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サッカー日本代表がドイツW杯で惨敗した結果を受け、三顧の礼をもって代表監督に就任したそのひとは、厳格ながらも驚くほどチャーミングで、誰よりも揺るがぬ強い意志をもち、誰よりも謙虚で熱心な勉強家。
指揮官自らこれほど走り続ける姿を見せられたら、誰もが自然と呼応するように先を見据え走り続ける。そんな前向きな感性であふれかえっていたあの日の代表チーム。
聡明な瞳は、いつもわたしたちとともにありました。
そのひとの名は、イビチャ・オシム。
本当のたいせつさをも指し示し、静かに魅せ続けてくれるひと。【このこえがきこえますか】on sakura+web
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岩隈選手のノーヒットノーランの快挙を取り上げた前回エントリーにて、「sakura+web」の移管作業を再開したことは記したばかり。
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先ほど移管したエントリーは、わたしにとって本当に大事なエントリー。
フットボール界で誰よりも尊敬する存在、イビチャ・オシムが、あの日、突然の病に倒れ、昏睡状態に陥った最中、願いにも祈りにも似た渾身の魂をこめつづったもの。
「つづった」という表現がもはや正しくないほど、自然と自分の中から溢れでて、力強く紡ぎだされた想いです。
イビチャ・オシムのファイターとしてのスピリッツ・メンタリティは裏切らない本物の強さ
五体満足での生還を果たす確率が非常に低かったことから、誰もが絶望に似た想いを抱きながら、必死に願い、祈ったあの日。
ところが、イビチャ・オシムはいつもわたしたちとともにあったように、わたしたちを裏切ることはありませんでした。
確率の低さをものともしないファイターとしてのスピリッツ・メンタリティは、同郷出身の現監督バヒド・ハリルホジッチと同じく、二度と繰り返してはいけない陰惨な内戦すらも乗り越えた本物の強さ。
マネをしようとしてもマネができない、一過性が偽りであることが簡単に晒され、そのひとが本物であることを、あの日あのとき、その身ひとつで証明してくれました。
奇跡的な光景を目にしたあの日、たくさんの想いがひとつになり、純粋な願いと祈りはさらに強く
「この声が聴こえますか」と語りかけ続けたのは、誰に頼まれたからでも、誰にやらされたからでもなく、自分の人生において、全身全霊でリスペクトする師に対する尊い想いと等しい。
当時、このエントリーをアップした数日後に行われた代表戦の観客席に掲げられたいくつもの横断幕に、「オシム、この声が聴こえるか。オレたちは共に闘っている。オレたちは待っている」という文字が踊っていたこと。
奇跡的なその光景に目を疑いながらも、偶然とも必然ともいえるその事実は、自分が発端になったかもしれないことを声高に喧伝する気持ちなどいっさいまったくなく。
たくさんの想いがひとつになったことが勇気へと変わり、純粋な願いと祈りがさらに強くなりました。
ただただ、生還してほしい。どんな姿でもいいから。すべてがあなたを待っている、と。
本物の「美」をまとって力強く復活したイビチャ・オシムは、そっと静かにともにある灯火
あの日、復活を果たしたイビチャ・オシムの姿が、本物の「美」をまとっていたことはいうまでもありません。
表層的なそれにとらわれ、焦燥感の権化と化す忌まわしい人間には、一生辿りつけない境地にいました。
そして、それは、今でもずっと変わっていません。
イビチャ・オシムは、その佇まい、ただそれだけで、目を覆いたくなるきらびやかな輝きではなく、そっとひとびとを照らし続け、そっと静かにともにある灯火そのものです。
誰よりも日本フットボール界を愛し、尽力し続けた本物ゆえの証。聡明な瞳が静かに輝き続けますように
今も変わらずフットボール界に身を置くそのひとは、誰よりもフットボールを愛し、誰よりもフットボールの発展に熱心な気高い精神の持ち主。
今でも、「この声が聴こえますか」と語りかけると、確かに応えてくれるそのワケは、誰よりも日本フットボール界を愛し、誰よりも尽力し続けた本物ゆえの証。
この先も、妥協を知らない聡明な瞳が、静かに輝き続けますように。
これからもその瞳が、日本とともにある確信を覚えながら。
親愛なるイビチャ・オシムへ。