内田篤人28歳&マヌエル・ノイアー30歳|日本を救い支えになった奇跡のメッセージ

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地と被災者へのエールを記したメッセージシャツを着た、翌3月12日開催のドイツでの試合後の内田篤人と、テレビカメラの前にエスコートするマヌエル・ノイアー

2011年3月11日。

鮮明な記憶として脳裏に焼き付き離れない人がほとんどだろう。なぜなら、わたしたちが日本人だからだ。

あの日、わたしたちが暮らすこの島国を、その抗いようのない耐えがたい深い闇が覆った。

されど、その翌日の“ある出来事”を覚えている人は、果たしてどれくらいいるだろうか?

2011年3月12日。

涙を流したサッカーファンは少なくないだろう。わたしはそうだ。そしてあの日以来、心に誓ったことがある。

「この人をずっと応援していこう」と。

内田篤人、マヌエル・ノイアー。

年齢はわずかに違えど、奇しくも同じ日に産声をあげた縁深い同士。

2016年3月27日、生誕28周年・30周年をそれぞれ祝して。


この記事はこんな人におすすめ
  • 内田篤人が好きな人
  • マヌエル・ノイアーが好きな人
  • 内田篤人とマヌエル・ノイアーの東日本大震災時の真実が知りたい人

2011年3月11日。日本の歴史の1ページに影を落とした東日本大震災

ドイツ・ブンデスリーガのシャルケの試合中に好プレイを見せる親友同士の内田篤人とマヌエル・ノイアー

2011年3月11日。

忘れたくても忘れられない日として、この国の歴史の1ページに影を落としたのは、そう、東日本大震災。

震源地から離れた東京でも平静ではいられないほど大きく揺れ、交通網は軒並みストップ。

大混乱のなか、街はこれまで映画で描かれてきた異様で不気味な光景に包まれ、誰もが危機感で身をこわばらせた1日だった。

なにが起こったのかと取り乱すわたしたちの眼前に次々と届けられたのは、現地東北の映像。否応なしにそれらを突きつけられ、疑い、言葉をなくしたあの日。

“想像を絶する”という表現がこれほど無意味だと感じたのは、後にも先にもあのときを超えるものはいまだ見つからない。

そしてこの国、日本で起こった緊急事態を伝えるニュースは、距離にして約9,000キロ離れたドイツにも届けられた。

翌日の試合に向けた準備に専念する1日になるはずだっただろう内田篤人、それからチームメイトのマヌエル・ノイアーのもとにも。



2011年3月12日。ドイツで内田篤人ゆえに決断した“できること”

ドイツ・ブンデスリーガのシャルケの試合中に好プレイを見せる内田篤人

東日本大震災が発生した2011年3月11日、日本時間午後2時46分。彼らが暮らすドイツでは、時差8時間を数えると午前6時46分のはずだ。

シニカルで涼しげな印象からは想像がつかないほど、真っ先に“自分ができること”を行動に移す彼は、母国の大惨事に「自分はサッカーをやっていていいのか?」と思い悩んだと後に伝えられている。

と同時に、思慮深い性格ゆえに、「どうしたら少しでも力になれるか?」「なにをしたら悲しませるか?どういう振る舞いが傷つけるからやってはいけないか?」と散々迷ったと聞く。

彼、内田篤人と、当時チームメイトだったマヌエル・ノイアーが所属するシャルケが、翌日のドイツ現地時間3月12日に控えていたのはフランクフルト戦。

母国の窮地を知ってからの彼の行動は、“クールな内田篤人”のイメージしか頭にない人たちにとって、間違いなく呆気にとられるくらい迅速だった。



内田篤人のメッセージはマヌエル・ノイアーなくして語れない

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地と被災者へのエールを記したメッセージシャツを着た、翌3月12日開催のドイツでの試合後の内田篤人と、テレビカメラの前にエスコートするマヌエル・ノイアー

真摯な面持ちの内田篤人とともに心に刻まれたメッセージシャツ。

いまだ東日本大震災関連映像などで使用されることも多く、当時、各国メディアでも取りあげられ、世界中で大きな反響を呼んだ。

「日本の皆へ 少しでも多くの命が救われますように 共に生きよう!」

真っ先にアクションを起こした彼の行動がトリガーとなり、水面に広がる無数の波紋のように、続々とサッカー界から願いや祈りが届けられたことも記憶に新しい。

そしてその内田篤人のメッセージが公開された舞台裏には、決して忘れてはいけない人物が存在する。

震災発生翌日のフランクフルト戦後に撮影されたそのメッセージシャツは、サポート役を担った彼がいなければ世にお目見えせずに終わっていた。

誰もが「彼のおかげだ」と口にするのは、それが理由である。

その彼こそが、マヌエル・ノイアーだ。



内田篤人と日本を力強く支えたマヌエル・ノイアーの姿勢

ドイツ・ブンデスリーガのシャルケの練習後にボールを担ぎながら笑顔で会話する親友同士の内田篤人とマヌエル・ノイアー

几帳面に想いをつづったメッセージシャツを手にし、翌日の試合に赴いた内田篤人の様子に気づいたマヌエル・ノイアーとのあいだで、こんな会話がかわされたという。

「日本へのメッセージか。今日それを見せるのか?」

「勝ったら見せようと思ってる。負けたら見せない」

「じゃあ、勝つから。おれが(ゴールを)守るから。今日は勝てるから」

優しく、力強く、自然と勇気づける言葉がサラリと口をついて出るのは、彼がマヌエル・ノイアーだからと言っても過言ではない。

いまや世界No.1ゴールキーパーとの呼び声が高い実力を持つスタープレイヤーのなかではめずらしいくらい、凛々しさと素朴さを併せ持った極めて優れた人間性が持ち味だからである。

数日後、このエピソードを知り、「なんてマヌコらしいんだろう」と妙に微笑んでしまったものだ。

と同時に、ひとりの日本人として感謝で涙が止まらなくなったことを、今でもよく覚えている。



マヌエル・ノイアーのサポートで内田篤人のメッセージは全世界に

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地と被災者へのエールを記したメッセージシャツを着た、翌3月12日開催のドイツでの試合後の内田篤人と、テレビカメラの前にエスコートするマヌエル・ノイアー

実は多くが感動したのは内田篤人のメッセージに対してだけではない。まずこのシャツが披露される前に行われたフランクフルト戦が劇的だったのだ。

試合は1-0でシャルケがリードし、このまま逃げきれるか?という願いもむなしく、なんとマヌエル・ノイアーのミスから失点。

同点に追いつかれ、誰もが「もうダメか」「今日は引き分けだ」とうなだれる展開に。

ところが終了間際、ほかならぬノイアーの果敢な飛び出しと前線へのロングフィードにより、これが決勝点のアシストとなって逆転に成功。見事にシャルケが勝利した。

ここまででも充分ドラマティックだが、話はこれで終わらない。

試合後、チームメイトがサポーターのチャントに呼応しながら喜びの輪をつくるなか、ひとり離れた場所でメッセージシャツを着用し、佇む内田篤人。

しばらくしてチームメイトが引き上げるのと同時にピッチから去ろうとしたそのとき、彼の手をとり、エスコートしながら再びサポーターとメディアの前に連れだしたのがマヌエル・ノイアーだった。

「このメッセージを見てくれ」という仕草とともに、全世界に向けて。

日本のサッカーファンにとってマヌエル・ノイアーは特別な存在に

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地と被災者へのエールを記したメッセージシャツを着た、翌3月12日開催のドイツでの試合後の内田篤人と、テレビカメラの前にエスコートするマヌエル・ノイアー

あの日を境に、日本のサッカーファンにとって“マヌエル・ノイアー”は特別な存在になった。

東京圏を中心に「あのときはありがとう」「恩人だ」と語る人も少なくない。もちろん、わたしもそのひとりだ。

なぜ現地東北の人間でもなければ、ただただ純粋にサッカーファンかつ日本人なだけにもかかわらず、心からの感謝を込めて誰もが“恩人”とまで口にするのだろうか?

むしろ現地東北ではなく、東京圏の人間だからだ。

東京圏は東日本大震災発生と同時に、日常生活を制限される準被災地と呼ばれながら、東北を中心に大きな痛手を負ったこの国の崩れかけた地盤を支える経済活動に尽力してきた。

誰もが現地の状況に絶望し、なにもできない無力さに苛まれ、刻一刻と変わるニュースに今後への不安を否応なしに駆り立てられるなかで、かろうじて精神バランスを保ちひたすら働く毎日を送っていたのだ。

逃げ場のない焦燥感を抱えながら、政治や経済、国内外情勢や各地の治安など、すべてに向き合わざるを得なかったのが震災発生以降の東京圏である。

そんななか、ほぼリアルタイムで見届けることができた彼らの姿、力強く掲げられた想いに触れ、一筋の光がさしたようだった。

身を救われたのではない。“心が救われた”のだ。

東京圏の人間だからこそマヌエル・ノイアーに救われることに

ドイツ・ブンデスリーガのシャルケの試合後に健闘を称え合いながらハグをする親友同士の内田篤人とマヌエル・ノイアー

この先どうなるかわからない不安と対峙しながらも、「現地は大変な想いをしている」「弱音を吐いちゃいけない」とあらゆる迷いを封じ込め、すべてを背負い走ることを決めた東京は、本当は壊れそうだった。

そんな日常の確かな希望となったのは、あの日のマヌエル・ノイアーだ。

「生まれ故郷のために」と想いを寄せた内田篤人さえも力強く支え、励ましてくれた彼の気持ちに、感謝せずにいられるだろうか。

きっと彼は、チームメイトの母国が大惨事に見舞われた事態に、“ひとりの人間として当たり前にとるべき言動と行動”を選択したのだろう。

だが、彼にとってその当たり前の言動と行動が、わたしたちの大きな励みになってくれた。

あれほど心強い姿を超えるものには、後にも先にもいまだ出会えていない。

同日生まれの彼らに対し応援というエールに代えて誓ったこと

ドイツ・ブンデスリーガのシャルケの試合後に健闘を称え合いながらサポーターに勝利の挨拶をする親友同士の内田篤人とマヌエル・ノイアー

内田篤人は言わずもがな、もとよりお気に入りだったマヌエル・ノイアーをこよなく愛するようになったのは、あの一件があったからだ。

きっと彼は知らないだろう。ごくごく自然な選択だったそれらが、「あのときはありがとう」「恩人だ」と、遠い異国の島国で多くの人間に温かな想いを抱かせていることを。

ふと思うに、内田篤人とマヌエル・ノイアーが同日生まれというのは、なんとも数奇な運命な気がしてならない。こうした繋がりを“縁”と呼ぶのだろう。

決して警戒心を持たないタイプとはいえないあの内田篤人に、移籍してわずかの時間で心を開かせたマヌエル・ノイアー。

そして、日本に甚大な被害をもたらした東日本大震災に際しての彼らのあの行動。

くすぐったいほどうれしい奇妙な感情を覚えるのは、遠く離れた日本とドイツという国に生まれ育ちながら、確かに出会った“縁”を持つ“同日生まれ”の彼らだからこそ。

あの日もらった柔らかな願いと祈りを、“応援”というエールに代えて伝えていきたいと決めている。

「あのときはありがとう」。そして、「これからも見届ける」と。

HAPPY 28th BIRTHDAY to ATSUTO UCHIDA and HAPPY 30th BIRTHDAY to MANUEL NEUER!!!!

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