されても、彼らに対する想いはなにひとつも変わらない。
史上初の大惨事とも酷評される姿を曝け出されたからこそ、あらためて気づいた気持ちがくすぐったくて思わず笑ってしまう。
だってあのとき、強いから、勝てるから、ドイツを好きになったわけじゃないんだ。ただただ、ドイツを好きになったんだ、と。
そういえば、グループリーグ第一節のメキシコ戦で敗れた後、こんなツイートをしていた。
1敗。ただそれだけ。これで世界が終わるわけじゃない。きちんと反省。ちゃんと修正。焦りや苛立ちにさよならして、前を向き再び闘う。頭は冷静に、心は熱く。これまで幾度も繰り返してきたそれができれば、ドイツに後退はない。いままでも、これからも。がんばろう、ドイツ。
どん底から這いあがる格別な快感を知っている人間ほど、いまの状況は反撃の狼煙をあげる格好の舞台に立ったと気づいているはずだ。
何度でも宣言したい。
これで世界が終わるわけじゃない。きちんと反省。ちゃんと修正。焦りや苛立ちにさよならして、前を向き再び闘う。頭は冷静に、心は熱く。これまで幾度も繰り返してきたそれができれば、ドイツに後退はない。
そう、いままでも、これからも。
まっすぐに、謙虚に、愚直に。
あがこう、叫ぼう、走ろう。
がんばろう、ドイツ。
Ich mag dich. Viel Glück!!