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639日。1年9ヶ月。
にわかにピンとこないその月日の長さは、途方もない闘いの重さを物語っているようで、瞬時に言葉が見つからない。
タッチライン際にゆっくりと姿を現した刹那、見守るすべてにそんな戸惑いすら与えたそのひとは、確かにピッチに帰ってきました。
長い長い苦闘を終え、わずかながらの安堵の表情を浮かべながらも、新たな闘いへと踏み出す覚悟を決めた凛々しい顔つきで。
ウッチー。ウシー。あっちゃん。あつとくん。あつと。
いずれの呼び名であっても、心からの愛情と親しみとともに敬愛されている彼を、万雷の拍手が包んだあの瞬間。きっといつまでも忘れないでしょう。
内田篤人、639日の激闘に打ち勝ち、ついに復活。
あらためて尊敬の念がわいた「内田篤人はすごい」と同時に「やっぱり“らしい”な」
ほぼ2歳近く年を重ねる年月。しかもサッカー選手にとって、もっとも脂がのるといわれる27歳~28歳時。そのたいせつな時期にピッチから離れざるを得なくなってしまった。
言葉ではサラリと記せるかもしれないけれど、その現実はあまりにも重い。悔しいという一言でも表現しきれないし、後悔がまったくないだなんて誰の目にもウソだとわかる。
とりわけ彼の場合、クラブチームと代表チームのすべてで無理をきかせながら走る生活をつづけ、治療方針として手術の選択、その後の長いリハビリ生活で良好と悪化の揺り戻しの連続。
逃げ出したくなる瞬間がなかっただなんて、「本当にこれでよかったのか?間違っていなかったのか?」と自身を責めることがなかっただなんて、とてもじゃないけれど言えない。
それでも、帰ってきました。間違いなく、そこに。
本当はうまく言葉になんてしてはいけないし、どんな言葉も違うと感じてしまう。病や怪我と闘う孤独がどれほどのものか、少なからず人生上、身にしみて知っているからこそ。
ただ、あらためて尊敬しています。純粋に。「内田篤人はすごい」と。
と同時に、「やっぱり“らしい”な」とも。
怪我を負った自身をいっさいなにひとつも肯定しなかった。内田篤人の凄みはここにある
「やっぱり“らしい”な」というのは、もちろん軽々しく感じたことではなく、復帰試合後のインタビューを目にして。
怪我を負ったアスリートほど、「怪我をしたからこそ得たものがある」「とてもポジティブ」と語る傾向があり、自身を肯定する意味でも人間心理として自然な姿だと捉えられています。
ところが、彼、内田篤人は違いました。
「自分で怪我をして、自分で長引かせて。本当に無駄な1年9ヶ月だった」
理由は「サッカー選手として一番いいときの大事な時間を捨ててしまったんだから。これからそれを取り返す」。淡々と、なんの迷いもなく。
日本人男性アスリートにおいて、ルックスだけみれば、もっとも“優男”の部類と囁かれるにも関わらず、「本当にとんだ食わせ者だわ」となぜだか笑いまで漏れてしまったほど。
「やっぱり“らしい”な」はイコール「このひとはやっぱり“骨太”だな」。
自分だけのことには無頓着な人間が馬力を発揮する「他者のために生きる」こと
小奇麗で端正な顔立ちからはにわかに想像できないほど、ちょっと不器用で、無骨で男臭い。クールな印象をみせながらも、情に厚く人間想いで、神経質とは明らかに異なる細やかさをみせる。
ひとつまた、あらためて気づいたことがあります。
「このひとはやっぱり“他者のために生きるひと”なんだな」と。
無理ばかりする困ったところがありながらも、無理をきかせるのはいつも他者のため。自分だけのことにはとんと無頓着で、一体どこからその馬力がわいてくるんだろう?と不思議なほど。
褒められたり、情の厚さなどウィットな側面を指摘されると、照れくさそうにごまかしたり、わざとそっけなくかわしてみたり、かと思いきゃ真剣に語りつづけてみたり。
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表面的な表情やパーソナリティからは理解されないけれど、彼自身が心酔し、尊敬する憧れの存在、小笠原満男先輩にそっくりです。「鹿島アントラーズ入団も必然」と、またしても実感させられつつ。
なにより驚かされたシャルケのサポート姿勢。日本人を幸せな気持ちにさせる異例づくし
選手としての実力もさることながら、こうしたパーソナリティだからこそ、所属クラブチームのシャルケの姿勢も固めさせたんだろうな、と感じています。
639日、1年9ヶ月もの長期離脱。ドイツ国籍ではないアジア圏の外国人選手。
ありえない。もともとブンデスリーガは他国リーグに比べ、自国のドイツ人選手を最優先にする傾向が強いことに加え、シャルケというチームは選手放出をするときは躊躇なく実行するチーム。
一般のビジネス社会でもこれだけ長い期間働けない人材だと辞めざるを得ない状況になることが多いにも関わらず、「アツトが必要だ」「復帰へのサポートは変わらず行っていくし、我々は待っている」の繰り返し。
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シャルケ、そしてドイツの新たな一面にも驚かされました。驚かされながらも、「本当に気に入った存在に対しては徹底的に特別扱いをする」のはドイツらしさだったな、と思い出しながら。
日本人がこれほど現地で愛されている事実は幸せなこと。相思相愛の関係性。きっと周囲が思う以上に、当の本人が決めているであろう「恩を返そう」。再発に気をつけて、と願いながら、武運を祈ります。
なにげなく記したい「おかえり、ウッチー」。悲壮感で留まるだなんて、誰もが似合わない
内田ファンから熱狂的な「またウッチー書いてくれ」コールを異常なほど(笑)連発されながらも、ささやかながらの願掛けと、ひっそりと見守りたかったこともあり、ずっと封印していた「題材:内田篤人」。
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個人的に、今、とても幸せです。「題材:内田篤人」は、いつだって楽しいたいせつなものだから。冗談抜きで、筆が進むどころじゃない。次から次へと、あふれだしてくる。
「おかえり、ウッチー」。乗り越えた苦闘の日々を慮ると、本当はそんな軽い言葉ではいけないのかもしれない。
それでも、あえて、「おかえり、ウッチー」と記したい。努めてなにげなく。
だってもう、走りだしているのだから。悲壮感をまといながら留まるだなんて、本人も、周囲も、誰もが似合わない。