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「右膝の状態はどうだろうか?」
気づけばいつしか、そんなふうに慮りながら活躍を祈るようになっていた。
メディアを通じてではあるが、そのなかで理解してきた彼のパーソナリティを考えると、本当はそうした気遣われ方ですら、どこかもどかしさを感じるかもしれないことは承知ではあったが。
それでも祈らずにはいられなかった。
身を切り刻む痛みに苦悩し、出口が見えない暗闇でもがき、こらえきれず涙を流す日々を送りながらも、這い上がることを諦めなかったサッカー人生を知るがゆえに。
後に当の本人が、いつものひょうひょうとした口調で語ったリハビリ期間の舞台裏は、強靭な精神の持ち主だからこそ真実味を帯び、我が事のように憂いながら心を鷲掴みにされた人が後を絶たなかった。
いつだって多くを語らず、口にする際にはどこか他人事として。
だからだろうか。悔しさや惜別の念以上に、なぜだかなんともいえない安堵とともにその一報を受け取ることになった。
「ああ、もうこれ以上、彼は苦しむことはないんだ」と。
2020年8月20日(木)、内田篤人、現役引退を発表。
内田篤人、現役引退。涙ながらに語る日本中の光景
画像出典:LEGENDS STADIUM
その速報が日本中を駆け巡ったのは、昨日の夕方のこと。所属クラブチームの鹿島アントラーズが公式SNSなどでおこなった発表と同時に、各メディアでも一斉に報道された。
一般的なサッカー選手の現役引退年齢を考えると、32歳での決断は確かに早い。そのため、多くが驚きの声をあげると同時に、涙ながらにやりきれない本音を口々に語る様子が印象的だった。
そんな日本中の光景を、彼も当然知っているはずだ。
そしてきっと、照れくさそうに笑っているのではないだろうか。
内田篤人という人は、いつだってそうだった。
“実力派の大人気サッカー選手”などという巷の評価に対し、ありがたいと感謝しながらも、なんとはなしに居心地が悪そうで。
そうした飾らない人柄も、確固たる実力とともに彼が愛される理由のひとつだったことは言わずもがなである。
内田篤人が笑い周りが惜別で泣くサッカー人生の終焉
画像出典:ゲキサカ
サッカー人生の幕を下ろすことは、誤解を恐れずに言えばその人生の終焉を意味する……つまり死を迎えたのと等しい。
その際、個人的に必ず思い起こすのがネイティブアメリカンの教えだ。
あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい。
振り返って、内田篤人のサッカー人生はどうだろうか。
彼がプロサッカー選手としてキャリアをスタートさせたのは、現在所属する鹿島アントラーズだ。キャリアの始まりと終わりが同一クラブであることも内田篤人らしいといえる。
プロ入り時、同クラブを率いていたのはパウロ・アウトゥオリ。その指揮官に高く評価され、Jリーグ開幕戦でクラブ史上初となる高卒ルーキーでのスタメン出場を果たすという、日本人サッカー選手の誰もが羨むデビューを飾っている。
だがその一方、体質やプレイスタイルで酷評されることも少なくなく、なかなか思うようにいかない苦々しさを味わっていた。
そこで屈しなかったのが内田篤人の真骨頂でもある。
内心では泣きたくなることも多かっただろう現実にもめげず、ひたすら研鑽を積んでいたのが当時の彼だ。そうしてひとつひとつの声を少しずつ覆し、伝統的に守備を重視するサッカー大国ドイツに渡るまでに成長した。
本国ドイツのFCシャルケ04でも目覚ましい活躍を続け、いまでも多くのシャルカーから熱く支持されていることは日本人サッカーファンのあいだでもお馴染みだ。愚直なスタイルの彼だからこそ、質実剛健で堅実さを重んじるドイツで受け入れられたともいえるだろう。
そして死を迎えることになった現在、きっと笑っているだろう彼とは対象的に、日本でもドイツでもみんな声をあげながら泣いている。
これ以上に幸せな人生があるだろうか。確かにサッカー選手としては短い生涯だったかもしれないが、間違いなく内田篤人は幸せ者だ。
短い生涯でも内田篤人以上に幸せなサッカー人生はない
画像出典:ゲキサカ
内田篤人の実力と人気が本物だったことをあらためて確信したのは、現所属クラブの鹿島アントラーズの発表を受け、ほどなくしてドイツの古豪シャルケが公式SNSでおくったエールだ。
ほぼ同じタイミングと言っても過言ではないスピード感で届けられたそのメッセージには、前述の“いまでも多くのシャルカーから熱く支持されている”事実を裏付ける本国ドイツの想いがたっぷりと込められていた。
日本以上に、貢献した人物を長く、高く評価する傾向を持つ成熟したドイツで、サッカー後進国からたったひとりでやってきた日本人がここまで愛されるのは奇跡でもある。
伝統的な守備大国かつ体格のいい人材が揃うドイツにおいて、ひときわ小柄で、しかも日本人のディフェンダーが活躍できたのは極めて稀だからだ。
その裏に存在したのは、彼自身の不断の努力と熱意に加え、類まれな才能、そして“人たらし”とも称される愛嬌のあるチャーミングな人間性と、異国のチームを守り続けた在り方。
目が肥えたサッカー大国のドイツ人がそれらを見抜けないわけがない。彼らのお眼鏡にかない、入団と同時にまたたく間に人気者になった内田篤人の真髄は、むしろシャルケにこそあると思えてならないほどだ。
だからこそ、何度でも伝えたい。
彼が死を迎えることになった現在、恐らく笑っているだろう彼とは対象的に、日本でもドイツでもみんなが声をあげながら泣いているのだ。
これ以上に幸せな人生なんてあるものか。サッカー選手としては短い生涯だったと言えるかもしれないが、間違いなく内田篤人は誰よりも幸せ者なのだ。
「大怪我がなければ」はサッカー人生の否定でもあり
画像出典:ゲキサカ
早い段階で選手生活にピリオドを打つに至った要因についても触れておこう。
内田篤人のサッカー人生は、数奇な運命に翻弄された側面もあるのかもしれない。
度重なる怪我との闘い。にもかかわらず、悶絶するほどの痛みを抱えようが走り続け、苦悶を悟られないよう努める高い精神性。
そんな姿を誰もが目にしてきたからだろうか、内田篤人を評する際に必ず付け加えられる言葉がある。
「あの大怪我がなければ」
確かに同意ではある。それでも、わたしはあえて異を唱えたい。
選手生命を縮めるであろう怪我を負ってでもプロセスと結果を追い求めたのは、彼が己のサッカー人生に覚悟を持って生きた証だ。
その是非や正誤を彼以外の人間がたやすく判断するだなんて、できようわけもない。たとえ同業者であっても、だ。
彼の才能や実力、努力や熱意を知るからこそ、悔しさや寂しさからそうした結論を想起し、ついついこぼれ出てくる気持ちはわかる。
だが、その行為は彼に対して無礼でもある。なぜなら、彼、内田篤人のサッカー人生を否定することになるのだから。
当人が後悔を口にするのと、周囲がそうするのとでは、天と地以上の差がある。その本質にどうか気づいてほしいと願ってやまない。
それよりただただ讃えようではないか。内田篤人が世界中に示した誉れ高いサッカー人生を。
怪我があろうがなかろうが、彼のサッカー選手としての価値は揺らぐことはない。それだけで十分のはずだ。それ以上に必要なものなどなにひとつ存在しない。もうそれでいい。
内田篤人以上の右サイドバックはもう二度と出てこない
画像出典:ゲキサカ
引退の報に触れ、とめどなく想いがあふれ、言葉を紡ぎたくなるスポーツ選手は、実はそう多くはない。
内田篤人の選手生活は、見る者にサッカーの悲喜こもごもを体感させるとともに、本来移ろいやすい人々の心を掴んで離さない人間性の重要さをも指し示したといえる。
日本とドイツのサッカー界をそれぞれ象徴する名門クラブの鹿島アントラーズ・FCシャルケ04、国を代表して闘うナショナルチーム。
そのすべてで活躍した内田篤人は、いつだって右サイドバックで羅針盤として在り続けた。多くを語るのではなく、その身ひとつでただただ訴えていた。
ラストマッチとなる23日(日)のガンバ大阪戦を終えた瞬間、彼はそのサッカー人生に幕を下ろす。もうその姿が見れなくなることは、確かに寂しい。
それでも、これまでの労をねぎらいながら拍手で送り出したい清々しさで満ちているのも、また事実だ。
これから彼はどんな人生を過ごすのだろう。そうした楽しみや高揚感を味わわせてくれるのも内田篤人ならではと言えるかもしれない。
己の身を削りながら闘い続けた日々の影響は少なくないはずだ。まずは心身ともにゆっくりと休んでほしいと願いつつ。
そしてもちろん、大いなる感謝と、これからの道のりへのエールを込めて。
ウッチー、本当にお疲れさま。
痛みと怪我と闘いながら、幾度も這い上がり走り続けたあなたの凛々しい勇姿は、一生忘れない。
あなた以上の右サイドバックはもう二度と出てこない。そう思わせる選手人生を見せてくれて、本当にどうもありがとう。